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CULTURE

相撲に恋して。並外れた身体能力を武器に力士を目指すイスラエル人

独占インタビュー|ヤルデン・ヤトコヴスキー

相撲イメージ

日本の国技、相撲は日本の文化を代表するスポーツです。そのため、いわゆる「力士」の座を手にするまでには、非常に厳しい争いがあります。そもそも、力士の座を目指して稽古をする為には、まず相撲部屋に属さなければなりません。また、日本相撲協会によると、身長167cm以上、体重67kg以上の規定をクリアしなければ、相撲部屋に入門することもできません。また、入門に際しての年齢制限もあり、23歳以上で入門する事は許されません。また、各相撲部屋で許される外国人力士は、たった1名のみなのです。例外として、大学卒業の資格を持ち、かつアマチュアの相撲競技大会である一定以上の成績を残した者、もしくは日本相撲協会が入門するに相応しいと判断した者に関しては、25歳まで入門の制限年齢が延長されます。


イスラエル人アスリートのヤルデン・ヤトコヴスキーは「相撲力士になる」という長年の夢の実現に向けて、毎日努力を続けてきました。しかし、新型コロナウイルスによるパンデミック、そして全てのイスラエル人に義務化されている18歳での兵役徴収により、その夢に対して様々な障害が襲ってきます。このインタビューでは、ヤルデンに彼の現状を語ってもらうと共に、この記事を通じて、日本の相撲部屋の親方たちに、彼の心からの希望を伝えたいと思います。


ヤルデン・ヤトコヴスキー
ヤルデン・ヤトコヴスキー

一人のイスラエルの少年が相撲と恋に落ちるまで

「僕が4歳の時、祖父たちがすごい相撲ファンで、ケーブルTVを通じて日本の相撲中継をいつも観戦していたんです。僕は、祖父たちのそばで、とてもびっくりしながら、その相撲中継を見ていました。なんて大きなレスラーなんだろう、なんて力強いんだろうって感動していました。そして、相撲というスポーツに恋してしまったんです。その日からずっと、相撲の力士になることを志してきました。」


幼少期のヤルデン・ヤトコヴスキー
幼少期のヤルデン・ヤトコヴスキー

しかし残念ながら、イスラエルには相撲教室も相撲を教えてくれるコーチもおらず、若き日のヤルデンが持っていたその情熱を叶えさせてくれる環境はありませんでした。そんなヤルデンの夢を知った両親は、相撲という競技にに一番近いだろうと考えて、柔術を彼に紹介しトレーニングを開始させたのです。


アスリートとして天性の才能を持ったヤルデンは、11年間に渡るトレーニングを経て、15歳で柔術のチャンピオンの座を手にしました。彼はまた、11年間に渡り馬術選手権でも戦ってきました。さらに彼の天性の才能は、18歳にしてヤルデンをプロのハンドボール選手にもしてしまったのです。


ハンドボール選手時代のヤルデン・ヤトコヴスキー
ハンドボール選手時代のヤルデン・ヤトコヴスキー

「幼少期から訓練を重ねてきた事で、練習には非常に熱心になり、またタフにもなりましたね。一日3回のトレーニングも全く苦ではありませんでした。それも、同じことの繰り返しではなく、毎回その前より、より厳しい練習を積んでいくことが大事なんだと気が付きましたね。」


ヤルデンは、大人になった今もそんなハードなトレーニングを欠かす事はありません。イスラエルでは18歳になると、軍隊への入隊が義務化されていますが、ヤルデンは「エキスパート・アスリート」として入隊しすることができました。これは、その資格で入隊したアスリートが、そのアスリートとしての能力を軍隊下でも維持できるようイスラエル軍が導入した特例処置で、そのおかげで彼も、ハンドボール・アスリートとして並行して活躍することができたのです。


相撲取りになるための時間の限界が迫ってきている事を知りながらも、彼はイスラエルに残り、軍隊での義務を果たさねばなりませんでした。しかしその中でも、3年間に渡り、ハンドボールを通じて、アスリートとしての資質を維持することを続けられてきたのです。


四股を踏むヤルデン・ヤトコヴスキー
四股を踏むヤルデン・ヤトコヴスキー

パンデミックを迎えて

ヤルデンが21歳の時、従軍義務が終わります。そしてすぐに「力士になる」という自分の夢の実現に向けて動き出しました。


「2020年3月には、一生懸命貯めたお金で、日本に渡る計画を立てていました。しかしそんな中、2020年2月、イスラエルもコロナウイルスのパンデミックに見舞われてしまいます。何もかも準備万端で、日本行きを目指していたのですが、2020年3月15日、イスラエルは無情にも空港を閉鎖、全ての海外旅行の道が閉ざされてしまいました。」


