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Art

EART LIFE in Jerusalem 第三回 | <ダンスを生きる・序章>表現するためには生活がダンスでなくてはならない。

by YUKO IMAZAIKE |2020年09月08日

Photo by Anatoly Shenfeld

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EART LIFE in Jerusalem 第二回 | 斬新と新鮮の狭間 はこちら



未常識 a lots of emptiness

多くの「果」を集め、たった一つの洗練された「因」を生むのがアーティスト・・・でしたね。

踊り手は神官の役割と、庶民の間を行き来す「非僧非俗」・・・。(第二回芸能の徒より

まるで、どっちでもあって、どっちでもない存在。

言うからには、それを体現しなければいけない時が来ていたのだと今振り返ります。

砂漠には、いっぱいの「なにもない」があるんです。空で満ち溢れている。

空気の音が痛いと感じるくらいの静けさの中、すこしずつ、文字通り砂漠に体を慣らせていきました。



砂漠のダンスカンパニー アダマ(Adama)

「Welcome to our dance company」

………..?

気がつくと、ある男性が目の前にたっていて、そう言ってるんです。(これも、第二話から

最初、近くのキブツ(共同体)で農業でもするおっちゃんかと思いました。

その人はダンスカンパニーのディレクターのNirだったんです。


Liat Dror氏(左)、 Nir Ben Gal氏(All the rights belongs to Liat Dror and Nir Ben Gal ADAMA Dance company)

日本のクラブとかでは考えられないでしょうけど、イスラエルの田舎のDJを入れたダンスナイトなんて、みんな好き好きそれぞれに、裸足で体を動かしています。

後日談ですが、その時彼は、私が最初に立っていた所の床に転がって見ていたようです。私が、人だかりの真ん中を一直線にまーっすぐに歩きだし、道ができたそう。

そして、オーディションに受かりました。歩いていただけなんですが。


・・・・・。

ダンス界に疲れたと言って、何もない砂漠に出て、ダンスカンパニーに出会ってしまった。

深いため息のような、「あーーーーー」という気持ち。

でも否定的な感覚はありませんでした。

「腑に落ちる」というやつです。

分かる前に下腹近いとこから重くジワジワひろがりわたる、渦のような感覚がありました。



これが元のモト それは新鮮の元 意識の源の場所

私達、ダンサーは、体をつかって踊るわけですが、ある時気付くんですよね。

どうやら、この体を動かす誰かがどこかにいるぞ、と。

なんで、この手が動くのだ?なんで、同じ動作に質の違いがあるのだ?

これは出来て、これが出来ない。なぜなんだろう・・・。

実は、それ。何かの結果でそうなるんです。

まるでアバターのように、本物がどこかにいる感覚。

私は誰だ?

あなたは誰?

ヘブライ語で「誰?」とは、「ミ?מי」と言います。
このヘブライ語は、メムמとユッドיという二つのアルファベットからできていて、ユッドは、「神」を意味する文字ですが、二つを合わせると、メムで囲った真ん中に神様のユッド(チョン)があるんです。

え?どういうこと?

例えば、文字を時間だとイメージしてください。
時間は流れないで積み重なる。
この二つのアルファベットを重ねて書くと、日本の古代文字ホツマ文字の「あ」と同じになります。


ホツマ文字の「あ」

つまり、全てのものは「あ」から始まる…ユッドから始まるという事で、ここでユダヤと日本が繋がります。

ご存知のように、二つの言語は多くのつながりがあります。

少し昔日本語では、身体を指す言葉は身(ミ)と言いました。

武術などには、その言葉は多く残っています。

「身のこなし」「身まもり」「受け身」…

「ミמי」=身=誰?

この身・・・つまり体はアバター、「ミ」は本当の私。That’s ME!

元を意識して、元にもどして、元からはじめるという行為は、ダンスでなくとも真理との出会いなんだと思うんです。

その作業は、外へ遠くへ、なにかを求めるのではなく、に向き合う事…。


心の場所が命の場所?

