イスラエルの大人気お笑い&ミュージックトリオ、「シリシヤット・マ・カシュール(直訳:トリオ・どんな関係)」。2000年に結成されたこのトリオは、テレビやお笑いコント、ラジオや歌番組など、長年イスラエルのお茶の間に笑いと楽しみ、そして社会風刺を届けて来ました。
そしてウリ・カッツは2004年からこのトリオと共にいくつもの作品を作ってきた脚本家。今年はこのトリオ主演の映画撮影が予定されていますが、その舞台は何と日本なのです。日本での映画撮影を間近に控えた、脚本兼監督であるウリ・カッツさんにお話を伺いました。
映画「シュリの解放大作戦 2」
「シュリの解放大作戦」は2021年に第1作目が公開されたイスラエルのコメディ映画です。主演は前述のお笑いトリオ「シリシヤット・マ・カシュール」。
麻薬販売カルテルに誘拐された息子、シュリを助けにイスラエルからコロンビアに飛ぶお父さんとその友人2名という、3人組のすったもんだの珍道中はイスラエルで大ヒットし、熱心なファンと信者を生み出したイスラエルのカルト映画とも言われています。
シュリの解放大作戦第1作目の看板
そして今回、「シュリの解放大作戦2」では舞台は日本へと場所を変えました。日本でも、誘拐された息子シュリを助けるために3人組が”大活躍”する予定なのだそうです。
イスラエルで大ヒットしたこの映画の第2作目、なぜ舞台を日本に選んだのかその理由を聞きました。
「イスラエルと日本には文化的に非常に大きな違いがあって、時にそれは正反対とも言えるほどだと思います。文化と一言で言いますが、宗教観から食べ物、生活習慣に社会の仕組み…それは多岐にわたります。そういった文化の違いのある場所ではドラマや笑いが生まれるものです」と、ウリ・カッツさん。
ウリさんには以前日本人のパートナーがいらっしゃって日本とはとてもなじみが深いのだそう。そして日本の食文化には並々ならぬ興味があると言い、日本食レストラン巡りはもちろんのこと、ご自分でも日本食をアレンジして調理なさる程なのだそうです。
「日本とイスラエルは大きく違うと言ったけれど、本当のところ僕は、 日本は地球上にある別の惑星で、世界の他のどの国とも日本だけは全く異なる世界だと思っているんだ。
今、イスラエルでは日本旅行がブームで日本に旅行に行く人が沢山いるけれど、”自分はなんでも知っている、なんでも人よりうまくできる”と思っている過信家のイスラエル人達が日本でどんな体験をするのか。そういうところにも物語が沢山あると思っているんだ」
日本について、映画について、イスラエルについて。様々な私の質問に答えてくれたウリさんは、日本を愛し非常に高く評価していて、イスラエル人の事を客観的に見ている。彼から発される言葉はどれも非常に印象的で新鮮で、興味を引き付ける事ばかりでした。
ウリ・カッツさんの作品
ウリさんは脚本家としての経歴が長く、「イスラエル人達」、「素晴らしき国」などイスラエルでは非常にポピュラーな、様々な風刺を含むテレビのお笑い番組の脚本を手がけ、彼が脚本を手掛けたものはどの番組もイスラエルで大人気となりました。けれど彼の活動はそれにとどまりません。テレビドラマや子供用スポーツ番組の監督、小説の出版など活動範囲は広く、さらに彼の小説は2019年文化大臣処女作賞を受賞。各国語に翻訳され外国でも高い評価を得ました。
ウリさんの著書 “Aus dem Nichts kommt die Flut”
ウリさんのお話を聞いていると、頭の中でこんがらがった糸がほぐれていくような心地よさがあり、さらにもっと知りたいと思わせる様な知的探求心が刺激される気がするのです。
「これはウケる」と思われるシーンを思いつくのはどんな時か、書かれた脚本がどのように作品になっていくのか、脚本家と監督の関係は?映画とテレビでは何が違うのか、等々…。
ドラマや映画には全く素人のこんな私の質問に、一つ一つ丁寧に答えてくれたうえに、その答えがさらに新たな質問を生み出し、まるで新しい世界を知るレクチャーを独り占めしているような気分です。
私自身はイスラエルのスタンドアップコメディに出会ってから初めてお笑いというものの楽しさを知ったので、そんなお笑いを作る人の話を聞くのは本当に楽しいものでした。
例えば「笑いの階層」について。
