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Art

SEALED WITH SALT, HANDLED WITH CARE | 芸術作品を通して、シガリット・ランドーが望む中東の変化。

by As Promised Magazine |2020年07月21日

シガリット・ランドーの作品

彫刻家、映像、そしてインスタレーションのアーティストであるシガリット・ランドーが、1994年にイスラエルのアートシーンに彗星の如く登場した時、彼女が制作した作品は爆発的な議論の的となりました。


その時彼女はまだ、ベツァルエル美術デザイン学院に在籍中だったのですが、「Art Focus I」展示会の一部として彼女がテルアビブの薄汚れた中央バス駅に設置した作品が、とても奇妙な、一風変わった、そして一度見たら忘れられないような作品だったからです。彼女は、長い間閉鎖されていたビルの5階のワンフロアを借り受け、1ヶ月間そこで生活を行いました。使用済みのコンドーム、使い捨ての注射器、打ち捨てられた衣服など、そこで拾った不用品を利用して、その放棄され廃墟となった空間を、そのまま彼女がくつろげる遊び場に変えてしまったのです。


その後、何十年にも渡り、彼女はこのやり口を自身のトレードマークとしてきました。テルアビブのヘレナルビンスタイン現代美術館や、イタリアでのヴェネツィア・ビエンナーレ(イスラエル代表として、過去2回、彼女はここでの作品展示を行なっています)でのショーケース展示においても、それぞれの展示スペースを、彼女は何とも表現し難い別世界に変えたのです。


このマルチメディア作家は、作品の中で、彼女自身の実際の身体(カラダ)の存在を常に強く主張します。それは度々、身体の束縛や、自己表現の容れ物としての女性の身体に対する疑問を引き起こしていきます。

その典型的な例の一つが、「棘あるフラダンス」と題されたビデオです。それは、ユーゴスラビアのパフォーマンスアーティストであるマリーナ・アブラモヴィッチの活動などとよく比較されますが、2000年に、夜明けの海岸で撮影されたそのビデオでは、お尻を揺らしながら裸でベリーダンスをする彼女がフィーチャーされています。彼女の腰の周りで回るフラフープは、実は鉄条網でできており、彼女がそれを回しながら踊ると、その鉄条網が彼女の腹を刺し続け、実際に血の流れる痛々しい傷がどんどん広がっていく、という壮絶な作品でした。


シガリット・ランドーの作品作り

テルアビブの南、修理工場や駐車場が並ぶ、工業地帯とも思えないようなエリアにある彼女の工房を先日訪ね、話を聞く事が出来ました。彼女の表現上の文法を理解する上で最も大切な事は、「そうね、動く事ね。それこそが大切なのよ」と、私の意見に同意してくれました。


「動く事は、まさに人生。それは社会に向かって抵抗する力と感情を私の中に注入してくれるものなの。私の作品は、どれもみな実際に触って、感じてもらうものでしょう?芸術というのは、身体を通じて感じる事で、その代わりに身体をどこかに置いてきてしまう。そんな風にして実際の身体をも超越する体験があることなの。でもそれってとっても疲れてしまうわよね。だけど次の瞬間、それが前に進むための自分の意思だって分かるようになるの。」


しかし、シガリット・ランドーの作品は、単に彼女の個人的表現だけに留まるものではありません。それは同時に非常に政治的であり、常に激烈な論争を引き起こします。


イスラエルの複雑な現実を反映して制作された作品に、「The Country(国家)」という作品があります。第二次インティファーダ(訳注: パレスチナとイスラエルの間で起きた軍事衝突。2000年9月~2005年2月)の最中の2002年、テルアビブにあるアロンセゲフギャラリーで展示され、美術評論家のフィリップ・レイダーがいみじくも「これはまさにイスラエルのゲルニカだ!」と語ったその作品で、彼女は、イスラエルの新聞ハアレツ(訳注: Haaretz / 「我れらが土地」、もしくは「我が祖国」と名付けられたイスラエルの大衆紙)の大量の古新聞を使用してザクロの木を形作り、それを天井から逆さまに吊るしました。来場者は、軍事衝突での虐殺の様子を報じる記事で作られた、まさに隠喩の込められた「流血の果物」の下を通らなければ、隣の展示会場に入ることはできません。

そしてその隣の会場では、イスラエルでは最も典型的な家の屋根を模した展示の上に、たくさんのテルアビブ街頭の風景写真が敷き詰められました。その屋根の上には、三人の人物が腰を下ろしています。その肉と腱は、真っ赤に染められた新聞によって形作られ、三人ともに、世の中への絶望を表現する姿で固定さていました。


シガリット・ランドーの作品作り

塩の沈黙

シガリット・ランドーとその周囲の状況を反映したそんな痛烈な作品を通じて、彼女は着実にその名声を高めていき、アメリカやヨーロッパ各国での展示も行われるようになります。

しかし、そんな世界中への展示旅行を行いながらも、彼女が常に想い焦がれ、心が戻っていくのは故郷の地、死海 (Dead Sea)でした。地球上で最も低い土地と呼ばれるその地には、イスラエルとヨルダンの国境を跨いで、かの有名な塩湖が水を湛えています。そこは、彼女のエルサレムの故郷の家から、自動車でほんの1時間の場所にあります。


彼女の強迫観念とも言えるこの水域への執着は、全く飲む事の出来ない、一歩間違えれば死に至る、その湖の水と切っても切れません。それは、彼女の処女作「DeadSee」の中でも明らかに表現されています。彼女が実母を亡くしたすぐ後に制作されたこの作品の中で、彼女は6m程度の螺旋の筏を作って死海に浮かべます。その筏は、500個ものスイカと紐で結ばれており、スイカの中身の赤い果肉が、所々で露わになっています。その500個のスイカの中に、胎児のような姿勢で裸で浮かび、うずくまるのは作者自身です。そうして彼女は、死海の魅力に取り込まれていきました。


