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#イスラエルに寄り添います

「予備役兵の皆に”家庭の味”を届けたい」小さなボランティア活動から開始した ”Soldiers Kitchen”

by 中島 直美 |2024年02月19日

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戦時下にあるイスラエルでは、市民によって自発的に多くのボランティア団体が立ち上げられ組織され、沢山の人達が様々な場所で自分の持てる力を社会に役立てたいと動き出しました。


今回はその中でも、兵士たちに暖かい家庭の味を届けたいという思いから立ち上がったボランティア団体、「Soldiers Kitchen(ソルジャーズ・キッチン)」をご紹介したいと思います。


Soldiers Kitchenのご飯を食べた兵士たちから届くお礼の写真

ハマスのテロ奇襲攻撃による戦争の開始と、イスラエル人の自発的なボランティア

2023年10月7日、テロ組織ハマスによる、卑怯で残虐極まりない奇襲テロ攻撃をきっかけにはじまったイスラエルとハマスの戦争。多くの無辜の市民を虐殺され、拉致され、何千発にもなるロケット弾による無差別攻撃を受けたイスラエルは、拉致被害者と国民の安全な生活を取り戻す防衛のための反撃を開始。イスラエルは国全体が非常事態となりました。


人々はテロのトラウマを抱え、帰らぬ拉致被害者の身を案じ、南はハマス北はヒズボラというテロ組織によるミサイル攻撃から身を守りながらの生活を続けつつ、それでもイスラエルのために、被害を受けた人々のために、自分自身にも何かできることはないかと社会に貢献できる方法を模索しました。


ガザ地区南部のハーン・ユーニス中心部地下にある、ハマスのトンネル網を検証するIDF高官たち


そんな中でも兵士に対するボランティアは大人気で、命をかけて国を守ってくれている兵士たちのために、多くの国民が貢献したいと思っています。それもそのはず、国民皆兵制のイスラエルでは、その多くが自分自身が兵士だった経験を持っているだけでなく、義務兵役期間を終えた兵士たちにも予備役義務があり、平時でも人々は1年のうちの何週間かを予備兵役義務に費やすために、ほとんど誰もが直接的または間接的に兵士達と繋がりがあるのです。多くのイスラエル国民にとって、「兵士」とは決して赤の他人ではないのです。


イスラエルの予備役兵

予備役兵についてですが、義務兵役を終えて一般市民に戻っても一部を除き大抵の人が就役することになっていて、1年のうち数週間から1~2ヵ月程度の兵役義務があるのが一般的です。結婚した女性は予備役に呼ばれることはあまりありませんが、部隊や役職によっては子供を持つお母さんも予備役につくこともあります。男性ならば、その多くは40歳以上まで毎年、その後もボランティアで予備役を続ける人たちも少なくありません。


ガザ地区で任務につくIDFの兵士(出典:IDF

普段ならば事前準備ができるように前もって連絡があり、時期や期間も日常生活にできるだけ差し障りが出ない様にある程度の調整は可能です。けれど、今回の突発した戦争では、30万人以上の予備役兵達が、仕事や学業といった普段の生活を何の前触れも準備もなく突然離れて兵役義務につき、戦地に赴いたのです。


今回の戦争で、彼らは文字通り命をかけて国を、国民を守ることとなりました。家に小さな子供や妊娠中の妻、仕事や学業、そして自分が運営しているビジネスなどといった日常生活を背後に残したまま、すべてを投げ捨てて前線に向かい、テロリストに直接対峙しているのが予備役兵たちです。予備役に招集されてから2か月以上家にも戻れず、戦地から出ることのなかった兵士たちもいます。そして悲しいことに、多くの予備役兵が犠牲にもなったのでした。


予備役兵のシステムがなければ、IDFは成り立たないと言っても過言ではありません。このような戦時下にあっても、私達が日常生活をからくも続けられることができるのは、彼ら兵士たちのおかげなのです。こうやって、国を、私達を守ってくれている兵士に対して、イスラエル人は多くの人が強い感謝と尊敬の念を持ち、できることなら自分自身も兵士に対して何らかの形で支援することができればと思っているのです。


兵士たちに食事を届けるボランティア団体「Soldiers Kitchen」

Soldiers Kitchenの創設者、タリアさん

今回ご紹介する「Soldiers Kitchen」もそんな気持ちから活動が開始された、兵士、特に予備役兵を支援する団体の一つです。この組織を立ち上げたのは、テルアビブから約60キロほど北にあるキブツ、マアヤン・ツビに住むタリアさん。彼女は普段から救急隊員としてのボランティア活動もしているという程、社会への貢献に価値をおいている方なのですが、戦争がはじまって、Soldiers Kitchenの活動を始めた時のことをこのように話してくださいました。


「戦争が始まる直前に夏のシーズンが終わり、近所の海岸の遊泳所での仕事が終了となりました。その後は海外へ旅行に行く計画を立てていたのですが、戦争がはじまったのでそれもキャンセルとなり、私の予定はすべて白紙になってしまいました。私には何もすることがなくなってしまったけれど、家でぼんやり座っているわけにはいきません。こんな戦争が始まってしまって「私にも何かできることがあれば」と思っていた矢先に、予備役兵で兵役に就いた人たちが家庭の食事を恋しがっているという話を耳にして、これだ!と思い立ちました」


