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本能的な移民の旅に金色のハートを探して

画家ケン・シシュのスタジオを訪ねる

by Art Source |2021年08月24日

イスラエルアーティストケン・シュシュの作品

美しさの中に突然リアリティが舞い込んできた時、感覚が揺さぶられる違和感「不気味の谷」をご存知でしょうか?大胆で本能的な作風で知られるイスラエルの現代アーティストのケン・シシュさんの作品は、時にそんな体験を私たちに届けてくれます。自身も移民として育ち、放浪に憧れながら、人々の瞳に“愛”を問いかける彼女のストーリー。それは、クリスピーで穏やかな人柄だからこそ、冷静に混沌を受け止め続けて培われたものでした。



インタビュアーがそんな彼女に引き込まれる度、優しく微笑んで教えてくれた「とっておきの頭の中」をご紹介します。


小さなキャンバスに豊かなタッチで描かれた森に浮かぶ、ピンクの生き物。ミステリアスな天使にも見えるその生き物は、ハート型の頭と細長いフォルムが印象的。瞳から黒い涙が流れている以外は、人間や動物を識別するような特徴はありません。


彼は私たちの友達なのか、それともまだ知り合ってないだけなのか?何かが足りないような気がしますが。」とケン・シシュは問いかけます。


その日、インタビュアーである私はテルアビブにある彼女のスタジオに呼ばれました。テーブルの上に置かれた絵具と私の間を、首をかしげながら素早く行ったり来たりするシシュさん…。


あなたはエネルギーがとても赤いのね」と唐突に私に言い放ったかと思えば、続けて親指と人差し指に赤い絵の具をつけて、キャンバスにぶちまけました。そんな光景を見た後に、彼女と一緒に作品の前に立つと、荒涼とした、しかし神々しい作品のタッチが、よりバランスのとれたものになっているように感じられます。


彼女は満足げに微笑みながら「作品について、言葉で説明はできないわ。言ったでしょう、その時が来れば分かるの。絵が私たちに語りかけてくるのよ。」


イスラエル北部の都市・サフェド出身のシシュさんは、絵画やインスタレーションの作品を国内外で発表してきました。その度に批評家や訪れたファンたちからインスピレーションの源は果たして何なのか?と答えを求められてきましたが、どこ吹く風といった様子の彼女の作品の奥底に潜んでいるのは、抽象的で散文詩のようなコード。見る者はただ驚かされるばかりです。本人曰く、どうやらチュニジアからイスラエルに移住したユダヤ人である両親を、“失われた文化遺産のプロローグ”とし、その時の“混沌“を作品の中で蘇らせようとしているのだとか。


子供の頃に見た牧歌的な田舎の風景や、育った家の中東要素が、シシュさんの美学の根幹を支えています。そんな彼女が大人になり、今は最もシンプルで最もつかみどころのない感情である「愛」にインスピレーション源を求めるそう。


「インスピレーションは、きっと人が動くのと同じように、人が成長して自分自身になっていくのと同じリズムで動いていくものなの。今のところ、私のインスピレーションは愛ね。私は本質的に愛に満ちた人間だと思っているから、いつもハートを描くのでしょう。娘への愛、パートナーへの愛、一般の人々への愛、食べ物への愛、旅への愛など、愛はすべての核だから。絵を描くという奇跡への愛が私を創作活動に導くわけね。ちなみに、私にとっての“愛”という言葉には世界の全てが含まれているかな。」


イスラエルアーティストケン・シュシュの作品
Khen ShishPink Bride, 2019-2020

百聞は一見にしかず

もっとも、他のアーティストの作品とは一線を画す思慮深さが伺える点が彼女の作品の特徴と言えるでしょう。


彼女の最新作は、自信に満ちた絵画全体とそこに広がるピンクとゴールドが大胆な作品です。作品を見る者の心を捉えて離さないのは、人が潜在的にアーティストに期待している何かを視覚的なコードで構成しているからでしょう。


例えば、巨大なキャンバスに描かれた、白と黒の優雅な鳥の頭が互いに近づき、キスをしようとしているような作品。恋人たちが、中世の教会のビザンチン様式のモザイクを思わせる金色を背景に、永遠に“夢中”になっているかのようです。いつでも、どこでも、時には愛のこもった鳴き声をあげているかもしれません。しかし、一見美しいこの光景は、鳥の瞳からは涙がこぼれ落ちており、どこか不穏な雰囲気を醸し出していると同時に、鳥の頭上には不吉なサインのように大きな3つ目の目が描かれています。


