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FOOD

イスラエルでベジタリアン、ヴィーガンに愛される、
豆腐レストラン「豆腐庵」

by 中島 直美 |2020年10月26日

豆腐庵外観

イスラエルのヴィーガン事情

「ベジタリアン」は日本語に訳すと「菜食主義者」で、肉を食べない人々のことを表しますが、最近は日本でも、肉や魚だけでなく乳製品や蜂蜜といった動物由来の食事や製品は一切利用しないという、「ヴィーガン」という言葉が、一般的になってきたかと思います。


実はイスラエルは世界屈指のヴィーガン大国。2019年のイスラエル外務省の発表によると、イスラエルは全体の人口の5%がヴィーガンで、これは「世界で最も高い割合」なのだそうです。


イスラエルで、ヴィーガンや菜食主義が広く受け入れられるその理由は何でしょうか?いろいろと考えられますが、もともとユダヤ教には非常に厳しい食物規定があり、「禁止とされた物は徹底的に食さない」という食文化が根底にあることもその理由の一つではないかと考えられます。(「食べてはいけない」という禁止だけでなく、食べ合わせや調理法、さらには使用する食器の種類に至るまで、規定を適応している人たちも大勢いるのです!)


食物規定が守られている食べ物であるということを示す「コーシャ・マーク」
食物規定が守られている食べ物であるということを示す「コーシャ・マーク」

このように、イスラエルではヴィーガンは比較的ポピュラーなのですが、実は、イスラエルのヴィーガンたちにとても広く受け入れられている日本食があることを、皆さんはご存知ですか?


それは、豆腐です!日本では日常的な食材であるとともに、精進料理といった肉を避けるような料理にもよく利用される、豆腐。良質な植物性たんぱくが豊富な大豆が原料の豆腐は、ベジタリアンだけでなくヴィーガンにも愛される食材なのです。


豆腐イメージ

今回は、そんなヴィーガン大国イスラエルに豆腐を広め、ヴィーガン及びベジタリアンが、全国、遠方からも訪れるという豆腐レストラン「豆腐庵」を経営する鴨谷純さん、通称「豆腐屋純ちゃん」に、イスラエルに豆腐レストラン「豆腐庵」ができるまでを語ってもらいました。


豆腐庵ロゴ

「お豆腐屋さん」の夢、イスラエルへ渡る

テルアビブから北へ約60キロ、イスラエルの北部、ビニヤミナという人口約15,000人程の小さな町に「豆腐庵」はあります。イスラエルの飲食店市場はとても厳しく、「開店から5年間生き残ることができるレストランは全体の20%のみ」と言われるほど。半年前に開店したレストランや、ここ1~2年で慣れ親しんだレストランが今日は閉店していて、店主が変わったとか、別のお店になったとか、そういった入れ替わりは日常茶飯事です。そんな中で、繁華街や大きな街にあるわけでもない、一見何の変哲もない小さな「食堂」といった感の「豆腐庵」ですが、それでも「開店から5年間、客足が途絶えることがなかった」と、鴨谷さんは言います。


豆腐庵で豆腐料理を嗜むイスラエルの人々
豆腐庵で豆腐料理を嗜むイスラエルの人々

鴨谷さんがイスラエルに移住したのは1997年。そんな時代になぜイスラエル?なぜ豆腐を?そんな問いに鴨谷さんは答えてくれました。


「イスラエルを知ったきっかけは、イスラエル人のパートナーです。でも、イスラエルに住みたいと思ったのは、イスラエルを旅行した時に差別をまったく感じなかったから。若いころは、イスラエルを含んだいろいろな国を旅行しましたが、イスラエルほど自分が自分でいられる国は他になかったですね。好きな国や楽しい国は他にもいろいろありますが、私にとって、イスラエルは本当に居心地の良い国。

豆腐屋をやりたいと思ったのは、その頃アメリカでも豆腐が流行ってきていたし、豆腐なら世界中どこでも通用すると思ったから。

皆が買いに来てくれるお豆腐屋をやりたい、そんな夢、という感じでした」


日本で豆腐の作り方を学び、機械を購入してイスラエルへ運送。大きな夢を心に、片道切符で日本を飛び出した鴨谷さんですが、夢をかなえる現在までの道のりは、決して単調ではありませんでした。


