2020年の冬至からみずがめ座時代となり、200年ぶりの「風の時代」の到来だという事を聞いた事はありませんか?
ヘブライ語で、「風」は、「רוּח(ルアフ)」。そして「霊・精神=Spirit(スピリット)」は、「風」と同じく「רוּח(ルアフ)」という言葉を使います。
「魂=Soul(ソウル)」は「呼吸や息」と同じ言葉、「נֶפֶשׁ(ネフェッシュ)」といいます。
ルアフ(風)は、現代では、スピリチュアルな人等を指す時に良く使われますが、あまり定義ははっきりしてないです。
わからなさすぎて、イメージなんでしょうけど、風の兆しを読める人だったり、妖精のような人だったり。
ちなみに「風の時代」の前は「地の時代」。
現代ヘブライ語で「地」は「אדמה(アダマ)」。大地なので、下の方にあります。
日本語でも、頭の霊と書いて、「頭霊(あだま)」という言葉がありますが、これは、頭頂部から少し上の辺りの事を指します。
現代ヘブライ語で「地」は「אדמה(アダマ)」。大地なので、下の方にあります。
ユダヤ教の奥伝カバラ「生命の樹」でも、実はアダマが身体の上で、元来地上に出てる部分を指すツェマフ(植物)は身体の下に位置すると言います。
位置が上下反転しているように見えても、ダンサーの私からすれば全ては運動…。
つまり、アダマやツェマフは場所の名前ではなく「道筋」だと見えてきます。
ツェマフのルーツは、天から降りてきて地に為さしめられます。だから植物は上に伸び天へ帰ろうとする。
アダマのルーツは、地球で生きるための知恵ある所として地球の中心から知恵が上がってきて頭の位置にきて周りを見渡します。
どこをもって名を与えるのかというのが違うだけで、壮大な天地連動の運動の一部なのだと感じます。
ルアフと切り離せない人間
アダマの語源は、ダム(血)、アダム(人間)。
神様ヤハウェは、アダマ(土・地)から、最初の人間を作り上げました。
それがアダム。
「その鼻に、ルアフ(風)をかけて、ネシマ(息)をさせた」という事が、紀元前10世紀ごろに成立したと見られるヤハウェ信仰者による出典に記されているようです。
二元論主義とされるグノーシスの『バルク書』によれば、第二の男性原理エロヒム(万物の父)の天使が、第三の女性原理エデンまたはイスラエル(体は女性、足は蛇身)の女性体の部分の土からアダムを創り(蛇身の土から動物を創った)、エデンが魂を、エロヒムが霊を置いた…とされています。
色々な説がありますが、ここに描かれるのは「ルアフ spirit =霊(古代)=風(現代)」に対する概念のようなものがうまれてきて、人間が作り上げられたという点は、その他の宗教にも共通しています。
ルアフ、これは、僭越ながら私が、踊ってきた中で私を比喩するように言ってもらい、賞賛を浴びてきた言葉です。
響幻舞 kyogen
数年前から、響幻舞というものを踊っています。世界中で私がこの舞の唯一のダンサーです。
響く幻と書いて、「きょうげん」と読みます。
これまで何度もコラボレーションワークを行った、イスラエル人アーティストHila Laiser Bejaと話しあった結果、ヘブライ語では「הד לרוח ヘッドレルアフ」。
その意味は、日本語ヘブライ語共に書いて文字通り、つまり「ルアフ(幻)の波動共鳴」です。
響幻舞は、即興をベースとし、その場の必然に共鳴する事で踊らされます。
観客一人ひとりや、その時空が新たに「響く」事で、多くの人が何気にダンスを見に来ただけなのに、不思議と癒されたり、問題解決ができたという感想を頂きます。
祖先達から伝わる極意を組み込んだ、元来の大地へのご奉仕にする舞です。
傾舞(かぶくまい)という舞の前身とされ、創始者は師のJun Amantoさんです。
あなたはこの「響幻」を探しなさいと伝えられます。
「YUKO 響幻舞 kyogen mai 」
荒魂のイスラエルと幸魂の日本
イスラエルのダンスシーンの発展を引っ張ってきたコンテンポラリーダンス。
とても物質的でソウルフルなものが多いかもしれませんが、スピリチュアルなものは少なかったのかもしれません。