古代人は「心」を心臓でも脳でもなく、内蔵や下腹で感じていたそうです。

舞の師Jun Amantoさんは次のようにおっしゃいます。


その古代の「心」の語源には世界共通のものがあって、ヘブライ語で子宮は、「レヘムרחם」。この複数形「ラハミームרחמים」は、あわれみ。陰と陽、ユダヤでは右と左の真ん中に位置する根源のエネルギーです。そしてこれらは、時期を同じくして中東を筆頭に大陸で次々と発見されます。

新約聖書のイエスの慈悲をあらわす「スプランクニゾマイ」は「内臓が動く」。

ギリシャのオデッセイアでの「スプランクナ」は「生贄の内臓」。

アラビア語のあわれみ「レム(リム)」は「子宮」、心をあらわす「リッブム」も「内臓や中心」。

地球最古のシュメール文明の文字でのあわれみや同情は「アルフシュ」で「子宮」。

中国の亀甲文字では、男性器のマークが「心」をあらわしていた。

それが、腹が座る、腹が立つという日本語は、時代を経て、ムカつく、頭にくる・・・などにとって代わるように、心はどんどん上昇し、脳のほうに移動してしまった。

そうやって上にいってしまった果てに、人と自然を自分と分けて思考するようになってからの悲劇は大きいのです。

仮説と理屈でシュミレーションして行動するから当たりはずれは大きく、環境破壊をし、地球で唯一同種同士を殺し合う動物になった。

理屈を考えられるという事は、どんなことでも天命にして正当化することも身につける。

今身体性を古代にもどさなければ、身体は脳の奴隷のままなんだという事だ。

「うんちは宇宙なのだ」著者 (竹本やすひろ)本文から引用

そうか!私は腑に落ちたんだ!

踊り手の可能性に気づくこと、それが私の中の革命で、イスラエルに必要とされていると感じた記憶が(第一回より)まさしく腑に落ちていく瞬間でした。


次の朝、奥さんのディレクターLiatに会います。

彼女がいうには「砂漠を癒せる人は自分を癒せる」とのこと。

私は、そこで働くことにしました。砂漠への移住のはじまりです。


Photo by Anatoly Shenfeld
Photo by Anatoly Shenfeld

生きるダンス!

裸足で生活をはじめ、葉っぱをむしって天ぷらにして食べたり、手作りのトタンでできた小屋で大半を電気も水道も無しの生活をしながら、カンパニーでダンスをするという日々がはじまります。


Photo by Anatoly Shenfeld
Photo by Anatoly Shenfeld

朝日とともに、崖を走り、リハーサルという名のほぼ無言稽古と打ち合わせ。

昼間からは三々五々散って、ひたすら畑仕事や、突貫工事、都会からきたグループをホストし、洗濯ものとたたかう。それが稽古。

カンパニー母体のダンス学校もあるので、生徒に教えたり、ゲストの晩御飯をつくり、夜は公演。

翌朝、ゲストを暗いうちから崖までつれていって、朝日とともにワークショップ。

自然と暮らしながら、そこでダンスをすると踊りというのが土着である。

つまり空間と切って切り離せない存在であることが体でわかります。

その場が自然のものであればあるほど、同じ場所でも、一瞬たりとも同じ場ではなくなります。

場が存在しなければ、時間は存在せず、時間がなければ、場もない。

「時空」が人生の劇場です。


Photo by Anatoly Shenfeld
Photo by Anatoly Shenfeld

時空調和 和を持って尊しとす

砂漠に住むのだと言った時、「人生の第一線から降りるんだなー」とか、「シャンティー休みの日々ねー」と言われたりしましがたが、とんでもない!

あれほどに、休みなく淡々と働いた日々はなかったです。

砂嵐がくるなら、ビニールを張り終えないといけません。

電気やネットの設備は整っていません。PC作業などはやれる時にやらなきゃならない!お日様はまってくれないし、夏のお昼間には外へ行けたもんじゃない。その時にできることを必要な速さでする・・・そんな毎日でした。

砂漠では、自分がこうしたいああしたい?とか、どうやって生きていたい?とか…

そんな贅沢はいえません!毎日が地球に踊らされるんです。

そして次第に、いかにこの地球とうまく踊っていくかが勝負になっていきました。

これってちょっと田舎や、この地球上の大多数の人にとって、普通のこと。


Photo by Anatoly Shenfeld
Photo by Anatoly Shenfeld
Photo by Anatoly Shenfeld

モト元=原点回帰

往々に歴史の中では、大陸では王様が気に入らない人は殺してしまえばよかったけど、日本のような島国は、殺してばかりしていると一緒に暮らす人もいなくなりますよね。

嫌だから引越しといっても、島は閉ざされた土地しかありません。

ある意味アラブ諸国に囲まれたイスラエルも、シチュエーションは同じだと思うのです。

せめて内地の人間だけでも協力しなければいけません。

イスラエルもUAEと仲良くし始めました。古代イスラエル王国の時代は、この地域は多民族が一緒に暮らす共同体のネットワークの時代でした。

地球も民族も一人のダンサーの人生も皆、原点回帰を繰り返します。

ダンスと砂漠での暮らしを通して腑に落ちる・・・。

私はこの時の感覚と学びを今も忘れないように、日々「元」に戻る事を大切にして

今日も精進しています。


Photo by Anatoly Shenfeld