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EART LIFE in Jerusalem 第一回 | AManTo 天人とは?

by YUKO IMAZAIKE |2020年06月17日

こんにちは。YUKOといいます。エルサレム在住のダンサーです。

幼い頃から、ダンスが大好きで、24時間踊る事ができるのか、ずっと変わらない挑戦でした。その行きついた先はエルサレム、そして、AManTo天人という場が繰り広げられたお話です。


プロフィール写真

踊るように生きる 生きている事を美しく

国全体面積が四国ほど、建国浅いイスラエルでは1980年代後半あたりから、顕著にダンスが発展するのです。ダンサーとして生きていて、まさか中東にいきつくなんて思ってもみませんでした。


発展文化に賭ける勢いは斬新で、地中海に面した自然は各地独特。目を見張る美しさ。歴史、宗教、政治は、時に複雑です。私達はどうして生きているんだろう?何のために生まれたんだろう?いったい、答えはどこにあるんだろう?という真理への疑問が日常の生活から浮かぶ機会が多く、答えは様々。


私は、その点ダンサーなので、宗教も思想の違いも気にせず、スイスイ泳いでこれました。ダンスは言葉もいらないですし。それで、あ!っと気づいたのです。イスラエルでダンスが発展、流行しだした理由。それは、まさしく時代の必然なんだと。


次の時代に必要とされているのは、ダンサー!?

イスラエルでは、兵役を終えてからダンス始めて、二年でプロになる人もいるのです。ムキムキの坊主のお姉さんだったり、バレエとかじゃ考えられない脚のラインしてたり、移民だらけの国なので、皆外見で言えば、同じにはなりえない。十人十色とはまさしくこの事。


最初は、どれだけ自分の個性をアピールしようかとか、小手先で色々考えました。ちょっと見つめるうちに、そんな程度じゃ敵わないとわかってきます。まるで、子供に大の大人が力勝負して負けるような体感です。笑 ここで、私は180度の転換みたいなものを体験いたします。


「美しい」を基準にする価値観を、提案しているのか?という風に仮定しました。正でも義でもなく、どれだけ本気で、美しいか。皆、人生一回目。わからない事はずっとあります。答えも違うけど、向き合う姿勢はフェアなのです。


「それだったら、地球全部が繋がれそうだよ!」

そんな声が聞こえた気がしました。これは、こんな小さな国から地球全部へ零れ落ちてきた結果というより、今からの生き方の大切な提案。その種のようなものがイスラエルでのダンスシーンではないでしょうか。


時代には抗えない流れがあると痛感し、その声の種に従って生きる事は、今必要の中から生まれる文明になるのではないかと「生きる事を美しくする」ダンス化人生の旅がはじまります。


AManTo EART Jerusalem ・エルサレム天然藝術研究所

AManToと書いて「あまんと」と読みます。漢字では、天人。舞の師匠Jun Amantoさんが大阪中崎町で一人で始めた、大志と未常識な人生アート化実験をする人と、その場の名前。(その話は壮大すぎて、別口でみてもらいたいです!)弟子である私は弟子らしく、師匠の姿をそっと自分一人エルサレムで追ってみることにしました。


エルサレムのど真ん中。新しい電車や、活気あふれたマナネイェフダ市場の裏は、猫もゆったり歩く静けさと、石造りの古民家が並びます。ナフラオットと言われる、いわゆる下町。


天人のサイン
天人の外観

「ナハル」はヘブライ語で「川」なんですが、移民当時から住むおじいちゃんおばあちゃんは「ここには貯水庫があってね」「あっちは畑だった」なんて話をしてくれます。水の流れに合わせた小路と家々、大通りを挟んだ約1㎢のちいさなエリアに緑の蔦で囲まれたAManToがあります。オットーマン時代石造りの建築、吹き抜けの天井、そして大きなスペース。


コンセプトは、公園のような一軒家。ある日私はこの家に出会い、ドアを開けることにしたんです。


物理的に開けましたよ。

はじめて家に足を踏み入れた昼さがり。なにもない伽藍堂のような場所にスーツケース一個。出来る事はお掃除と一人踊ってみる事でした。

踊り終えると、一人の青年がドアの前にたっていました。

「シャローム。(ヘブライ語で、こんにちは。)僕は上の住人なんだけど、今から引っ越しで。もしかして家具いります?」

椅子や机が運び込まれ、一時間後には居間が完成していました。踊るように、提示された環境に身の置き場が、体から決まっていく。判断よりも早い即興のダンス人生は、目標や願望ではなく、目の前のご縁に一つひとつ向き合うように導かれます。



エルサレムは、世界中の優秀な専門職の方々が駐在する特殊な場で、海外から人が来ては旅立ち、貴重な物資が循環される場所を待っています。空っぽのお家だからこそ、セカンドハンドイベントをしてみようという在住者方の声がありました。私はそれが、このアマントという場のお披露目の日と決めたんです。


え?と思いますか?普通目標があって、私の場を披露するなら踊りますよ。でもしない。

「この日からこの場は、全てを踊り切る。誰もが出来る生きる事をEARTにする場として起動する」それは、だれにも見えないけど、ないとはいえない一人だけの宣誓。


出来る事は雑務全般。掃除して、その人がしたい事をお世話することで、相手が自分を見出してくれます。次々と物資が運び込まれ、「ゆうこちゃん、これほしい?」「あれは必要?」「ここ一緒に修理しようか?あの人にきいてみるよ!」と言った声が飛び交います。その日の夜には、お料理教室ができそうなくらいのキッチングッズが揃い、皆で晩御飯を食べました。ちなみにお昼は、飛行機からもらってきたプラスチックのフォークでした。


掃除している様子
天人に集まる人々

そのまま起こる現象をひたすらに見守りました。様々な人が立ち止まり、迷い込み(?)登場人物が出てきて物語が生まれます。プロジェクトやイベント、ゲストハウス、カフェ、平和活動や、パフォーマンス。


この即興のライフパフォーマンスの日々から、どうやら社会の構造には、踊りのように、雛形みたいなものが通じるなぁという事が、どんどん腑に落ちていくのです。単なる、ぐちゃぐちゃと、運を使い果たすあてずっぽではない。毎日、死ぬまで使える型。


斬新だけが突出していたイスラエルダンスが答えを求める先に、私も目を向けることになりました。

それは、斬新の対極。「型」大国日本。


その学びは、また驚くほどに、エルサレムに腰を据えることになってしまうのです。


つづく