Share

Art

EART LIFE in Jerusalem 第二回 | 斬新と新鮮の狭間

by YUKO IMAZAIKE |2020年08月19日

Photo by Shimon Bokshtein

イスラエルの見どころの紹介もしたいと思います。


南部ネゲヴ砂漠の町ミツペラモンという人口約5000人の小さな町。

クレーター砂漠(ヘブライ語でマフテッシュ)と呼ばれる景観は、空からみると月の浸食のデコボコようですが、体感は90度の崖。


Photo by Shimon Bokshtein

砂漠は美しい虹の色を帯び、一年に一度滝雲が下りる。(霧ではなくて、雲なんです!)神秘そのもの。


Photo by Shimon Bokshtein

砂漠といえば、サラサラの砂を思うかもしれないですが、全く違って、石と岩だらけ。厳しい荒野は、身を置くだけで畏敬の念を抱きます。

方々にはアラブ系遊牧民のバドウィンが住んでいて、近くのキブツ(イスラエルの共同体)は、初代首相のベングリオンが過ごされた家があり、とても質素な暮らしぶりが見て取れます。

彼は、激動の中の建国にあたり、国土の約半分をしめる砂漠の可能性に注目し、農業と若者をキーワードに、この二つの発展がイスラエルの未来を救うという信念で、自ら田舎で実践をされていました。


Photo by Shimon Bokshtein
Photo by Shimon Bokshtein

第一回をご覧いただきたいのですが、私は、勢いよく、コンテンポラリーダンスが熱いイスラエルに来た!と思っていたのですが、商業都市テルアビブで出鼻を挫かれ、疲れこんでいました。

客や振付家は、斬新や新感覚を常に求め、それに応えきれない自分がいました。

私、関西出身なんで、面白くないから終わりという感覚。(笑)

一体、何がいいアートなのだろう、何をもっていいダンサーなのだろう?

コンテンポラリーダンスは、目まぐるしい時代の中、経緯複雑なこの国で発展までしている。

この時代の必然と可能性に気付くことが大事なのだ!といいながら、それが何なのか自分でも答えられないのです。


Photo by Shimon Bokshtein

十人十色のイスラエル人ダンサー達に出くわすうちに、え?これもあり?あれも?と、ノーマライズ観念から抜けだしたのはいいものの、今度はウケるために、新しいものを探すようになる。

当然ながら枯渇します。

こりゃいかんなと思いました。

この終わりのない競争に、文字通り体当たりして、限界がすぐそこまできていました。そして、砂漠に旅にでます。


Photo by Shimon Bokshtein
Photo by Shimon Bokshtein
Photo by Shimon Bokshtein

エンターティメントとアート

商業アートであれば、資本がある方がいい作品がつくれるわけです。

ブロードウェイやハリウッドにお願いすればいいかもしれません。

優劣は興業収入によってランキングされるかもしれません。

でも、イスラエルのアートシーンは、残念ながら貧乏。

すると、ハリウッドなら実写再現しちゃうことを、受け手のお客さんの想像にまかせちゃうのです。それを演出することで、ファンタジーも予算も天井無し!!(笑)。という、さすがイスラエル人的解決法がうまれてきます。技術というより、適応能力の高さ。

それが、客ひとりひとりの感覚を通してそれぞれの感動になる。

結果的に、出てくる感想はバラバラになる。またオリジナル化されていく。


Photo by Shimon Bokshtein

世界の視点からみれば、なんじゃあこりあ?!どっからこの発想があったんだ!?イスラエルって斬新奇抜!になっていく。

これが流行っていたわけです。なるほど、すこしわかってきたぞ!

