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Art

EART LIFE in Jerusalem 第七回 |イスラエルへの恩返し

世界最前線のイスラエルへ、同じ古層文化を持つ日本人が出来ること

by YUKO IMAZAIKE |2021年03月22日

エルサレムから思いを馳せて、見つめていた日本の方角、東。天に浮いているように見えるのはヨルダンです。

こんにちは。イスラエル在住11年のダンサーで、アート活動「AManTo EART Jerusalem(※以下エルサレム天人)」代表のYUKOです。



金融やテクノロジーが発展し、芸術も盛んな上、ユダヤ教の奥伝が残るとてもユニークな国、イスラエル。そこになにか足りないものがあるとしたら、何なのでしょう?

その足りないものこそ、長年現地に住み正負の両面を見てきた私が、イスラエルにお返しできるものなのではないか―。そうした仮説の下、作り上げたのがエルサレム天人という場所です。(第1話参照)


今回は、私が見つけた日本からイスラエルへのお返しの形を紹介します。


業と徳の概念

私が考える「イスラエルに足りないもの」とは、「業」「徳」という概念でした。


「業(ごう)」は、パーリ語やサンスクリット語のカルマに由来し、仏教の基本的な概念で、因果関係のある行為を意味します。「業=カルマ」というと仏教的な輪廻転生だけを指していて、ユダヤ教徒には前世も後生も関係ないのではないかと思われるかもしれません。
でも実は、「業」の概念は、ユダヤの教えにもあります。


月一、「響幻舞」パフォーマンスにて。地元の方々との瞑想の時が流れる。ある時、アマントの地下に洞窟を発見!その昔、貯水庫があったそうだ。その更に昔は、ミクべ(ユダヤ教徒の沐浴場)だった。photo by Shimon Bokshtein

その表れの一つは「懺悔」です。
一年に一度、ヨームキプール(大贖罪)の日は「懺悔・悔い改め」をします。
神道でいう「祓い清め」の役割に当たりますが、では、なぜ祓い清めをするのかというと、積み重ねた「業」の清算のため。
そして、なぜ清算するのかというと、「魂を進化させるため」です。
つまり、この「業」の概念があるところでは、人生を「修練場」と捉える傾向があります。


そしてユダヤの教えでは、まさにこの世は修練場(※1)。だからこそ、祈り捧げ命を磨くのです。


クムラン教団がいたとされる死界の畔にて。筆者の師Jun Amanto氏が、今は砂漠となり果てた滝壺にて祈りを捧げる。光の滝が見え始める。修業の旅をお供する筆者。岩陰から撮影。

最悪の事態にも感謝を

「業」とは、現世の自分を形成している塊です。


今もし、誰かに罵られ、虐げられ、不公平で理不尽な苦境にあるとしても、「カルマ落としなのだ。自分が前世にやってしまった事であり、ここから転生進化するのだ」と、希望に変えていくことができます。


週初めの、ビエルシェバ駅。通勤の人や兵士達で、異常にごった返す。怒鳴り声が聞こえる事も珍しくない。大変だけれど、きっとこれも、カルマ落とし…頑張ろう。


それは人生の「課題」です。


この事が腑に落ちると、ある意味最悪な事が起こっても感謝ができるようになります。
イスラエルの日常生活では、人々が怒ったり叫んだり、感情的になっている場面に出くわすことも少なくありません。どこでもドラマを繰り広げるイスラエルの人々に、思い起こしてもらいたいのです。「これはチャンスなんだよ!」と。


特に日本の昔の人達は、こういった事を風習として知っていて、実践しています。


大阪「豊崎神社」にて奉納舞を捧げる。大阪中崎町にあるアマントグループの本店は東経135度40分。この地の氏神様の豊崎神宮は、「前期難波の宮」があった場所。 孝徳天皇は大化の改新後、この地に皇居を構え、大阪遷都の短い期間に日本の大改革を行った。 中崎町の旧町名は、葉村。更に古くは端(ハタ=秦)村という。 この地には、海からやってきて定住していた古代ユダヤの人々がいたようで、彼らユダヤの民の知恵と、朝廷の国づくりは深く関わったといわれています。

「得」をすると「徳」が減る

自分だけ得をして生きるより、ご縁を大切にし、「誰々さんが言うんだから・・・」といって物事が動く。これが、「徳」の世界です。


昔、近所の方から頂き物をした時、家に帰ったら怒られたことはありませんでしたか?「そんなにいい物もらってもったいない」と。そして、お返しを倍返し。(笑)