「比較的単純で誰でもが笑える”笑い”というものがあるけれど、それだけではやっぱりおもしろくない。もう少しレベルをあげたちょっと考えないとわからないような笑いがあって、さらにその上には知識を必要としてそれに正しく結びつけないとわからないような笑いもある。笑いには階層がいくつもあるんだ。中には大多数の観客が理解できない、多くの人には引っかからないまま頭上をかすめていってしまうような笑いもある。それでもわかる人にはわかる。
どの階層の笑いをどれだけ盛り込むか。これは脚本を作るうえでとても重要な事なんだ」
この説明は私の腑にストンと落ちたものです。
それから風刺について。
「例えば前回の「シュリの解放大作戦」でも、男性達がある女性を小馬鹿にして見下しているようなシーンがあるけれど、見ている観客は男性がどれほどその女性に助けられているか、本当は彼らは彼女がいなければ何もできないという事を知っている。表現は彼女を馬鹿にしているけれど、観客にはそんな男性たちが滑稽に見えるという仕組みだ。11月に日本で撮影が行われる予定の「シュリの解放大作戦2」の映画の中でも、一見するとまるで日本人を馬鹿にしているかのように見える場面があるかもしれない。でも、僕には日本人を馬鹿にする意図は全くないという事は知っておいてほしい。誰かが誰かを笑いものにする、馬鹿にするという事は、実は、笑いものにしている側を風刺しているという事でもあるんだ」
シリシヤット・マ・カシュールのインスタグラムより。「シュリの解放大作戦2」、初めての台本読み合わせで気分もアップ。日本語の、名前の後につける「~さん」に大喜びの3人組の様子が楽しそうです。「シュリ”さん”の解放大作戦!」
そして「客観性」について。
「例えばウィキペディアを読む。そこには何千人もの人間が残虐に殺された歴史や、一人の人間の数奇な運命に翻弄された履歴が載っていたりする。僕たちはそれを読んでいても泣き崩れたり絶望で言葉を失うなどということはまずないだろう。せいぜいが大変そうだなあとか、かわいそうだったなあと思う程度だ。なぜならそれはその出来事を客観的にとらえているから。このように自分自身をも客観的に捉えて見ることができれば、恐怖もないし可能性は大きく広がるんだ」
ウリさんがどのように作品を作っているのか、彼のお話はいくら汲んでも尽きない泉のようで、「これを知識の源泉と言うのか?」と思うくらいに豊かな言葉が流れ出てくるのでした。
イスラエルが決して切り離せない現実
映画やお笑いのドラマ、彼が今まで共に作品を作って来たコメディアンたち、彼の作品の世界観などに関するお話も一通り聞けたところで、インタビューはおしまいだと思い、私は個人的な興味から、ちょっと聞いてみたいと思っていた質問をしました。
それは、今、イスラエルが戦っている戦争についてです。
正直なところ、コメディ映画に現実の戦争は関係ないと思っていたし、お笑い脚本家の記事を書く時に戦争の話題を結びつける必要もないだろうと思っていたので、質問した時は本当についでにという気持ち、個人的な興味という感じでした。
けれど、私の考えは完全に間違えであったという事を、私は彼の返事からすぐに理解したのです。
彼の返事は、今のイスラエルの戦争に関する私の考え方の根本を大きく揺さぶるものでした。
彼の作る作品は現実世界に関係していないことは一つもなく、「客観性」、「風刺」、「笑いの階層」すべてが現実世界、つまりは今イスラエルで起きている戦争にも関係していることがわかりました。
例えば、10月7日のテロ行為を発端とした今回の戦争を語る際に終わりのない論争の一つに「戦争はいつ始まったのか」というものがあります。
私の考えでは今回の戦争は2023年10月7日が始まりです。1948年の建国まで遡り「イスラエル建国のせいでテロ行為が起きる」という考えには反対で、それならなぜ1948年にイスラエルを建国しなければならなかったのかの理由も遡らなければ公平ではない、さらには2000年前まで遡るべきではないのか、何年までなら遡るべきで何年までなら遡らないのか、その判断基準は何かを明確にすべき!と詰め寄りたい勢いで思っているのです。
そしてそれらをすべて現在起きている戦争に関係づける必要はないのだから、今回の戦争は10月7日に始まったと考えるべきである、私はそう思っていたのです。
それについて彼は「意味がない」と言います。
ハマスのテロによって数百名が亡くなったNovaフェスティバルの駐車場。参加者の車が焼き尽くされている。拉致されたまま未だに安否不明の被害者も多い。
「相手側も同じことを考えている。同じことを何度繰り返しても意味がない、戦争はここで終わりにしなければならない」というのです。
