グラフィックノベルを制作しているバヴアが、イスラエルのささやかな日常の物語を綴っていく連載「グラフィック・ノベルで綴るイスラエル」。
11回目の今回は、イスラエル北部のツファットで出会った宗教家の父子のお話です。
解説
皆さんは「父親」の「あるべき姿」についてどう思いますか。この作品は、バヴアの井川がイスラエル北部のツファットで見た光景をもとに作品を作りました。
ツファットに出かけた私は、ユダヤ教の宗教者の親子が「ミクヴェ**」という沐浴場に入っていくところを見かけました。実は、私もミクヴェに入りたかったのですが、他人同士で水槽に入るのは気が引けてしまうほどの大きさです。親子の沐浴が終わるまでしばらく待つしかなかったので、建物の入り口の前で腰をかけました。
すると、物語に描いたような親子のやりとりが聞こえてきたのです。「声」というものは不思議で、「姿」という情報がないと様々な想像を引き立てる力があるかと思います。父親は「さあ、潜るんだ」と子供たちに言い続け、子どもたちは「冷たいよ」と父親に言い続けていました。
彼らの会話を聞いていると、正直、父親が嫌がる子どもに沐浴を押し付けているように聞こえましたが、お子さんを持っている読者の方は別の受け止め方をするかもしれません。また、私は母子家庭で育ったので、父親という大人の男性の存在を日常的に、そして身近に体験したことが比較的少ないかと思います。厳しいタイプの父親を持たれた読者であれば、私のようなミクヴェでの体験をしたとしても、何も心に止まらなかったかもしれません。あるいは、私以上に不愉快な感覚に陥ったのでしょうか。
自分の入る番をだいぶ待った後、ようやく子どもたちだけが出てきました。すると父親がミクヴェで沐浴を始めたのか、物凄い勢いの水の音が何十回も聞こえてくるのです。私は少し待ちくたびれ始めました。
やっと父親がミクヴェから出てきた時は、彼と会話を交わす機会があったのです。大人同士で話してみると、彼は意外とそつがなくなかなか好感を持てる人かもしれないと感じました。そして、彼が私と同郷のフロリダ南部の出身だということも分かりました。彼と別の出会い方をしていたら、会話が自然に長く続けられていたのかもしれないと思いました。
自分と年齢が同じ位の30代前半の父親は、ミクヴェに身を投げながら、どんな思いを抱えていたのでしょうか。ユダヤ教徒のミクヴェの伝統と日本人の温泉の伝統を似ていると言う人もいますが、人が体を洗う時は心も洗う…イスラエルの宗教者の父親から皆さまはどういう印象を受けましたか。
メッセージをbavuah2020@gmail.comへ寄せて頂けたら嬉しいです。次の作品が最終回となります。
* 1コマ目の「アバ」は、ヘブライ語で「お父さん」という意味
**ミクヴェとはユダヤ教の身を清める沐浴施設
ガル・ショハム・シェフターはテルアビブ生まれで29歳のアーティストです。最近、ご主人と息子さんとともにイスラエル北部のキリヤット・ティボンに引越したばかりです。高校生の頃にイラストを描き始め、それ以来作品を制作しています。彼女は、2017年にシェンカーカレッジのビジュアル・コミュニケーションコースを卒業しました。ここ数年は、ハイテク業界を中心にイラストレーターとして仕事をしていましたが、現在は、今までない新しい分野に活動を広げたいとのことです。
ウェブサイト: https://www.galshechter.com/
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