今の時代の人は、いっぱいもらったらラッキーと思いますよね。特にイスラエル人は、「得よう得よう」とする傾向が強いように個人的には思えます。


でも、得をすると徳は減るのです。



質量保存の法則

地球は有限です。

誰かが得たら、誰かから無くなっています。


つまり、競争社会や戦争を作っているのも、元を正せば、人より多く得ようとしている自分たちなのです。

ここを見ないで政治だけで解決しようとしても、マッチポンプ。


そしてこの構造は金融市場主義が支えています。

実体のない金融経済は、特定の富裕層が永久に儲かり、権力を維持する仕組みをつくりました。競争と搾取の社会では、持たざる者は声を荒げ、怒りを表にして、感情に振り回されていきます。


現代イスラエルもその一つの象徴かもしれません。


華やかな発展の裏にある戦争という闇。

前述の「業」に戻りますが、イスラエルという地は「自業自得」ということになってしまうのです。


「美徳の経営」の時代

「徳高い経営、徳高い政治、徳高い教育」

そして、「徳の高い場」

これらが、今の時代のキーワードだと私は考えます。


この混沌とした時代、どんな生き方をしていても大変です。

祖先からの歴史をちゃんと引き継いで、未来の子ども達に私たちの意志を託していくことが今の時代に必要なことだと考えます。

自分だけではない、目の前の子供達が未来。

迫害を乗り越えて生き抜いてきたユダヤの人々が、「生きてこそ」と、教えてくれた大切な智慧だと感じます。


学校終わりの高校生の居場所となるアマント。高校三年生の彼女たちは、兵役前の揺れる心情の中、毎日笑顔を見せにきてくれた。

吾唯知足

「吾唯知足(われただたるをしる)」という禅の言葉があります。必要なものはもう足りている、不満を感じず満ち足りた気持ちを持つことが大事だというような意味がこめられていますが、この徳の概念があると、「足るを知る人ほど、結果的に得るものは多くなっているから、満ち足りている」というようにも、理解出来ます。


農業でも、収穫は成っている実の80%は大地に落として返してやってもいいくらいだと習いました。

「得ようとしないで、手放しなさい。それは未来永劫この土地を耕し、ずっと豊作でいる本当の意味での収穫だ」。


これが、目には見えないけれど、確実に命の仕組みを支えている「徳」という生命エネルギーの循環運動です。


ネゲヴ砂漠で農業を学んだ日々。吾唯足知は、時に、親のラベンダーを子の成長のために伐る事(間引き)。「正しい?正しくない?」。農に一つの答えはありません。正反ではなく、その場の必然に、真に向き合う姿勢だけが唯一の答えかもしれません。そんな生き方を「天然藝術=EART」と呼んでいます。

エルサレムで徳の実践

ところが、この「徳」を体感として分かってもらう事は本当に難しく、苦労しています。


エルサレムという場に、私は少ないながらも自分の全財産を残す覚悟でいました。

「イスラエルに育てて頂いた。このお金はこの土地の善きに捧げる」。

そう思った時に、場所が与えられたのです。


そして、私はこの場を「徳」によって、永遠に枯渇しない泉にするという決意を持ち、やってくる人達が響き合い、必然的に成さねばならない事が見えたなら、それがどんな脈略のないことでも、一緒に挑戦しました。


カフェ、ゲストハウス、セカンドハンド、フェアトレード、イベント、パフォーマンスなど形態は様々で、内容もパレスチナ難民支援、廃棄食糧問題、社会的孤立や軍隊に入る若者のケア、ユダヤ移民の若者の職業自立支援、母子の自立支援、ユダヤアラブ交流、世界各地の被災地支援など、ここに書き切れないくらいです。

そうやって、エネルギーを回し高め続けました。


2017年年6月28日、AManTo EART Jerusalemがエルサレムの古民家で産声をあげた。企画は全てローカルの助け合い。セカンドハンドやフェアトレードが並び、現地在住のミュージシャン岡庭弥生さんの飛び入りご祝儀パフォーマンスがなされた。廃墟化しそうだった伽藍堂の家が、一日で再生を遂げた伝説の日。
photo by Eliya

「徳の純環~JYUNKAN~フェアトレード」
Kotan Kor Kamuy AManTo 天人

イスラエルで暮らすうちに、ある時からご縁ある人や場所から、ワインやオリーブオイル、石鹸などを引き受けるようになりました。


「YUKOだから・・・(善きに使って)」と、一任してくださるイスラエル人生産者らの思いを大切にするべく、これらの商品を買って頂けるネットショップを立ち上げました。


