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エルサレムとは?3つの宗教の聖地が集まる理由

by ISRAERU 編集部 |2023年01月26日

エルサレムは、イスラエル国の東部に位置する都市です。その長い歴史から、世界最古の都市のひとつであるといわれています。


オリーブ山から見たエルサレムの風景

エルサレムが世界から注目される理由は、その特殊性です。エルサレムには、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」キリスト教の聖地「聖墳墓(せいふんぼ)教会」イスラム教の聖地「岩のドーム」があります。3つの宗教の聖地は、城壁に囲まれた0.9平方キロメートルの旧市街区の中に共存しているのです。エルサレムの旧市街区と城壁群は1981年に世界文化遺産に登録されており、世界中の人々が聖地巡礼に訪れています。


エルサレムとは?

1860年代までは旧市街区のみがエルサレムと呼ばれていました。その後、徐々に面積を拡大したものの、現在のエルサレムの面積は、郊外を含めても652平方キロメートルとそれほど広くありません。東京23区とほぼ同じくらいの広さだとイメージしてみてください。エルサレム旧市街区の区画は、キリスト教徒地区、イスラム教徒地区、ユダヤ人地区、アルメニア人地区、神殿の丘の5つに分かれています。


エルサレム旧市街の地図 ©Obendorf

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なぜエルサレムに聖地が集まっているの?

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地が集まるエルサレムは、3000年にもわたる歴史をもっています。エルサレムに聖地が集まる理由は、3つの宗教が同一の神を信仰しており、根本は同じであるためです。歴史的には、ユダヤ教の経典であるタナハ(キリスト教における旧約聖書)からキリスト教の新約聖書やイスラム教のコーランが生まれたといわれています。


エルサレムは、もともとユダヤ人の住んでいた土地でした。ユダヤ人は、民族宗教としてユダヤ教を信仰していたのです。実際に旧約聖書には、エルサレムの土地は神によってユダヤ人に与えられたと書かれています。


11世紀にイラクで発見された写本 (Schøyen Collection MS 206, Oslo and London)

モーセの十戒の石版が祀られていたエルサレム神殿

紀元前1000年には、エルサレムの地を治めていたソロモン王がエルサレム神殿を建設しました。エルサレム神殿には、ユダヤ教の指導者であるモーセが神から授かった十戒の石版がまつられていました。エルサレム神殿は、紀元前586年にバビロニア帝国により破壊されたものの、のちにユダヤ人により再建されます。紀元70年には、エルサレム周辺はローマ帝国の支配下となり、神殿は再び破壊されてしまいました。この破壊された神殿の壁は「嘆きの壁」と呼ばれ、ユダヤ人が祈りをささげる聖地となったのです。


エルサレムのソロモン神殿を視覚的に再現したもの。
1886年にライプツィヒ近郊のロイトニッツにあるA.H.Payne社から出版された『Illustrirte Familien-Bibel nach Dr. Martin Luther 』に収録されている。

イエス・キリストが十字架にかけられた土地

エルサレムの地は、イエス・キリストが十字架にかけられ処刑された土地でもあります。
イエス・キリストはナザレというイスラエル北部の田舎に生まれ、30歳の頃から宣教活動を始めます。のちにイエス・キリストの教えは、弟子たちの宣教活動によって、ユダヤの地を越え、広くローマの首都まで広がりました。しだいにイエス・キリストの反政府運動ともとれる動きに脅威を感じるようになったのがユダヤ教の指導者たちです。そこで、ユダヤ教の指導者たちは当時土地を支配していたローマ帝国と結託し、エルサレム近郊でイエス・キリストを処刑しました。こうしてイエス・キリストが処刑された地であるエルサレムの「聖墳墓教会」は、キリスト教の聖地のひとつとなったのです。


