紀元前586年、ペルシア帝国の都スサに住むユダヤ人モルデカイはアハシュエロス王の暗殺計画を妨害して王を人知れず救います。しかしモルデカイに私怨を持つ大臣ハマンは、王にユダヤ民族絶滅の勅書を書かせて公布します。この状況を救うため、モルデカイの従姉妹エステルが王妃として王宮に入り、王に直訴したことで逆にハマンが絞首刑に処せられました。
ハマンが虐殺の日をくじによって決めたことから、プリムはペルシャ語で「くじ」を意味する「プル」を語源とします。
こうしてユダヤ民族は民族絶滅の危機を逃れ、開放と救いを祝うプリム祭が行われるようになりました。
プリム祭を象徴するお菓子「ハマンタッシェン」は、けしの実のジャムをクッキー生地で三角形に包んで焼いたもので、「オズネイ・ハマン」とも呼ばれています。これは「ハマンの耳」を意味し、エステル記の悪役ハマンが尖った耳の持ち主だったことから、ユダヤ民族の絶滅を画策したハマンへの勝利を祝う意味が込められています。
エステル記は「悩みが喜びに、嘆きが祭りに」変わった物語。このどんでんがえしを象徴するのが「仮装」です。プリム祭は祝日ですが休日ではありません。しかし街中で見かけるワーカーたちも仮装をしながら働いているので、お祭りムードに満ちた日となります。
子供はイベントに参加し、お菓子をもらったりパレードをしたり、フェイスペイントなどのファンアクティビティに興じます。大人は会社で仮装大会をしながら、仕事そっちのけで飲んだり食べたりの1日を過ごします。
ユダヤ教の経典には、エステル記にある歓喜を表現するため「めちゃくちゃに酔っ払いなさい」と書いてあります。ユダヤ教は厳しい食餌規定(コシェル、コーシャー)をもち、どちらかというと飲酒なども消極的ですが、民族存亡をかけた出来事を祝うためにはその限りではないようです。
実際イスラエル人は浴びるほど酒を飲む人は少なく、嗜む程度という人が多いのですが、この日ばかりは昼から飲んで祝うのが正解とされます。