なんでもビジネスが大事なのであれば、どうしてこの芸術という非生産的行動が歴史の中で絶える事なく続いてきたのでしょうか?ましてや、恐ろしいほどお金に合理的ユダヤ人の中で発展までしてきたのでしょうか??まだ秘密がありそうです。


斬新と新鮮

これは、舞の師匠Jun Amantoさんが仰る事なのですが、

「斬新」でなくていい。

「新鮮」でいればいい。

斬新になろうとすると、いつもなにか新しいものを出していかないといけないのですが、新鮮は在り方です。

新鮮でいさえすれば、あとはその場や人が必然的に響きあって、起こらなければいけない事が起こる。

「非僧非俗」であれと、そう仰るのです。


Photo by Shimon Bokshtein

芸能人というのは聖職者でもなく一般人でもありません。

自分を高め修業しないといけないけれど、お坊さんのように達観してしまうと、一般世界の憎しみや怒り、悲しみの表現はできなくなってしまう。かといって、感情に浸って振り回されているようでは、その演技もできません。

それに入りながら、離れながら、俗人でありながら聖人でもある。

これが、「芸能の徒」である。


Photo by Shimon Bokshtein

商業主義のエンターテイメントより、その瞬間瞬間が本物の存在なのかが大事なのだと教えられています。

1つの結果を出そうとするならば資本と力で勝負すればいいんだけど、

1つの原因になることができる。

それは、時代の種になって、未来に万花を咲かす。

それがアート。藝術。


ざっくりと新感覚と見ていたイスラエルアートの台頭に、SOSみたいなものが見えるようにもなりました。

イスラエルの作品は往々にして、シュールだったりします。結果がなく「・・・で?」という、あるいは出てきて舞台をひっちゃかめっちゃかして、終わり!だったり。

しかし、大御所のカンパニーは、淡々と同じことをやっている気がします。

落語のように、来る落ちもわかっている。でも笑えて、また観に行くのです。

受け手にあわせて自分を変えていこうとすると、それこそ、毎回斬新を与える立場で振り回される。


Photo by Shimon Bokshtein

新鮮には受け手のリテラシーの高さが問われます。

激動の時代には、なおさら、芸能側が凛と立っている事で、答えを見出すのはひとりひとり。

これが、どんな時代もアートが残ってきた理由ならば、今この時期に世界中がその元(モト)に立ち返る時かもしれません。

最も古く新しい国イスラエルは、今、斬新と新鮮の二つの狭間にいるような気がします。

そしてそれは、時代の節目にいる私達人類すべてが今その中にいて、皆が学べるものだと思います。


元 モト

砂漠に旅に出ました。

と、いったら壮大な旅に聞こえますが、日本ではないし、車で数時間。


Photo by Shimon Bokshtein

イスラエルのいいとこは、国が小さくて、どこもすぐに郊外。自然が近い暮らしです。

4月近いのに、凍り付くような寒い夜。

巨大な倉庫のような建物だけに明かりが灯っていて、車も修理が必要で脚休めにそこにはいりました。


Photo by Shimon Bokshtein
Photo by Shimon Bokshtein

学園祭のような(?)となる装飾が施された建物。私と同じ大きさくらいの犬(名前はランボー)がやってきて、案内人をつとめてくれるようです。中にはいるとドラム缶ストーブやティッピーと呼ばれる泥で出来た家などがあります。


Photo by Shimon Bokshtein

彼がそのまま走り去るのについていくと、巨大な建物の5倍くらい巨大な庭に案内されました。

おおきなドームがあって、外では人が集まって晩御飯食べていました。

促されるままに共にした食事は野菜ベース。座ったベンチの周りは畑だったことに翌朝気づきます。


Photo by Shimon Bokshtein

時間はもう21時くらいだったかと思います。砂漠時間だと、真夜中。

建物の中に戻ると、ど真ん中に木造りの道場のようなスペースがあり、DJが入って皆それぞれ裸足で好きに踊ってる(動いてる?)のです。

私も旅で疲れた体を休ませるようにそこにいました。その全ての経緯の統合の中気がついたら、感謝と幸せに満ちていました。


Photo by Shimon Bokshtein

周りと心地よく時間が重なり、自分の命が体から外へあふれ出るような体感の中、その人だかりの中を、ただただ歩いていました。

気が付くと、おじさんが目の前にたっていました。

「Welcome to our dance company.」

「………??????!!!!!!!!!」

意味不明。

とりあえず笑顔で取り繕ってその場を去った後、私はここに戻ってきます。


Photo by Shimon Bokshtein

そう、そこはAdama Dance Companyというコンテンポラリーダンスカンパニーの母体が運営する広大なダンスセンターで、そのおじさんは、ディレクターだったんです。

そして私は、オーディションに受かった。

・・・つづく


Photo by Shimon Bokshtein