「左脳的にも、右脳的にも満足のいく答えを発見したのはその時よ。失われた愛する人は生き返らない。でも、その人と会う場所を創ることはできる。私は死海をそんな場所に変えたわ。そこは私が、報われない力を取り戻す場所になったの。」


彼女は、それから何年にも渡り、何度も死海を訪れます。そうして、その唯一無二の砂漠の土地を巡り歩き、その湖水地方だけにある特異な地質に呼応するかのような、何百もの芸術作品を生み出していくのです。


2017年には、死海で行なった制作上の様々な努力を紹介する本を出版しました。そこには、彼女の仲間であるクリエイターや科学者たちから、何故彼女が死海と切っても切れない関係にあるかを解き明かす様々なエッセイが寄稿されると共に、彼女自身の言葉で、「私の芸術家としての経験も、失敗も、そして成功も、全てこの土地が基になっているの。そこは私が留まるべき地。ここには、すでに私の一部となってしまった「何か」があるのよ」と語られます。


絶滅の危機に瀕している出版印刷の現状から、確かに出版という行為にはリスクがあることを彼女は認めています。しかし「紙に書かれた言葉への想いねぇ、… まあ塩は沈黙したままかな。そう、言葉というものは、私とって巨大な敵のようなものだけど、だからこそ向き合わなければならないもの、と考えているの。だって困難な時こそが、人生を活気のあるものに変えてくれるのですからね。」


シガリット・ランドーの作品作り

彼女が死海で考案した行為の一つに、いろんなものを水浸しにする、というちょっとした儀式があります。それこそ、靴から、ユダヤの典型的花嫁衣装から、タペストリーまで、何でもかんでも、この湖の特別な塩水に浸けてしまうのです。

そうした、彼女独自の洗礼とも言えるその行為を通じて、様々なものが塩と出くわした際の変化を写真に収めていくのです。

彼女にとって、塩のミネラルは、様々に隠された意味を覆っていきます。


「古い言葉で契約とは、塩で署名をする事でした。そして新生児には塩が振りまかれました。それは多産を寿ぐものだったのです。しかし反面、それは罰をもたらすものでもありました。敵対する人間の畑に塩を撒く事で、その畑を使えなくするなど、塩は殺人者であり、毒殺者の一面を持ちます。」


「その海は、私が支払った対価を分かってくれています」

その400ページにも及ぶ記述は、作家のそこでの作業の様子を述べただけのものではありません。人の手によって死海に負わせてきた変化の歴史にも言及しています。

死海は今も、様々な建設作業によって、日に日に侵食され、破壊され続けています。画家であり、研究家であり、芸術講師であるデイヴィッド・グロス博士がこの本に寄せた序文にもある通り、死海とは – その名前自体が示している通り – 死の象徴でもあるのです。


「死海は、現代の我が国での現実社会の縮図とも言えるでしょう。自己破壊的な生態系は、やはり不吉な最期を迎える運命にあるのです」


彼女の愛する湖に漂う、この引き伸ばされた運命に、彼女は大きな懸念を示しています。

「私は、ある意味寓意的なやり方で、死というものを私の作品の中で扱ってきました。しかし、今死海で起こっている事は、これっぽっちも寓意的などというものではありません。」


シガリット・ランドーの作品

こうして、彼女の願いを叶えるための野心的な夢の実現を遂げようと、10年前から、彼女は前に向けて物事を進め始めました。塩の橋、の建設です。それは死海を、イスラエル、パレスチナ、そしてヨルダンそれぞれの地域住民たちの出会いの場とする試みでした。イスラエル政府からも、ヨルダン政府からも、長期的な援助を必要とするこのプロジェクトは、現在、官僚的、財政的、そして外交的な壁に阻まれ、頓挫しています。


「この夢の火を絶やす事はできないし、諦めてはダメだと感じているわ。イスラエルとヨルダンの間の「冷たい平和」と呼ばれる時代は、去年、25年目を迎えましたね。両国の結びつきは緊張が続いているし、ますます関係は悪くなってきてる。でも、我々双方にこの死海を守っていく責任があるはずだし、生態系的な立場で考えれば、我々は手を携えてこの橋を維持していく必要があることが分かるはずよ」


その夢に向けて、彼女は死海に戻り続けること、そしてより外交的に、かつ生産的にうまく立ち回ることを約束してくれました。塩の彫刻の写真が飾られた工房の壁を眺めながら、その場で彼女は、この湖にまつわる聖書の有名な一節を朗じてくれたものです。それは、振り返るなと言われたにも関わらず、悪徳の街ソドムの破壊されゆく姿を一目見ようと振り返ったロトの妻が突然の死を迎え、神によって塩の柱にされたあの一節でした。


「彼女が振り返ったその行為、それそのものは、これからも繰り返し起こることでしょう。でも、それが私にとっての死海なんです。家でありながら、守られていない。しかし、芸術家の私にとって、家とは場所ではないんです。この考え方を、私はひとつまみの塩と共に学びました。そして、これが日々自分に問いかけている疑問なんです。私の作家としての半生を通じて、この工房が私の家でもありました。私が芸術家であり続けるために、私が今まで支払ってきた対価のことを、死海は分かってくれているんです。」


シガリット・ランドー Website

https://www.sigalitlandau.com/

シガリット・ランドー Instagram

https://www.instagram.com/sigalitlandau/