イスラエルアーティストケン・シュシュの作品
Khen ShishPink Bride, 2019-2020

「”目 “は、私の絵の中で最初に登場したモチーフで、視線を表しているわ。私が絵を見る時、絵が私を見返しているように感じるの。一人一人が違った見方で絵を見ている限り、描かれた目からの見返し方もそれぞれね。」


「実は、目のモチーフが表しているもうひとつの側面は、私が見る力を失うことへの不安。目で見るという物理的な能力だけではなく、自分の絵を批判的に見て、それが完成しているのか?もっと手を加えなければならないのか?判断する創造的な能力ね。それは説明のつかない能力よ。ほら、あなたは美術評論家でしょう。あなたは絵を描けないかもしれないけど、私の絵を見てそれを理解している。いかに目は当たり前に重要な基盤となっていて、ツールだということがよくわかるわけね。目がなければ、私は絵を描くことができないもの。」


インスピレーション源に刺激され、イメージが生まれては消えていく中で、なぜ目のモチーフが絵の中で繰り返されているのか、思わず聞いてみました。すると、あっけらかんと「あまり気にしていないのよ。そのくらい絵を描くということは、私にとって自然なこと。朝起きてコーヒーを飲むようなものよ。娘を妊娠しているときは、妊娠している鳥のようなフィギュアを描いていたわ。妊娠後は描かなくなったから、ある意味理にかなった手法なのよ。


彼女の作品を他のアーティストの作品と区別するための、もう一つの視覚的なヒントはまさにパレットの力強さ。極端な色調を恐れないシシュさんの絵には、黒、緑、そして彼女の悪名高き“ホットピンク”がよく組み合わさっています。「私は絵を描くとき、よく配色のことで葛藤するの。ピンクを選ぶとキッチュになってしまうし、ピンクを使っても黒の印象が残るようにしなければならない。まぁ、職業病ね。私が絵を描き始めた頃は、アーティストが独自のモチーフや色の世界を作らなければならないという定説を知らなかったから、私の彩色に関するこんな行程は、スタジオで仕事をしているうちに、その過程で自然派生的に生まれたものかもしれないわ。



部屋の片隅のスーツケース

「私自身が遊んで、楽しむためのラボ」とシシュさんが呼ぶこのスタジオ。コーティングが剥ぎ取られた壁を見ていると、フロイトの言う「不気味さ」(見慣れた環境の中で突然認識される異質さ・恐ろしさ)という概念を思い出さずいられません。


シシュさんのスタジオは、この14年間、彼女の家も兼ねています。以前は別の場所に住み、さまざまなスタジオを借りていたそうですが、オラニム大学で美術学士号を取得し、ベザレル芸術デザインアカデミーで美術修士号を取得するまでの間に、ヨーロッパ中に旅に出てその場その場で絵を描く習慣を身につけた結果、最も身近な環境を仕事や探求の場に変えていったようです。


いつも家でばかり仕事していたから、どこにいてもくつろぐことができなかったわ。」と思い返すこともあるそう。


「自分の家が欲しいと思ったことはないわ。娘が生まれるまでは、いつも家具のない生活をしていたの。娘が生まれるまでは、家具を置かずに生活していたし、玄関にはスーツケースが転がっていたから、今にも旅立ちそうな雰囲気だったわね。今でも、私を訪ねてくる人は、部屋を見るなり何が起こっているのかよくわからなくて、とてもオルタナティブな空間だと思っているみたい。そう聞くと、移ろいやすい人間のように思われるかもしれないけれど、そうでもないわ。何があってもここには花束があるし、料理が好きだからいつも食べ物がある。私にとって家とは、家具があることではなく、安らぎを感じることよ。」


シシュさんのこのノマディックなライフスタイルは、彼女の作品からも見て取れます。例えば絵画に登場する穏やかな人物は、性別や年齢に関係なく、特定の地域に限定することが難しい想像上の設定に留まっています。さらに、ユダヤ教の祈祷書の装飾を思わせるモチーフや、ヘブライ語の単語がさりげなく挿入されていることから、シシュの作品のほとんどを、移民の絵日記として読み直してみるのも興味深そうです。


