なにも大きなことは起きていません。ベッドに横たわる女性。ソファにもたれかかる女性。ぼんやりと宙を見つめる女性。けれど、彼女たちは確かにそこにいます。イスラエルの若手画家トム・ピマの新たな個展が、7月3日、テルアビブのベエリ・ギャラリーで開幕しました。キュレーションを手がけるのはロン・バルトシュ。会場には、日常の室内空間にいる若い女性たちを描いた、親密で静かな絵画作品が並びます。

目次
デジタルの時代に、あえて「描く」ということ
1996年生まれのトム・ピマは、バルセロナの美術アカデミー(BAA)で学び、テルアビブ大学の映画・テレビ学科で学士号を取得した画家です。
彼女の作品に一貫しているのは、女性の「存在」を間近から見つめる視線です。
その絵画表現は、視覚的な誠実さと技術を重視する写実的、アカデミックな絵画の伝統を基盤としています。一方で、正確さや規律だけにとどまらず、「Bravura(ブラヴーラ)」と呼ばれる、大胆で自由な筆致も取り入れています。
確かな技術を持ちながら、筆の動きそのものには自由がある。しかし、それは画家の技巧を誇示するためのものではありません。ピマが強い関心を寄せているのは、「絵を描く」という行為そのものなのです。
画像や映像が絶え間なく生み出され、スクリーンとAI、そして自動化された技術が私たちの日常を覆う現代。そんな時代だからこそ、ピマは人間と素材、そして創作との直接的な関係に目を向けます。
若い世代の一部に見られる、手仕事や技術そのものへの新たな関心。それは、急速にデジタル化していく世界の中で、もう一度「自分の手で何かをつくる」という感覚を取り戻そうとする動きなのかもしれません。

ベッドルームやリビングにいる、同世代の女性たち
ピマの絵画の舞台は、多くの場合、日常的な室内空間です。自宅のベッドルームやリビング。時間は遠い過去ではなく、「今」あるいは「昨夜」「少し前」。室内を照らすのは人工的な光です。均一で、ときには冷たく、容赦のない光。
そこに描かれているのは、すべてピマと同世代の若い女性たちです。彼女の友人や、身近なコミュニティにいる人々がモデルとなっています。
作品の中で重要な役割を果たすのが、身体と布の関係です。視線、姿勢、露出した肌。そしてレースや衣服の折り目、赤い糸。
女性たちの動作はとても小さなものです。横になる。寝そべる。何かにもたれる。座る。
そこには明確な目的も、劇的な物語もありません。ただ、ぼんやりと見つめること。自分の内側に閉じこもること。何か小さな作業に集中すること。
その姿は、目覚めと眠りの間にある「入眠時」の意識、あるいは眠りから目覚める直前の曖昧な感覚にも似ています。静かでありながら、どこか緊張している。
ピマはそんな現代の人間が抱える、宙ぶらりんの感覚を描いています。

「マニキュアは、暗闇に飲み込まれないための最も安い方法」
今回の展覧会を象徴する言葉があります。
「マニキュアは、暗闇に飲み込まれないためにあなたが見つけた、最も安い方法」
アルゼンチンの作家マリア・ガインサが、著書『Optic Nerve(視神経)』の短編の中で記した言葉です。
マニキュアは、小さな装飾です。
自分自身を楽しませる行為であり、日常の中にある、ごく小さな美的行為でもあります。
しかし同時に、それは自分の手元に意識を集中させ、形を整え、丁寧に手入れをすることでもあります。
不安や「暗闇」に包まれた現実の中で、自分がコントロールできる小さな領域に集中する。
ガインサは、その行為について「自分を現在にとどめ、自分自身のほんの小さな部分に集中させてくれる」と表現しています。
それは、ピマにとっての絵画にも重なります。
マニキュアの小さなブラシと、画家の絵筆。
どちらも、注意深く手を動かしながら、形を保ち、存在を確かめ、意味をつなぎとめようとする行為なのです。

画像が一瞬で生まれ、消えていく世界で
私たちは毎日、膨大な数の画像を目にしています。
SNSのタイムラインをスクロールすれば、写真や動画が次々と現れ、そして数秒後には視界から消えていきます。AIによって新たな画像を瞬時につくることも、もはや特別なことではありません。
そんな時代に、トム・ピマは絵画の力を信じています。
一枚の絵が、一つのイメージをつくること。一人の人物を描くこと。
そして、その存在をそこにとどめること。
ピマの絵の中にいる女性たちは、何か大きなことをしているわけではありません。
ただ、そこにいます。
しかし、それこそが彼女の絵画が求めているものなのかもしれません。
画像が次々と生まれ、瞬く間に消費されていく世界で、ほかのイメージにはできないこと。
——そこに、残り続けること。
トム・ピマの絵画は、静かな筆致でその可能性を問いかけています。
*本記事はイスラエルメディアPortfolioの報道をもとに構成しています。