タリアさんの自宅の入口にかけられたSoldiers Kitchenの看板。

最初はタリアさん一人の発案で、口コミで手伝ってくれる人を見つけては細々と食事を作り提供していましたが、それをフェイスブックで共有したところ、ボランティアを申し出る人々が次々に増えて活動はあっという間に大きく広がった、とタリアさんは言います。


「キブツの人達の支援も大きかったですが、隣町ズィフロン・ヤアコブにも、似たような活動をしている人がいるということがわかり、私達は協力し合って活動することになり、活動規模はさらに大きくなりました。海外からも、材料費や輸送のガソリン代に使うようにと多額の寄付も頂きました。地域のパン工場からも金曜日の安息日入りに供される特別なパン ”ハラー” を毎週提供してくれるという申し出も受けたのです」


タリアさんが始めた活動は、「私達の生活を守ってくれている兵士のために、私にも何かできることがあれば…」そう思っていたイスラエルの人々の心に強く働きかけ、地域に住む多くの人がSoldiers Kitchenの活動へと参加していったのです。


Soldiers Kitchenの仕組み

それではSoldiers Kitchenはどんな仕組みで手作りの食事を兵士たちに届けているのでしょうか。タリアさんに聞いてみました。


タリアさんの家で箱詰めされていく料理たち。タリアさんの自宅が料理の発送所にもなっています。

「Soldiers Kitchenのコミュニティはいろいろな人たちの力によって支えられています。まず、コミュニティの共有シートにメニューが書き込まれ、共同食料品集積所に必要な材料が集められます。共同食料品集積所は私の自宅を使っています。決められたメニューにそって寄付金で購入したり販売者から寄付された食材が私の家に届けられ、ボランティアがそれを整理してくれます。


調理ボランティアの人はメニューのシートに誰がいつ何食どの食事を作れるかを書き込み、必要量の材料を集積所から自宅へと持ち帰ります。出来上がった食事は、また私の家に届けられます。


今度は発送です。ここにもボランティアがいて、希望と許可のあった部隊ごとに必要数の食事が箱詰めされて、これもまたボランティアの運送担当者の手によって、部隊へと届けられるのです。噂を聞いた兵士から個人的に連絡があっても一人一人個別の対応は無理ですので、必ずIDFの調整担当者に希望を申し出るように言います。調整担当者からの連絡にそって、許可のある場所にのみ私達の食事を届けることができるのです」


Soldiers Kitchenのこれから

兵士たちへの食事は北から南へ。あらゆる場所にいる兵士たちに届けられました。

このように、様々な種類の仕事がありそれぞれがボランティアで組み込まれて機能していることがわかりました。ボランティアの人たちはキブツの住民から近隣の町に住む市民など、老若男女本当に様々。


「こんなに大きな活動になるとは思っていませんでした。」そう言いながら彼女は結局、3か月の間1日の休みもなく自宅を開放し、食事を兵士たちに届けたのです。一人で作っていた食事も、今では多くの人に支えられて1週間に2,000食を兵士に届ける大規模な活動へと変貌したのでした。そして、この活動はタリアさんの手を離れ、隣の町であるズィフロン・ヤアコブ市が引き継ぐことになりました。


「キブツ・マアヤン・ツビのタリア、おいしい食事をありがとう!」兵士たちの声を聞いて

食材集積所及び食事の発送所として解放され、毎日様々な人が絶え間なく出入りしていたタリアさんの自宅は片付けられ、家の扉には通常通りに鍵がかけられ、普通の個人宅へとその姿を戻しました。(食材を取りに来たボランティアは、ほとんどの人が「え?タリアさんはここに住んで生活しているの?」と驚くほど、彼女の家は公共の場所のように解放されていたのです。)


キブツ・マアヤン・ツビの食堂で行われた謝恩会。全員ボランティアとして働きました。

そして、ズィカロン・ヤアコブへ移動することを記念して、キブツ・マアヤン・ツビの食堂では参加ボランティアが集まってささやかな謝恩会が開かれました。


「人はそれぞれ事情や状況が異なりますので、ボランティアはそれにたくさん力を注げる人とそうでない人がいます。それでも、たとえどんな小さなネジでも、たった一つが欠ければ大きな機械も動けなくなってしまうものです。だから、自分の持てる力でできることを、ほんの少しでも提供してくださったボランティアの全員に対して、私は同じ様に感謝の気持ちがありますし、一人一人は皆等しく重要なのです」と言うタリアさん。


謝恩会の最後にはタリアのご飯を食べた兵士たちから届いた沢山のお礼の写真やビデオが共有されました。謝恩会に参加した人々は笑顔で輝いていました。このような素晴らしい活動が、まさかあのような残虐なテロ行為をきっかけに始まった戦争に起因するとは本当に想像もつかないほどです。


隣町の市長さんや食料提供をしてくれた業者の代表者、その他多くの人々が謝恩会で謝辞を述べました。

まだ戻ることのできない拉致被害者、そして終わらない戦争…闇はとても深いですが、この活動を見て、闇からすらも光を生み出すイスラエル人の力を目の当たりにした気持ちになりました。


どんな苦しい状況にあっても、その状況を嘆き自分を憐れむだけではなく、小さなことでもいいから何かをはじめ、自分の力で前向きに進もうとする。そんな小さな力が集まって大きな力となる。これがイスラエル式ボランティアなのです。


そんな小さな力の一つに、何と日本人も関係していると聞きそちらも取材しました。次回はSoldiers Kitchenと関係のある日本人のグループについてお伝えしたいと思います。


タリアさんの自宅に出来上がった料理を届けに来た人達。日本人もいます。