出来上がった豆腐と鴨谷さん
出来上がった豆腐と鴨谷さん

「トーフ・インダストリー」への道

イスラエルに移住してすぐ、鴨谷さんはパートナーや友人の助けを借りて豆腐工場を開き、さっそく豆腐作りを開始します。


豆腐作りそのものは順調でした。鴨谷さんが時流を読んだとおり、イスラエルでも徐々に日本食ブームが始まり、ベジタリアン、ヴィーガンの風潮も追い風となりました。そして前述したように、イスラエルは食物規定がとても厳しいのですが、肉製品でも乳製品でもない豆腐は、宗教的な問題も少なく受け入れられたのです。豆腐を買いたい、食材として使いたいという食品会社は増え、ゾグロベック、オセムなどという、イスラエルの大手食品会社からの注文も後を絶ちませんでした。


一生懸命豆腐を作り、売ってきた鴨谷さん。一見大成功しているかのように見えたのですが、豆腐工場の機械の使い方をイスラエル人たちに教えながら、数字を計算して売り上げを伸ばし、事業を拡大する日常に違和感を感じていた時、パートナーとビジネスに関する方向性がまったく異なっていることに気づきます。


「自分は、『皆が買いに来てくれる豆腐屋』をやりたかったのではないのか。工場を経営することが自分の夢だったのか。このまま、自分の作った豆腐を食べてくれている人の顔を見ることもなく、『トーフ・インダストリー』の道を進み続きけるべきなのか」


豆腐イメージ

成功しているように見えて、拭い去れない違和感の正体はこの問いでした。そして彼女は、すっぱりと「トーフ・インダストリー」の道から手を引くことにしたのです。


豆腐工場の自分の権利を売り渡し、「自分一人の生活ならとりあえず自分で面倒見れるくらいのお金は手に入った」という鴨谷さん。豆腐の世界から遠ざかった彼女は、経済成長真っ只中のイスラエルで、日本向けのカスタマーサービスを行う会社に就職しました。


「お豆腐屋さん」の夢、再度目覚める

「まあ、気楽に働いていました」と、鴨谷さん。けれど、そんなイージーゴーイングな生活も長くは続きませんでした。ガンが発覚したのです。彼女は治療と静養に集中し、その甲斐あって約8か月後にガンは完治、仕事にも復帰しました。しかし、時を置かずして勤めていたカスタマーサービスの会社は倒産してしまったのです。この出来事で鴨谷さんは、再度自分の夢を見つめなおすこととなりました。やはり、自分にできることはこれだと、豆腐作りを再開したのです。


「豆腐の知識も道具もあったし、やっぱり、これが自分のできることかなあと思って。結局、これしかないというか。それで、とにかく、お豆腐を作ってフェイスブックで声をかけて、欲しいと言ってくれる人に売っていました。

2丁の豆腐をデリバリーしたこともあります。あんまり儲かるかどうかとか、深く考えてもいませんでしたね。でも、お豆腐が欲しいと言ってくれれば届けていました。」


鴨谷さんが作る豆腐
鴨谷さんが作る豆腐

この頃のイスラエルは、すでに豆腐ブームは過ぎ去っていましたが、彼女自身が邁進させた「トーフ・インダストリー」のおかげもあって、トーフはすでに日常的な食材となっていました。トーフはどこのスーパーでも気軽に手に入る食材になってはいましたが、それでもやっぱり「豆腐屋純ちゃん」の豆腐はスーパーで大量生産されている豆腐とは違う、という口コミがあっという間に広がり、ここに「皆が買いに来る豆腐屋、豆腐庵」の原型が生まれたのでした。


現在イスラエルのスーパーで販売されている様々なトーフ

TV東京「世界の秘境で大発見・日本食堂」と「豆腐庵」

「豆腐庵」の誕生について話を聞くと、「TVが取材に来て、『取材の時間も残り少ないから、早く店を開けてください』って言われたからです」と笑う鴨谷さん。


「イスラエルで豆腐を作ってデリバリーする日本人女性」の噂は、海を渡り日本に届き、2015年前後は日本のテレビ局からの取材の申し込みが次々と舞い込んだとのこと。


「TV東京の日本食堂という番組に取材してもらって、もうじゅうぶんだったから他のテレビは断っちゃたけど」と鴨谷さん。

「豆腐デリバリーが軌道に乗って、豆腐レストランにしたいと思って。でも、メニューとかどうしていいか考え込んじゃいました。店舗はすでに借りていたけれど、結局半年近くもレストランを開かず、デリバリーの豆腐作りに使っていただけでした」