ミツペラモン砂漠のオーガニックコスメFARAN代表イタイ・ケイナンさんのご家族と生産者の皆さん。一任で、石鹸を託して下さった。工場の横のこの場所は、極真空手の道場!イタイさんは、長く日本で学ばれた空手家です。

イスラエルからは環境に良い物を。パレスチナからは難民のアート作品を。

Kotan Kor Kamuy AManTo」と、言います。(コタンコロカムイは、アイヌ語で「守り神のしまふくろう」という意味。)


私が代表するエルサレム天人のアート活動の、フェアトレード部門です。


その収益は、アマントの他のプロジェクトで活用しているほか、世界の被災地支援や難民支援等に寄付しています。


フェアトレードは一般的に、先進国の人々が途上国の製品を公正な価格で買い取ることで、共に発展することを支援する、思いやり価値の経済。

イスラエルは先進国なので、フェアトレードというのは不思議かもしれませんが、この活動の根底にあるのは、「循環」です。


無駄は経済、ご縁を紡ぐ

エルサレム天人では、地域通貨を導入しています。

お金が悪いわけではありません。

ただし、お金は腐らない。だから、人は貯めこもうとします。これが自然の法則と逆行しているんです。


アマントグループ(※2)では、地域通貨は有効期限を決めて、どんどん「循環」するようにしています。


ご縁のある人々と、助け合う事によって、誰かが枯渇することのない形を作り上げてきました。

人にも場所にも「実体の経済で、徳を積む」のです。


フェアトレードは、その中でも世界が繋がるからこそできる「大徳」です。


与えているにも関わらず、体中幸せで充ち満ちてきます。だからもっと動ける。世界は広がり続けます。


私自身、かつては守銭奴で、自己実現のために必死だったから分かります。

得て得て得まくっても、「結局何のために?」と虚無感だけが残りました。


今は、みんなの幸せな笑顔が見たいと、素直にそう感じます。


エルサレムのマハネイェフダー市場。毎週安息日の前は、一斉に閉めるお店の前に食糧廃棄物がたくさん。

廃棄される野菜を譲り受ける。「もったいない精神」の伝授は、日本人だからこそ出来る現地の大切な活動。

毎週土曜の夜は、寿司会。国籍や人種を超え、皆で寿司を巻いて、皆で食卓を囲む。食材は、安息日前に頂く食糧廃棄物。

踊るように生きる

目の前にあるご縁に向き合い(業)、命の息吹を与え進化させて還元する(徳)。


人生全てを踊りきる。本当の意味のダンサーです。


たった一つの人生が、徳によって宇宙の進化に寄与する。これが私達の天命ではないでしょうか?


命を美しく生ききること。

それを「天人あまんと」と呼びます。

徳高く、エルサレムに還元し、与えきる。

それが私の使命です。


「神話の登場人物になる覚悟はありますか?」
イスラエルという場は、そう問いかけていると感じます。photo by Shimon Bokshtein

(※1)
死海文書を残した「クムラン教団」はユダヤ教のエッセネ派だったという説が有力ですが、 特に修練をする一派だったと言われ、彼らは古代イスラエルの失われた10支族として日本に渡来したという説があります。
死海文書には、救世主(メシア)の再来が記されているといいますが、もしこれらの説が本当であれば、道徳心の高い日本の精神は、イスラエルから持ち込まれ土着の文化として育ち、いつかの帰還を待っていると考えることはできないでしょうか?
宇宙開闢以来、連綿と続く流れ。
小さな地球の、小さなイスラエルと日本が、大きな役割を果たしている事が様々な角度からわかり、自分なりに動いてきました。このイスラエルへのお返しがお役に立っていれば、幸いです。

(※2)アマントグループとは。
「天人」と書いて「あまんと」大阪中崎町のセルフビルドで作られた古民家再生カフェSalon de AManTo天人。縦軸に子供からお年寄り、横軸にさまざまなバックグランドをもった人が集い。
「夢の実現」「地域活性化」「国際貢献」をする実験カフェは、同地域、全国世界に同様のセルフビルドの支店が軒をならべ、40人以上がその共同運営管理にあたる。


ドイツ誌「エルサレムで見逃せない111の場所」に、掲載される。
紹介抜粋「そこに訪れた人はすべて、天下人になる」「ユダヤ人、クリスチャン、イスラム教徒の「天の都」伝統的に霊的、地上的な調和を作り、日本への文化的架け橋を追及する。文化国境を越えて表現している」。
正面玄関には、カフェの堆肥から育ったパッションフルーツがたわわに実る。

Special thanks to Jun Amanto