舞台上での儚い一瞬一瞬、その今にも消えそうな時を観客と共に一緒に見届けるような立場でありたい…そう思って踊っていると、よく観客に「あなたのダンスを見るには自分も透明にならないと見えない」と言われました。
物質ではなく、でも手ごたえのある形としてその場にある。
あらゆる物が躍動する様に感じることができます。
そんな時の観客の反応は絶大な物があり、きっと客席でも同じように感じてくれているのだと信じています。
スピリットは一つでも、ソウルには、特質が何種類かあるといわれています。
例えば、グノーシスでは2つ、日本では4つ…というように。
先述した、アダムである人間の創生の過程の「鼻にルアフ(風)をかけて、ネシマ(息)をさせた」というところですが、これは、ユダヤ的「ルアフ=風」とは、日本でいうところの「霊」。「ネシマ=息」とは、「魂」となったヘブライ語の語源と解釈すると、日本の神道「一霊四魂」と、重なります。
これは、舞の師のJunさんが公言されている内容なのですが、神道では「一霊四魂」といったりしますが、「一霊二魂」の時代があったそうです。
その昔、日本の白山あたりにあった二魂の一つが、外来のものによって盗まれた先が、イスラエル。それは「荒魂」だったそうです。
日本に残ったのが、「幸魂」。
その名残は、白山のあたり一帯に石のお柱にお祈りを捧げる、石柱信仰として残り、今も証明されていってます。
その昔といっても、20万年以上も前の話だそうで、それはネアンデルタール人くらいの話でしょうか…大陸が出来る前の、宇宙人の仕業としか思えような出来事です。
でも、どうでしょうか?
「和を持って、尊しとする日本」
「義を持って、善とするイスラエル」
そしてその当時、神様がなされた偉業、人間であるアダムの創生に使われた、風のルアフ(霊)と息のネフェッシュ(魂)。
あまりにも、よく出来ていると、思いませんか?
風の時代は、ダウンロード型の身体
こういった事を、私はなにも学ばず勝手に知っていきました。まるで、クラウドにあった先祖代々の智慧を私の身体にダウンロードしたようです。
日ユ同祖を研究したわけでもなく、踊りを通して、イスラエルやヘブライ語を理解する過程には古代の生きる叡智が満ち溢れていました。
日本人である外見も助けるのでしょうが、どこに立たせても、抽象的存在になるのがイスラエルで踊る日本人ダンサーです。
ソウルフルだけどスピリチュアルではなかったイスラエルダンスシーン。
少なくとも私の所属するカンパニーや関わるアーティスト達は、彼らの文化の奥深くにしまいこんできたルアフ=風=霊というものを使い始めていたように思います。
なにかをこの目でみているのに、それがなにかわからないし、わからなくてもいい…。
そんなルアフの空白な時間の機会を、イスラエルの観客は求め始めているようでした。
その後、私は次第に、建築家や画家の人たちにまで、色んな場所に呼ばれ、即興で踊って欲しいといわれるようになりました。
彼らはもちろん踊りのプロではないから、どうして欲しいという指示は、ほとんどなく、こんなイメージとだけ伝えてきます。
要するに、生命を吹き返す唯一の瞬間に出会いたい…というような感じでした。
いつしか、そのルアフな踊りをするYUKOは、魔除けや祓い清めもできるの?というふうに、訳ありな物件廃屋や、使用済みの戦車やモニュメント、テロの現場などに、呼ばれるようになっていくのでした。
つづく・・・
響幻舞が、うまれかけていた頃
当時、私は、この世の中で、ダンスなんて生産性もない事を続けて、明日消えてしまっても何の変わりもないと思ってるうちに、ネゲヴ砂漠の果てまでたどりついた。
電気も水道も離れ、道で目に入る緑を天ぷらにして、おしっこですら大切にとっておい て裸足で過ごした。叫ぶような溜息がでる美しすぎる朝日と夕日を、来る日も来る日もにらみつけて「…ほんで、、なんやねん?!」と半分怒ってた。
その質問の生産性のなさに呆れ疲れ、また舞だけが残った。
すると、必ず答えがあった気がします。
今だ!と感じる時、カメラと周りの人も巻き込んで即興で感じるままに踊る。
ある条件が揃うと、自然現象が色々な演出をしてくれる。
風、雷、光、雨、の一部である「幻」を投影すると、叫ぶような溜息が体中から舞う。
YUKO