
イスラエルの世界遺産をご紹介するシリーズ第4弾。
今回は、2003年に世界文化遺産に登録された「テルアビブの白い都市」です。
白を基調としたモダニズム建築が多く立ち並ぶ都市について、詳しく掘り下げていきましょう。
テルアビブの白い都市とは?
イスラエル中西部に位置する、国内最大の都市テルアビブ。1909年までは砂丘だったとは思えないほど近代的なこの場所。
もともとは、南にある湾口都市ヤッファに多くのユダヤ人移民が世界各地から集まり、人口が増加。その後も移民が増え続けたため、北へ拡大しながら住宅が建造されていったというのがこの街の成り立ちです。
また、この街の都市計画は、1925年にスコットランドの建築家のパドリック ゲデス氏によって設計。
彼は、テルアビブの計画の中に「地域」や「環境」という概念を入れ「ガーデン シティ」というコンセプトを樹立。居住区間に公園をはじめとする緑地を設けるという革新的な設計によって、20世紀の都市計画に大きな影響を与えたといわれています。

現在も残る建築物の多くは、1920年代から1950年代まで、さまざまな国で学んだ建築家によって設計されたもの。特に、移民たちの中には、ドイツのバウハウスで学んでいた人や、近代建築運動を代表するル・コルビュジエに影響を受けた人がいたため、機能性を重視したモダニズム建築が多いのが特徴。
テルアビブは、地中海気候であるとともに砂漠気候でもあるため、光や熱を反射するために白を基調としたデザインを採用。また、室内に風が入るようにバルコニーを設けるなど、気候に合わせてさまざまな工夫が施されました。

バウハウスってなに?
バウハウス(Bauhaus)は、1919年に建築家のヴァルター・グロピウスが、ドイツ・ワイマールで設立した美術・建築学校。建築、工芸、絵画、彫刻、写真など多分野を横断する教育を行い「芸術と技術の統一」という理念のもと、機能性と合理性を重視したシンプルなスタイルを提唱。
「機能が形を決める(Form follows function)」という思想を掲げ、装飾を排したシンプルで合理的なデザインを追求しました。
建築においては、直線的なフォルム、ガラスや鉄などの工業素材の活用、そして「美しさと機能性の両立」が大きな特徴で、近代建築の礎を築いたと言われています。

テルアビブの白い都市が世界遺産に登録された理由とは?
さて、このテルアビブの白い都市。なぜ、ユネスコ世界遺産に登録されたのでしょう。
その理由は、大きく分けて2つ。
そのひとつが、テルアビブの白い都市は、20世紀初頭の建築物と近代建築運動の都市計画が融合するとともに、テルアビブの環境や文化に合わせて建造されたこと。
そして、もうひとつが、移民たちの文化や街の気候に合わせて開発された、20世紀初頭の都市計画と建築物の優れた例であることです。

移民だらけのこの街で、文化や伝統に配慮しながら、砂漠に位置するこの地でより暮らしやすいように設計された建物たち。
そして、ヨーロッパのモダニズム建築を学んだ人たちによって、それまでのイスラエルにはなかった様式の建造物が立ち並んだ「テルアビブの白い都市」。
世界遺産に登録されている建物のほとんどは邸宅やオフィスビルのため、中に入って見学できるのは、博物館になっている建物など限られた場所のみとなっています。
ちなみに、かつての映画館だった建物を改築した「シネマ・ホテル・アン・アトラス・ブティック・ホテル」などの古くから残るホテルに泊まると、当時の建築の素晴らしさやアイデアの豊かさをダイレクトに感じることができます。

イスラエルには、日本ではあまり知られていない世界遺産がまだまだあります。
次回もお楽しみに。
◾️おすすめ関連記事
一生に一度は訪れたい場所・マサダ|世界遺産シリーズ VOL 01
多様な文化が交差する地・アッコ旧市街|イスラエル世界遺産シリーズ VOL 02
聖書ゆかりの遺丘群-メギド、ハツォール、ベエル・シェバ|世界遺産シリーズ VOL 03