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Art

EART LIFE in Jerusalem 第五回 |みんながEARTIST

by YUKO IMAZAIKE |2020年11月23日


EARTとは「天然藝術」という意味で、舞の師のJun Amantoさんが作られた造語なんですが、

ART
+EARTH
+HEART
=EART

ちょっと未来の地球人の生き方への想いが詰まっています。


筆者ダンサーYUKO IMAZAIKE 2013-2016 Liat Dror and Nir Ben Gal Adama Dance company

砂漠は、自然か天然か?

「自然」という言葉を使う時、それは「私は自然ではない」という意識で周りを認識していると言えます。

昔の人は、自然とは言わず「風土」と言って、自分が環境の一部となって認識し、日々意識していました。


それが自然を見るとどんな人も感動し、美しいと思ってしまう根本原因だと思います。
生きている事自体が、美しい・・・。
そんな風に呼吸をしている時、空や海、鳥や狼のように全てが美しいといえるのではないでしょうか?



ネゲヴ砂漠は、大昔に海だったそうです。
砂漠を歩くと貝殻を見つける事ができます。


本当に「砂漠の海」なんです!



そのネゲヴ砂漠の中にあるミツペラモンクレーターは、隕石ではなく浸食作用でできたといわれてます。
クレーターは、谷とも言えます。崖は、深さ約4.5~5m。壮大な永遠と続く景観は、長さ45km幅6kmもあります。
火山の溶岩が急速に冷えていく過程で玄武岩ができ、水があった後に、分かれた土地の部分が崖化していきました。


崖の端から見下ろすと、それは美しく、まるで風の形がみえるようです。
この地球は何億年もの歴史の中で、私達には想像することもできない、全く違った顔をしていた事を思い出させてくれます。



海や空と違って、砂漠は、環境破壊のなれの果てだという認識は今や一般化しています。
前回、この砂漠を「人類の文明の負債」(第四回参照)だと言ったのですが、人の営みも大きな意味では、一つの大きな天然の一部なのかもしれませんね。私達の身体も自然が生み出したものだから・・・。


必然の調和」それが、一つの天然の藝術になります。
もちろん環境破壊や戦争は回避すべきでしょう。この世にあるのは、いつも真の調和のために「なにをすべきか?」という命題で、自然を傷つけずそれができるかは、私達の腕にかかっているという事です。

なにもしないで放っておくのがいいかというとそうでもありません。
天然藝術は、無法地帯でもない。私達も自然の一部として機能してこそ、調和の形が層を織りなすのではないでしょうか。

それが美しいのです。


一神教と多神教のルーツは同じ?

この世に自然物じゃないものはありません。
PCですらもその中のチップは、元々はシリコンバレーで鉱石からつくられた・・・人工物というけれど元を辿ると自然です。

嫌悪や良い悪いなど、自分を中心とした価値観さえ超越すると、すべては創造主のなしたもの。これが、唯一神ヤハウェのもと、一神教の捉え方での意味です。

その一つの力は、地球になり、空になり、砂漠にもなり、マイクロチップにもなる。出世魚は成長とともに名前を変えますが、一つのものが名前を変えていくのは日本文化です。
つまり多神教の国。
すべてが神様で、全てが有難い。


「天然」は過程、状態。
天然にし、天然になり、天然をなす

イスラエルという国は、国土の約半分は砂漠です。


砂漠は、人間が環境破壊してしまった文明の負債なのか?
だったら、木を植えていけば全部チャラ?
ん?それって、ぜんぶ元にもどすこと?
であれば、進化とはなに?
成長や、この世の方向性はどっちだ?
私は何をしたらいいの?


様々な疑問が浮かび上がっていたころ、こんな事がありました。

砂漠のバドウィン達と過ごす朝、コーヒーを準備します。
焚いた火で、豆から煎って砕いて、その場で淹れます。
とってもいい匂い。
当たり前のように働く主の息子ちゃん、家族の仕事をするのが当然です。



手際のいい作業。金属製の音をカンカンならしながら、豆を砕いています。
よく手元をみると、これってもしかして機関銃のバレル?!
それを、さかさまにして豆を打ち砕いてるんです。


バドウィンは、砂漠に捨てられた使えそうなゴミはなんでも使って暮らしています。不法投棄の車や電化製品の部品などとともに、基地の近くに捨てられてた(?)のを、見つけたみたいです。
頑丈だし固い豆を打ち砕くにはいいですよね。
ネゲヴ砂漠には、たくさんの兵士の訓練所もあり、さっきの貝殻と同じ感じで、拾いあげるとそれは「弾」だったこともあります。