預言者ムハンマドが神の言葉を授かった土地

イスラム教にとってもエルサレムは重要な土地です。イスラム教の預言者ムハンマドは、エルサレムで天に昇り、神からの言葉を授かったといわれています。エルサレムでムハンマドが昇天した場所に「岩のドーム」が建設され、イスラム教徒の聖地となりました。イスラム教はアラビア半島で発祥し、メッカを中心に広がったといわれています。しかしながら、ムハンマドの伝承によりエルサレムはメッカやメディアに次ぐ聖地となっているのです。イスラム教は、ユダヤ教やキリスト教の後に生まれた宗教です。そのため、イスラム教では、モーセやイエス・キリストのあとにムハンマドの前に神が現れ、人間との間に再び契約を結んだと考えられています。


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エルサレムに集まる3つの聖地

エルサレムの旧市街区には、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」、キリスト教の聖地「聖墳墓教会」、イスラム教の聖地「岩のドーム」があります。エルサレムに集まる3つの聖地を現地の写真とともに紹介します。


ユダヤ教|嘆きの壁

「嘆きの壁」は、かつてローマ帝国により破壊されたエルサレム神殿の壁です。エルサレム神殿は、当時の首都エルサレムの北側にありました。現在は「神殿の丘」と呼ばれているモリヤの丘に建てられていたといわれています。神殿が破壊されたあと、残った壁を訪ねてユダヤ人が祈るようになりました。


嘆きの壁

「嘆きの壁」と呼ばれるようになった経緯は、諸説あります。ユダヤ教徒の祈っている姿が嘆いているように見えることから「Wailing Wall(嘆いている壁)」と呼ばれるようになったといわれています。また、壁が朝方に夜露でぬれて泣いているように見えることも「嘆きの壁」と呼ばれるようになった理由のようです。「嘆きの壁」は、神殿のちょうど西側にあたるため「西の壁」とも呼ばれています。


ユダヤ教の聖地である「嘆きの壁」には、毎日多くのユダヤ教徒が訪れています。「嘆きの壁」で祈りをささげるユダヤ教徒は、主にエルサレム神殿の再建とメシアの再来を祈っているといわれています。毎年7月末から8月にある「神殿崩壊日」という記念日には、信仰の深いユダヤ教徒は肉食を控え「嘆きの壁」へ祈りをささげています。


「嘆きの壁」はユダヤ教の聖地であるものの、どの宗教の信徒も訪れることが可能です。「嘆きの壁」は、嘆きの壁広場というエリアにあります。嘆きの壁広場のセキュリティチェックを抜けると、高さ19メートル、幅57メートルの石壁を見ることができるでしょう。これは「嘆きの壁」の一部であり、実際には全長490メートル、地下13メートルの壁が埋まっています。



「嘆きの壁」の前では、黒い衣装をまとったユダヤ教徒が祈りをささげる敬虔な姿を目にするでしょう。壁に寄り添って祈りをささげる人や口づけをする人、涙を浮かべて一心に聖書を読む人など人々の信仰の深さを目の当たりにすると、胸を打たれるものがあります。


「嘆きの壁」を礼拝する際には、きちんとマナーを心得ておきましょう。男性はキッパと呼ばれる帽子の着用が義務付けられています。キッパは、現地で無料レンタルが可能です。女性は、肩や膝から上の露出は避けてください。女性には肌の露出を避けるスカーフの貸し出しもあります。


エリア内には、ユダヤ教徒たちが礼拝するウィルソンズ・アーチや西壁の地下トンネル、ユダヤ人や第3次中東戦争の歴史を学べるジェネレーションズ・センターもあります。


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キリスト教|聖墳墓教会

「聖墳墓教会」は、キリスト教最古の歴史ある教会です。西暦326年にローマ帝国皇帝コンスタンティヌスにより建設されました。コンスタンティヌスは、キリスト教を初めて公認したローマ帝国皇帝といわれています。「聖墳墓教会」は、イエス・キリストが十字架にかけられて処刑されたゴルゴダの丘に位置しています。ゴルゴダの丘の場所は、2度にわたるローマ帝国との戦争やその後の再開発により、一時不明となっていました。ゴルゴダの丘の位置は、ローマ皇帝コンスタンティヌスの母親であるヘレナがエルサレム巡礼により特定したといわれています。