「 “移民”という感覚については常に考えているし、私にとっては世界旅行に近いものね。 どちらかというと”放浪 “に惹かれるのかしら。私は両親ともに移民だから、DNAにも移民の要素が含まれていると思うの。移動することを恐れないし、幼い頃から海外旅行をしたり、一人暮らしをしたり、一人でアパートを借りたりしていたわ。言葉が通じなくても、どうにかして仲良くなろうと努力したのも、移民が持つ生存本能の一部だから。」



ある場所から次の場所へと一気に移動する感性は、以前からシシュさんのアートで表現されてきました。1999年、自身の移民の経験をテーマにしたプロジェクトを開始。後にエインハロッドのミシュカン美術館で「Mother Tongue(母語)」と題した展覧会を開催しました。この展覧会では、チュニジアからのアラブ人移民である「ジャミラ」という人物をテーマに生活した2年間の絵葉書や手紙が展示されました。


展覧会から時間が経っても、シシュさんのこのテーマへの関心は衰えるどころか、現在では、より繊細に作品に反映されています。「移民の気分を味わいたいときは、スケッチをしたり、紙の上で作業をしたり。また、重くて母性的な気分になることもあって、その時はキャンバスを広げて油やアクリルを使って制作に集中するわ。アートはあなた自身であり、あなたが世界で自分をどう見ているかを反映するってことを蕩々と実践するの。


ペインティングとの交渉

常に新しい領域に足を踏み入れているという感覚が、シシュさんのスタジオでの技術面の追求も支えています。「いつだって何が起こってもおかしくない。一杯のコーヒーを淹れて、その一部がこぼれてシミになっても、突然インスピレーションが湧いてくるから。


実はエルサレムのティチョ・ハウス・ミュージアムで開催された彼女の展示会も、同じような経緯で実現したものです。10年前、彼女は紙の上にインクをのばし、それが表面に広がって新しい形になるまで放置するという実験を始めました。最近この手法に回帰し、さらに作業した紙を二つ折りにして、インクの染みにアレンジを加え、自分が求める形にたどり着くまで手作業を重ねました。


結果、「Looking for a Beautiful Heart(美しいハートを探して)」と題した一連のインクブロット作品が完成し、展覧会では目玉の一つとして展示されました。レビューでは、心理テスト「ロールシャッハテスト」の染みを彷彿とさせるような、新しい抽象芸術へのシシュさんの意外な進出と評価されるなど、好評を呼びました。


私は思わず彼女に、このシリーズは「名前」と「控えめな作品サイズ」のおかげで、触覚的で音楽にも通じる敏捷性があると伝えました。この作品を前にして、シシュのアイコンであるハートのモチーフが、不定形のシミの輪郭の中にあることに気づき、ニール・ヤングの「ハート・オブ・ゴールド」の歌詞を思い起こさずにはいられなかったのです。


そのことを聞いたシシュさんは優しく微笑みました。「このシリーズは、一見、抽象性を極限まで表現しているように見えるかもしれないわ。でも、この絵を見た人たちは、“絵の中に様々な形を感じた”と。葉っぱ、花、鳥、フクロウ、ヴァギナ。私がこの作品を「Looking for a Beautiful Heart」と名付けたのは、この作品を通して私が求めているのは、見る人の美しい心、寛大さですし、それは見る人自身も求めているのでしょうね。どんな形であれ、素直に作品に近づき、そこに純粋に美を求めてもらいたい。そして、心を寄せていただきたいわ。


シシュさんは、これらの作品を制作するに至った個人的かつ本能的な“移民”としての旅に思いを馳せ続けます。「私が “美しい心を求めている”というのは、本当は “寛容さ”を求めているの。パートナーに、娘に、私の作品を見てくれる人たちに、そして仕事をしているときに私を囲んでいるこの壁に。一緒に仕事をしているこの書類にも。“固くならず、私に差し出して“と。つまりは絵との交渉のようなもので、私を受け入れてくれるようにお願いしているのよ。


http://www.khenshish.com/


テキスト:Joy Bernard


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