日本渡航の道が閉ざされる中、それでもヤルデンは、イスラエル在住の日本語家庭教師に付いて日本語を学び始めるなど、夢の実現に向けた努力を続けています。


「今は、相撲という競技に関わっている人々と、できる限り多くの関係を作りたいと思っているんです。」


この日本語教師の助けを借りて、ヤルデンはオンラインで見つけた全ての相撲部屋に連絡をしました。無論、日本からでは、彼の姿はコンピューター上でしか確認する事はできません。それでも多くの相撲部屋の親方が、彼に興味を持ってくれました。しかし、次のステップに進む事はできていません。彼の年齢がまだ22歳に達していないにも関わらず、日本から受け取った返事には23歳が年齢のリミットであるという事と「歳を取り過ぎてるね」というネガティブなものしかなかったのです。


年齢だけが問題ではありません。このコロナのパンデミックで、とても厄介な別の問題が持ち上がっているのです。力士が感染する事を恐れる相撲協会は、力士や関係者の移動に関して制限を設け、一般公開もしていた朝稽古を禁止してしまいました。日本の空港も外国人旅行者に閉ざされたままであり、イスラエルもシャットダウンと移動制限を経験しています。


しかし、全てが彼に対して不利に働いてしまっているこの状況下でも、彼はパンデミックの終わりを待ちながら、どこかの相撲部屋の親方が彼に興味を持ち、稽古への参加を要請してくれる事を待ちながら、以前にも増して努力を続けています。


「今は、100%相撲に集中するため、ハンドボールも辞めています。先ずはこの時期、全てを相撲に集中して活動すべきだと思っているんです。」


ヤルデンは今も毎日のトレーニングを欠かしません。毎朝8時から9時40分まで、両親の家の庭で、相撲の基本的なトレーニングを続けています。朝のトレーニングが終わると日本語の勉強をし、午後になるとジムで汗を流します。4ヶ月前には、オリンピックの銅メダリストであるオレン・スマジャに連絡を取り、彼の道場で週3回、柔道のトレーニングを重ねています。ヤルデンの才能に感銘を受けたオレンは、彼自身の柔道チームに、ヤルデンを一年以内に入れたいとまで言ってくれているのです。もしかするとヤルデンは、オリンピックメダリストになるかもしれません。しかしヤルデンは、それでも力士への夢を諦めていません。


彼の才能であれば、その才能を違う道で使えるでしょう。


「先日、家の近くに砂場があるのを見つけました。それで、そこの砂をきれいに掃除し、相撲の土俵に少しでも近づけた環境を用意しようとしているんです。」


以前にも増して続けているトレーニングに加え、ヤルデンは自身の生活習慣も変える努力をしています。力士として適した体を作るため、食生活を見直し、毎食しっかりと食べる事で、今や体重は137kgを維持しています。毎日、空っぽの胃袋でトレーニングをした後は、ネット上で見つけたレシピに沿って、自分でちゃんこ鍋を作って昼食とし、夕食も就寝前にはしっかり摂るようにしています。



「僕は、自身の身体能力だけでなく、意思と決心の固さも自分の強みだと思っています。もし、どこかの相撲部屋からチャンスをいただけるなら、期待以上のものをその部屋にもたらす自信があります。」


未来に向けた希望

時間は刻々と過ぎていき、今や彼も23歳になろうとしています。このことに気づいた彼は、イスラエルと日本を跨ぐビジネス・エキスパートのイファト・ヴェレド氏に相談を持ちかけました。イファト氏は、駒澤大学を1999年に卒業し、日本-イスラエルビジネス・デベロップメント & コンサルティングという組織を立ち上げた人物です。彼女は30年間に渡り、日本とイスラエルのマーケティング、セールス、そしてビジネス・コミュニケーションに関わってきた経験を生かし、相撲の世界を学んだ上で、日本相撲協会に連絡をとってくれました。また、数々の相撲部屋に、ヤルデンの日本渡航と親方への面談が実現できるよう、彼の代理人として接触を図っています。イファト氏の助言で、彼は日本語で手紙も書きました。その上で、自身の相撲トレーニングの動画を撮って送り、できる限り多くの人々に自身をアピールできるよう最善を尽くしています。


ワクチン接種も、多くのイスラエル人同様、すでに1ヶ月前には終えています。日本政府の外国人渡航規制で、日本に来る事はできていませんが、その規制が解かれる日に向け、準備は万端にしています。


前イスラエル大使にも、相撲界へのリンクを付けてコンタクトし、引退した力士や支援者からも、数々のメールが日本のジャーナリストたちに送られています。在日イスラエル大使館、そして在イスラエルの日本大使館にも、ヤルデンの日本への渡航ビザ発行に向けてコンタクトがなされ、相撲部屋からの来日要請を取るべく、様々な努力が続けられています。しかし、日本相撲協会は、相撲部屋に対して、外国人との面談を制限しており、来日要請はどの相撲部屋からも来ていないのが現実です。


「たったひとつの僕の望みは、僕の心と技を皆さんにちゃんとお見せしたい、それだけです。力士になるのは、僕が4歳の時からの夢でした。諦めるなんていう事は考えられません。」



ヤルデン・ヤトコヴスキーに関するお問い合わせは、下記お問い合わせフォームより受け付けております。