「攻撃された側が戦争を諦める?それは国家の敗北を意味するのではないか?」少なくとも私にはショックな考え方でした。
「僕は、今インタビューをしているこのヤッフォという街は進化と融合を良く体現していると思うよ。
ここには素晴らしいものがいっぱいある。アラブ人とユダヤ人が一緒に住んでいる。
常に新しいものが入りまじって進化してる」
そして彼は新しいものと融合して変化を続けたことで洗練されたものの例として日本食をあげました。日本の食事は様々な食文化を取り入れて融合して進化しているというのです。
彼は言います。
「変化を恐れてはならない。
人々は今まで馴染んだもの、今あるものにとどまりたいと思う気持ちがある。
今まで作り上げてきたものに固執する気持ち、変えたくないという気持ちを手放せない。
でも異なるものと融合して、新しいものを作り出す。それが進化するということだし、それは仕事だって同じことが言えると思う。
ずーっと同じように脚本だけを書いていたのでは進化できない。空っぽになってしまう。
だから新しいことをしたり、別の仕事に取り組んだりして常に新しいものとの融合を生み出すんだよ」
私は彼に言いました。
「それでも攻撃された側として、戦争を終わらせるという「新しいこと」への挑戦は恐怖も伴うし、それに個人の場合についていえば年齢が上がるにつれ新しいことへの挑戦は難しくなると思います。あなたのように変化を恐れない人は、多くの人が持ち合わせない特別な勇気がある人だと思います」
ウリさんは答えました。
「自分自身を客観視するのは重要なことだからね。自分の履歴をウィキペディアでも読むように見ている、僕の勇気はちょっとクレイジーなお馬鹿さんという意味かもしれない」
「残虐な歴史を読んでいても、絶望したり泣き崩れたりすることはない」客観性を説明する先ほどの言葉を思い出し、私は彼の言っていることは正しいと思いました。それでも私にはどうしても納得いかない点がありました。それは拉致された人々のことです。私は彼に質問しました。「それでも、この国であのようなテロ行為があって、拉致された人々や殺害された人々にどんな言い訳ができるというのでしょうか?」
「まずは今起きている戦争も含め、イスラエルで起きていることは、僕を含むイスラエル人が責任を取らなければならないと思っている。それは自分がどの政権を支持したのか誰にどの票を投じたかは関係ない。
”僕は彼に投票しなかったのだから僕には責任がない”とは言えない。それが民主主義というものだ。
だからこそ、”まずは解放せよ!”だよ」
彼は映画で繰り返される言葉をつかって言いました。そしてそれは現実世界の彼の主張とぴったり重なっているのです。
「この作品を初めて作った2021年にはまさかこんな戦争がおこるなんてつゆほども考えていなかった。そして今回この映画を作る際は「解放」という言葉の意味や「誘拐」という言葉の意味は前回とは全く違ってしまった。
どうやってもこの現実を無視することはできない。なかったことにはできない。だからこそ僕は解放という言葉に意味があると思っている。
「まずは解放しなければならない」これが最も重要な点だ」
イスラエルのお笑い
ウリ・カッツさんへのインタビューは予定していたよりも長く、そして話はとても真剣なものとなりました。私はウリ・カッツさんの作品を見ていますが、正直まさかこんなにも真剣なインタビューになるとは本当に思っていなかったです。
「シュリの解放大作戦」コロンビアにおける初回作品の撮影風景
「シュリの解放大作戦」はイスラエルで最も愛されたコメディ映画の一つ。しっちゃかめっちゃかの大脱走劇で人々を魅了しました。この映画に限らずウリさんの作品には「単純で誰でもが笑える親しみやすい笑い」もいっぱい、堅苦しさなど微塵もないのが特徴なのです。
そして日本を舞台とした「シュリの解放大作戦2」もきっと、くだらないギャグが飛び交いトンデモな珍事件が次々と起こり、観客は現実世界のしがらみや不条理など忘れて笑い転げることになるでしょう。
ウリさんは言いました。「笑いには階層がある」と。
お笑いにはいろいろなスタイルがあると思います。さまざまな階層の笑いがちりばめられたウリさんの解放大作戦。観客である私達は自分が一番楽しいと思える階層の笑いをキャッチして精神を解放することができるのです。
この映画が公開されたら、ぜひ日本の皆さんにも見ていただきたいです。大いに楽しんで、自由を満喫することができるイスラエルのコメディ―映画をぜひ体験してみてください。