ビエルシェバの駅、あふれかえる軍隊と市民の日常。


私の目にはバドウィン達が天使か、はたまた、ある意味の救世主のようにみえました。

私が出会ったバドウィンは、もちろんアラビア語を話し、ずっと昔にヨルダンから渡って来ました。その土地が新しくイスラエルとなって建国するも、遊牧をつづけ、器用にヘブライ語も話し、子供をイスラエル人の学校通わせるバドウィンもいたりします。

世界でも指折りの国境問題を抱える場の中で、所属のないはずの彼らが、こうやって砂漠や戦争の負債、あるいは現代では皆が見ようとしない物を生活に取り入れ生きているのは、ある種の「癒し人」にみえました。

世界一進んだ平和を今生きている人なんだなぁ・・・という気持ちです。


EARTist は美が基準
日々生きる事を美しく

基本的にアーティストは平和主義者が多いのですが、私のカンパニーのボスも紛れもなく、少なくとも自分達が出来る事はやる、つまり足元から平和に取り組む方でした。


ボスが若かった頃、60年代に大ヒットしたエジプト出身のシンガーUmm Kulthumの「INTA OMRI」という曲をベースに作った壮大な振り付け作品をリバイバルしましたが、それはアラブな音楽でした。
作品全体では、イスラムのお祈りの声まであったり、アラビックな独特な腰の使い方をした動きを取り込まれていました。


Adama Dance Company 「INTA OMRI」

作品の内容は決して政治的な物ではなく、日常生活の掃除をしたり、シャワーを浴びたり、男女の物語がある・・・というようなものなのです。

プロパガンダ的なARTは数々あれど、この砂漠で生まれるEARTは奇をてらわないし、エゴイスティックな主張などありません。
生きる事の情熱、大切さ、そこでの熟成されていく人生の時間があるだけでした。

ある日、カンパニー出張公演で北部のKfar Yasifというアラブタウンで、この「INTA OMRI」を上演した時の出来事です。


ダンサーという言語身体

イスラエルの北に位置するAcreと、その近くのKafr Yasif 。
アッコーの旧市街はアラブ人が主に住んでいます。
その横のアラブタウンであるKfar yasfは、看板からアラビア語だらけで、ユダヤ人国家イスラエルの中で、主にムスリム、クリスチャンが共存しています。


Kfar Yasifの様子 出典

「Edge(エッジ、端っこ)」


川と海が混じり合う河口には、多様な生き物が生息するようになりますが、ここも例外ではありません。
二つの生態系が重なり合う境界には、豊かな生態系が生まれるものです。
パーマカルチャーでは「可能性の場所」と呼ばれたりします。


この時、私達ダンサーはボスに連れられ、カンパニーのバンで村の奥深くまで分け入りました。

道がくねくねしてきて、看板にヘブライ語もなくなってくると遂に迷子。

道を聞こうと、車の窓を開けたカンパニーのボス。振り向いてくれた人が、ロシア人で、またビックリ!皆苦笑い!!


日本の感覚で何故私達が笑うのか理解できないと思いますが、バリバリのアラブタウンに入ってきてるイスラエル人グループ一行は、一応緊張しているんです。
道ゆく人は、アラブ系だと思ってるわけです。
ところが振り向いた人が、イスラエルではよくいるロシア系の方。
イスラエル国内ユダヤ人地区ではロシア移民は多いですが、ヘブライ語苦手な人も多いんです。


この時、私達グループ一行には、ロシア語話せる移民の子がいたので救われました。
私達は、こんなアラブエリア真っ只中でも、イスラエルあるあるの「5人集まればロシア語話せる奴ががいる・・・」で救われたわけです。


その後、また道に迷ってしまいます。
「אנחנו ישראלים לא יודעים מה לעשות (We are Israelis. We don't know what to do)」とまた冗談をぼやくボス。

苦笑する皆。

「私達イスラエル人、どうしたらいいかわからない」というこの発言。
混沌としたこの国の今を皮肉っているんですが、こういう小さいニュアンスは、とても政治的でもあります。
生活の中にある、通訳者付きのシーンでも訳すに値しない様な言葉に国民性があらわれています。


