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CULTURE

24年間にわたり、食を通じて日本とイスラエルを結びつけた大使館職員

独占インタビュー|オデッド・ソロカ(駐イスラエル日本大使館職員、料理インストラクター)

オデッド・ソロカ氏

駐イスラエル日本大使館に24年間勤務しているオデッド・ソロカ氏。彼は現地職員として働いていく中で、文化と食に関するインスピレーションを見つけたのです。


食に魅了された彼が料理を始めるまで、時間はかかりませんでした。6か国語を巧みに操り、グラフィックデザイナーとしての経験も持つ彼は、文化と美学に関する自身の知識を用い、イスラエル料理と日本料理を解釈し、独自の料理を開発しています。


今回はオデッド・ソロカ氏に、日本文化、日本料理に対する思い、そして料理に対するインスピレーション、アプローチについてお話を伺いました。


グラフィックデザイン講師から日本語学校の優等生へ

彼と日本との出会いは、一本の電話から始まりました。グラフィックデザインスクールの講師として働いていた彼は、友人からこれから日本語を勉強するつもりだ、と電話で告げられたのです。


「日本語の他に、スペイン語やラテンアメリカ文化を研究する授業もあるのですが、その友人は、両方の授業を土台にすれば、日本語を学ぶのは結構簡単なんだ、と語ってくれたのです。私たちにはスペイン語の素養もありましたし、日本語は、当時の私にとって、とてもかっこいい言葉に思えたのです。それで私も、その友人と共に日本語を学ぶようになりました。」


熱意に溢れたオデッド氏は、日本についての知識は持ち合わせていませんでしたが、コースへの入学を決意。懸命に勉強を続けたことで、その努力は報われます。最終学年の最後には、在イスラエル日本大使館から「日本語能力優秀」のお墨付きを得ることができたのです。


そして賞として二週間の日本滞在が授与され、長い間勉強していた国、日本をついに体験することに。滞在期間中は、東京から広島、奈良、京都と旅し、本物の日本文化、食べ物、そして人々と触れ合うこととなりました。


彼が在イスラエル日本大使館から、大使館での職務という生涯のチャンスとなるオファーの電話を受けたのは、その旅の直後のことでした。もちろん、その申し出を受け入れた彼は、長期間におよぶ過程を経て、ついに文化担当官として任命されました。


オデッド・ソロカ氏

日本から学んだこと

オデッド氏は現在、仕事を通してイスラエルと日本の懸け橋としての役割を担っています。「私の任務の一環として、イスラエルで日本文化に触れられる機会を創出することはとても光栄に思います。展示会やダンスパフォーマンス、演劇や食べ物など、日本文化を学びたい、体験したいイスラエルの人々に、様々なコンテンツを提供しています。


彼はこれまで、音楽、ダンス、アート、歌舞伎や能、狂言、文楽といった伝統芸能など、様々な催し物を企画してきました。「特に印象に強く残っている体験は、2002年のイスラエルでの人形芝居公演ですね。日本の人形劇団をイスラエルに招致し、公演の間ずっと、私は楽屋裏で、この劇団の一座とずっと共にしておりました。その公演は、日本古来の人形劇である文楽を元にしながらも、そこに現代的な意匠を加えて、子供達やファミリー層にも楽しんでもらえるよう工夫を凝らした人形劇でした。


そんな人形のプロたちの楽屋裏では、リハーサルを通じて日本人のアーティストたちが、いかに静かに精神を集中させ、一つ一つ細部に渡る公演の作り込みをしていくのか、目の当たりにすることができました。舞台カーテンの袖から、そんな光景を見ているのは、私にとって本当に刺激的なひとときでしたよ。


その貴重な公演体験を通じて、日本という地に何世紀にも渡って伝わる、物事を始める前にまず静かに熟考し、そして習得していく、という方法を学んだからです。これは、イスラエルの伝統的なやり方とは全く異なるものです。イスラエルでは、まず何しろ何でもいいから始めてしまい、実際に実施していく中で、誤った部分を直していく方法をとりますからね。」


オデッド氏が織り成す料理の芸術

それが意図したものか無意識なのかはさておき、彼は文化の一部を吸収し、それをキッチンで料理として形作ります。グラフィックデザイナーとしての経験と相まって、文化の美学を鮮やかに表現する料理が生まれました。