そんな鴨谷さんの背中を押した要因はいくつかありますが、その一つがTV東京の取材。レストランはすでに開店しているという前提で取材に来たにも関わらず、まだレストランが開店していなかったため、開店のそのものをメインテーマに扱うことになり「あれよあれよという間に開店の話が進んだ」そうです。


TV東京、日本食堂で紹介された鴨谷さん

「メニューも値段もどうしていいかわからなかった頃、イスラエル人の友人の奥さんが遊びに来た時にね・・・」とその「奥さん」のモノマネを始める鴨谷さん。


「こう、足を組んで、けだるい感じで煙草をぷか~っとふかしてね。私のこのお店を見回して言うんです。『メニュー?いいんじゃないの?セット・ミール1つで。値段は50シェケル』って!(笑)彼女、これでもテルアビブで有名な高級バーを経営してるんですよ!

イスラエル人の、そういうところがいいと思う。なんでもとりあえずやってみれば?って。私は半年間もどんなメニューがいいのか、値段はどうするべきか・・・って、ずーっと考えてましたが、彼女の一言で結局、定食1本50シェケルでレストランを始めました」


豆腐庵の定食
豆腐庵の定食

今でこそ、前菜、メイン、麺類など、豊富なメニューの豆腐庵だけれど、開店当初のメニューは定食1種類のみ。それでも今も、「今週のスペシャル」というセット・ミール(定食)を出すと、一番に売れるのはやはりこのメニューなのだそうです。


現在、様々な豆腐メニューが展開される
現在、様々な豆腐メニューが展開

「豆腐庵」のこれから

豆腐庵を開店し、営業し続けてきた理由がもう一つ。「結局は人に助けてもらってるから」という鴨谷さん。近所に住む同じ飲食業界で働く日本人女性、豆腐工場を間借りさせてもらったことのある同業者の工場主、大家さんや近所の人たち。そして、お店を回す彼女を助けるイスラエル人従業員たち。


「まったく、調理人は盛り付け方を何度教えても、好き勝手に盛り付けるし、ウェイトレスはとりあえず注文の品出せばボケ―っとしてる。おかげで冷えたビールもなくなってるっていうのに誰も何も動かない。ごみ捨てに、掃除に、不足品のチェックに・・・私が一人でドタバタ働いて、私のこと店主だってわかってるのかしら?お客さんなんて、私のこと出稼ぎのお掃除おばちゃんだと思ってるんじゃない?」


と従業員に対して厳しい文句を言いつつも、いつも若い彼らの将来のことを案じている鴨谷さん。見ていると、感謝の気持ちを伝える言葉は常に惜しみなくかけているし、注意や叱責にもお互い遠慮がなく、信頼関係の上に成り立っていることが一目でわかります。


従業員たちと
豆腐庵の従業員たちと

その中でもスジがよく、責任感を持って頑張って働いてくれている、良い調理人がいるとのこと。鴨谷さんは「彼が本気なら、いろいろと教えて、今後、もっと彼に店を任せる形にしてもいいのかなとも思っています」と言います。


ヴィーガン人口の多いイスラエルには、テル・アビブやその他の都市にもヴィーガンレストランがたくさんあるというのに、こんな田舎の町はずれのレストランにまでわざわざ足を運ぶヴィーガンもたくさんいます。そんなイスラエリ・ヴィーガンのメッカ、豆腐レストラン「豆腐庵」。「最も自分らしくいられる国」で「みんなが買いに来る豆腐屋」という夢を果たした日本人が作り上げた小さなお城。


来る人皆をほっとした気持ちにさせるこのレストランには、ヴィーガンもベジタリアンも、そしてそれに全く関係ない人も、ふらっと来たくなる魅力があふれているのです。


豆腐庵にて。

豆腐庵