そして着いたのはアラブ系の小さな美術館です。

ユダヤ人グループである私達を招待して気持ちよく対応してくれる館長含め、スタッフ全員アラビア語で喋っています。
私達と話すときだけ、ヘブライ語に変えてくれます。

「イスラエル人がアラビア語をちゃんと話せないのは、やっぱり恥ずかしい事だ」と、私の親友ダンサー。
とても温かい観客たちでした。
私は希望を持たずにはいられませんでした。
ユダヤ人側の場所でアラブの人々を招待して文化交流する時も、ちゃんと歓迎をします。
しかし、どちらが相手を受け入れた時にも、本心から拍手をする人と、形式的社交辞令の拍手をする人もいるでしょう。


美術館でのパフォーマンスの様子

しかし、それでも私達は粘り強く交流を続けなければなりません。
それが、本来あるべきEARTとしての美の探求だと思うから。


外国人である私は客観的な目で見れる分、公平な目で見れる部分はあると思うのですが、この日この村のアラブの人は、本当に私達のパフォーマンスを心から楽しんでくれたと感じたのです。
ここで、日本人の私がユダヤ人率いるカンパニーのダンサーとして踊る事は、とても感慨深いものでした。


アラブの子供たちとワークショップ

ただ、メンバーから離れてしまえば、ただの日本人の私。
ヘブライ語と英語しか話せない私は、どっちを使おうか一瞬戸惑ってしまった事は追記しておきたいです。

イスラエルのグループにいるんだから、もはやどっちでもいいように見えますが、この人達の前で、日本人の私がヘブライ語で話しかけるのは、威圧的に取られないか、失礼に値しないかと不安だったわけです。

こんな風に、頭がゴチャゴチャする中、体は「踊り」という、シンプルな結合点である事実を再確認できたこの旅で、心底、私は踊り手でよかったと思いました。


アラブタウンでのパフォーマンスの様子はこちら↓

2015 Kfar Yaif Liat Dror and Nir Ben Gal dance comapny


ここで思い出すのが、前述のJunさんが言ったEART。

人類がイデオロギーでなく、美を基に出来たとき、価値観や思想の違いを超えて共存できる」(引用)

私はそこでまた、古くて新しいその両方をも内包できる、コンテンポラリーダンスである事への、良さも見出しています。
「伝統」とは、伝える中で統べられたもの。
本当は、古いものではなく淘汰された最新のものでもある。
そのプロセスが人の中にもある「天然」という生理作用でもあるのではないでしょうか?


「正反合」
「あるものと生きる」その姿が美しい
天然藝術の立場は「正反合」する

一つの価値観はそれを「正」とする瞬間から「正反」が生まれます。
「正」と「正反」は反発し合いますが、必ずまた新たな「合」を生み出します。

それを繰り返し続けることを「成長」と呼ぶそうです。


天然藝術とは、その沢山の「正反合」が舞い踊り、様々な化学反応が起こる「場」の現象だと教えられました。
茶道でも華道でもおおよそ「道」という時の流れの中にある文化は、そこへ至るための方法論を形にしてくれたものです。
だから鍛錬が尽きる日はありません。


何人でも何を崇拝する人にも共通できる、そんな「場」が生まれる可能性を体験したアラブタウンでの公演。
その日は私にとって、私達のようなコンテンポラリーのアートも、時代を成長させることのできる「場」と「道」を生み出せるような確信を持つことができた記念すべき日となりました。



私は、どんどん鍛錬したい。
何人であろうと、何を崇拝する人であろうと、縁ある全ての人々と反応しあって踊るように進化したい、
そしてその縁ある「場」の進化にも貢献したい。


生きることがそのまま芸術になるように出来れば、自然のように無条件の感動を与えられる存在にいつかはなれるでしょうか?

海や砂漠や狼や…純粋無垢な赤ちゃんを見る時に、人は無条件の安堵と感嘆のため息がでます。
これは、それらの中に、何億年もの地球の記憶「正反合」を見出すからなのではないでしょうか?

(公演の後に子供達と一緒に陶芸教室のWSに参加しました。ファラフェル食べながら、愉しかったなぁ…)


生きる事が芸術になれば、それは全てが美しく進化するはず。
世界平和はこんな感性が伝染していって、ある日ある時、オセロのように一気に覚醒するんじゃないでしょうか?

私はそれまで踊り続けなければならない・・・そう思っています。