ゴルゴダの丘に建設された「聖墳墓教会」は、西暦1009年にファティマ朝に破壊されたり、西暦1033年に大地震で崩壊したりと幾多の災難に見舞われました。西暦1042年には、コンスタンティヌス9世により改修されています。現在の「聖墳墓教会」の基礎は、西暦1099年にエルサレムを陥落させた十字軍により整備されました。ドームに結合したロマネスク様式の美しい教会は、多くの人々の心をひきつけています。


聖墳墓教会

「聖墳墓教会」には、日々多くの巡礼者や観光客が訪れています。混雑時には教会内部への入場が規制されることがあるので、注意しましょう。教会の内部に入ると、まず正面入口に十字架から降ろされたイエス・キリストに香油を塗ったとされる赤大理石の板があります。入口の左手にある礼拝堂の中央には、イエス・キリストの遺体を埋葬した墓があります。この墓は、イエス・キリスト自らが十字架を背負い処刑場まで歩いたヴィア・ドロローサ(苦渋の道)の終着点とされています。そのほかには、モザイク画やギリシャ正教の祭壇などが教会内部に置かれています。


イスラム教|岩のドーム

「岩のドーム」は、西暦691年に建設された現存する最古のイスラム建築といわれています。ウマイア朝の第5代カリフであったアブドゥルマリクによって建設されました。「岩のドーム」は、エルサレムを占領したカリフの名前から「オマル・モスク」とも呼ばれています。「岩のドーム」とキリスト教の「聖墳墓教会」の大きさはほぼ等しいことから、当時キリスト教と張り合うために築かれたとの説もあるそうです。


岩のドーム

「岩のドーム」は、過去に何度も修復されたものの、基本的な姿は建設当時のままであるといわれています。黄金のドームと青の幾何学模様のタイルが美しく、訪れる人の目をひく建築物です。イスラム教の第3の聖地とされており、「岩のドーム」の一帯は「神殿の丘」とも呼ばれています。イスラム教の聖地であるため、イスラム教徒以外は中に入ることはできません。


「岩のドーム」は、建築時には礼拝の場としてではなく、「聖なる岩」を覆う目的で建築されました。コーランによると、イスラム教の預言者ムハンマドが大天使ガブリエルに導かれ「聖なる岩」から光のはしごを昇り、天国に渡ったと言い伝えられています。ムハンマドが天国で神の御座にひれ伏し啓示を受けたことで、西暦610年からイスラム教の歴史が始まったのです。「聖なる岩」には、天国から戻ってきたムハンマドの足跡が残っているといわれています。また、「聖なる岩」に開いている穴は魂の井戸と呼ばれ、イスラム教徒から崇められています。預言者ムハンマドの逸話により、エルサレムと「聖なる岩」は、イスラム教にとっても聖地となっているのです。


「岩のドーム」の内部はイスラム教徒しか入れないものの、「岩のドーム」のある「神殿の丘」には異教徒でも入ることができます。「神殿の丘」に入ってすぐに「アル・アクサー・モスク」という礼拝堂があります。さらに進み階段を登ると、金色の屋根と美しい装飾の「岩のドーム」が目に入るでしょう。「神殿の丘」の南西にある壁の一部はユダヤ教の聖地「嘆きの壁」です。「神殿の丘」を訪問する際には、イスラム教のルールに従いノースリーブなど肌の露出がある服装は避けましょう。



まとめ

エルサレムは、長い歴史を持つ世界最古の都市のひとつです。エルサレム旧市街と城壁群には、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」、キリスト教の聖地「聖墳墓教会」、イスラム教の聖地「岩のドーム」がひしめきあっています。3つの宗教の聖地がエルサレムに集まった背景には、各宗教の起源が大きく関係しています。いずれの宗教も同一の神を崇めていることから、ユダヤ人の民族宗教であったユダヤ教からキリスト教やイスラム教が派生したともとらえることができるでしょう。


エルサレム旧市街と城壁群は、世界文化遺産に登録されています。世界中からさまざまな宗教を信仰する人々が聖地巡礼に訪れる貴重な場所です。世界の三大宗教の人々が共存する姿は、エルサレムでしか見ることができないでしょう。イスラエルを訪問される際には、ぜひエルサレムを観光してみてください。


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