ひし形チキンカツ

「日本に対する興味がますます募っていくにつれ、書道、日本家屋、日本庭園、そしてもちろん日本料理など、様々な日本文化にある美しさに対する興味がどんどん強くなっていきました。特に日本スタイルの料理に対する私の興味は、大使館で働くようになってから起こったものです。日本に行く同僚には、毎回、何らかの調味料を持ち帰ってもらえるよう頼みました。そうやって、一つ一つ、新しい風味、味覚を体験していったのです。25年たった今でも、今まで知らなかった味覚に出会う事もしばしばですし、そんな出会いの時は本当にワクワクします。」


オデッド氏は料理を芸術と見なし、料理をお皿をキャンバスのように扱います。


「料理を作る時、私は、キッチンの棚や開け放した冷蔵庫の前で、必ず数分の間佇み、どんな材料が使えるのか、まず確認することから始めます。そして、今ある材料でどんな料理が作れるのか、頭の中に思い描くのです。どんな味が出来上がるのか、そしてどんな見た目に最後は仕上がるのか。そうそれは、画家が無地のキャンパスを前に、どんな絵を描こうか、頭に思い浮かべるのと全く同じ行為なんです。」



彼が作り出す料理は彼自身を反映しており、その結果、ユニークかつ様々な影響を受けた料理になっています。イスラエルと日本の文化を融合し、美味しく、美しく、驚くような料理を作るのが好きであると語るオデット氏。その秘密の一つは、イスラエルで入手しやすい日本の材料を使用し、それをイスラエル料理を組み合わせることであると語ります。


「例えばシュニッツェルと呼ばれる、イスラエルの子供たちが大好きなカツレツのような肉料理に日本の調味料を加えると、見た目はそのままですが驚くべき味わいになるのです。」


彼は世界にフュージョンレシピを広め、彼が料理を始めたときに感じたインスピレーションと喜びを他の人にも感じてもらいたいと語ります。「仕事で忙しい人でも作れるように、簡単かつ早く作れる料理を考案しています。早く簡単に作れる、でも見た目も美しい、これが私の料理の魅力であり、秘訣でもあります。」


餃子トルティーヤ、豆腐トースト

情熱、料理、ソーシャルメディアを通した文化外交

自身の知識や料理のインスピレーション、アイディアを共有するため、彼はInstagramとYouTubeチャンネルを開設し、料理レシピを配信しています。また地元のテレビ番組やそのソーシャルメディアでもレシピを配信しています。


「完成した料理はもはや芸術作品のようにも見えますが、これが簡単かつ早く作れることを人々に知ってもらいたいのです。」


彼の作るレシピはすべて、ユダヤ教徒が食べてもよいとされるコーシャー仕様。ユダヤ教の伝統では、特定の食品を食べたり、コーシャーではないと見なされる成分と組み合わせることは禁じられています。


「私のキッチンは、完全にコーシャー仕様になっています。つまり、シーフードや豚肉を調理したり、準備する料理に乳製品と肉を混ぜたりしません。日本の味を使った料理をつくっていますが、コーシャーとして認められた魚、鶏肉、肉のみを使っています。結果はいつも成功を収め、限られた材料でも美味しく、見た目も美しい料理が作れるということを証明しているでしょう。」


今後についてオデッド氏は、彼の料理に対する情熱を広め、食べ物やそれを囲う集会を通じて、日本とイスラエルの文化的関係を発展させていきたいと語ります。


「日本大使館で働き、イスラエルの人々に日本文化に関する私の知識を広めていけることはとても嬉しく、また誇りに思っています。簡単かつ早く作れる自家製料理の知識を伝え、またレシピも教えていきたいと思っていますね。


ユダヤ新年料理

イスラエルには、素晴らしい日本の材料があり、またそれらは多くの料理に活用できることを人々に知ってもらいたいです。また日本の読者の方々にも、地元の食材を使って日本でもイスラエル料理が作れることを知ってもらいたいですね!


私が愛してやまない料理を、もっとたくさんの人に知ってもらいたいです。ソーシャルメディアも積極的に活用し、フォローやチャンネル登録のほか、質問やレシピの共有などがあれば気軽に連絡してもらい、また実際にレシピを試した際にはシェアしてもらうことをお願いしています。」


イスラエル×日本フュージョンレシピはこちらから


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