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CULTURE

書評 アビ・ヨレシュ著「世界を変えた15の物語 イノベーションの国イスラエル」

by 新井 均 |2022年05月12日

イスラエルイノベーションのイメージ

“スタートアップ大国イスラエル”というキーワードは、既に多くのメディアやウェビナーを通じて広く知られているだろう。特に今年は日本・イスラエル国交70周年という記念すべき年で、特別な美術展を始めとした様々なイスラエル関連イベントが行われていることもあり、普段あまりイスラエルに縁のない人々も、それらイベントを通して“スタートアップ・ネーション” “イノベーション”などのイスラエルの特徴を示すキーワードを目にする機会が多いかもしれない。ビジネスの分野では、技術革新のスピードがはやいだけではなく、技術そのものも複雑化、細分化する傾向にあるため、優れたイスラエルの技術を求めて、日本からも既に100社以上が現地に拠点を置き、テクノロジー・ハンティングや投資活動を行なっている。自動運転やAIなど、多くの企業が狙うハイテク分野では、イスラエルの技術を利用することが不可欠となっているのである。本書もイスラエルの多様なイノベーションを紹介しているが、他とは少し「異なる視点」から事例を集め、分析していることが大きな特徴である。


アビ・ヨレシュ著「世界を変えた15の物語 イノベーションの国イスラエル」

本書の著者アビ・ヨレシュ自身も起業家であり、他の多くのスタートアップ同様にイスラエルの経済的成功に寄与している一人だ。独自の視点でユニークな技術、製品を開発し、それが投資家や市場に認められて資金を調達し、ナスダックへの上場やGoogleなどの大企業に買収されるという“エグジット”を成し遂げ、そこで得た資金で更に新しい課題に挑戦する、というシリアルアントレプレナーを数多く生んでいるのがイスラエルである。ヨレシュ氏は、そんな起業家やスタートアップに接するうちに、彼らの生んだ技術や製品が、単なる経済的成功だけではなく、様々な社会課題の解決に寄与している事例が多いことに気づいた。本書では、そのような社会課題の解決に寄与するイノベーションが15例紹介されている。その15例とは、下記のとおりである。


① バイクを小型の救急車に仕立て、ウーバーのようなGPSを利用したアプリにより、到着時間を大幅に短縮した、ユナイテッド・ハツァラー

② 貴重な水を効率的に農業に利用し、作物の収量も改善することが可能な点滴灌漑システム、ネタフィム

③ ガザ地区からのロケット攻撃を無力化にした迎撃システム、アイアンドーム

④ 農薬を使わずに、収穫した穀物に湧く害虫を駆除できる袋、グレインコクーン

⑤ 効率の良い太陽熱収集器を開発した、ハリー・ツビ-・タボル

⑥ 脊髄損傷で下半身不随となった障がい者の歩行を補助する装置、リウォーク

⑦ パーキンソン病を治療する脳深部刺激療法のために、脳内の治療箇所を特定する脳内GPSを開発した、アルファ・オメガ

⑧ インターネットのセキュリティを守るために不可欠となった、チェックポイントのファイアウオールウォール

⑨ 飲む胃カメラ、ギブンイメージングのピルカム

⑩  CT画像から脊柱の3次元画像をAIで合成し、手術の支援をするスパインアシスト

⑪ 止血のために13Kgの圧力をかけられるエマージェンシー・バンデージ

⑫ 割礼で切除した包皮からインターフェロンを採取し、多発性硬化症の薬を製造

⑬ マリファナの医療応用

⑭ 渡り鳥と航空機との衝突を回避するために、何年もかけて渡り鳥のルートを解明

⑮ 2000年まえのナツメヤシの種から、絶滅種である植物をよみがえらせる


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新井 均 / 2021年04月13日


いずれの事例も、発明者のエピソードと共に、どんな課題をどのように解決したのかが詳しく述べられており、読み物としても大変興味深いが、それに加えて、これらは人間が直面する様々な脅威から人々を守ろうとする挑戦であることにも気づかされる。イスラエルの優れたイノベーションは世界で知られており、それを可能にするイスラエル独自のエコシステムは近年日本でも研究の対象となっている。政府による投資家への様々な支援・優遇施策や、男女共に義務である兵役経験が人々のネットワークを強化するなど、多くの分析・解説があるが、それらはいずれもイノベーションを生みやすくする「仕組みや枠組み」の問題であり、イスラエルの起業家が生み出すイノベーションの中味として人命に直結するような課題解決が目立つ、という著者の指摘には直接つながるものではない。自然災害の脅威が多い日本では、例えば耐震建築技術などが高度化しており、そのような建築技術はイスラエルには無いだろう。従って、それぞれの環境で直面する課題・脅威が異なり、イスラエルの場合は人命に直結する課題が多いのではないか、という見方もあるかもしれない。しかし、著者は、それだけではなくイスラエルの歴史や文化に目を向けるべきだ、と指摘する。


エルサレムの景色

建国以来イスラエルは、その建国自体を認めない国々や民族との対立・紛争の中にある。国際社会の中でもパレスチナ難民への支援は多いが、イスラエルへの支持は必ずしも多いとは言えないのが実態だ。そんな中で、少しでも理解者を増やすべく、イスラエルは対外支援、救援活動を継続的に行っている。1958年には国際協力のためのマシャブという専門の組織を立ち上げた。2011年の東日本大震災のときも、イスラエルは真っ先に医療チームを東北に派遣してきたのを記憶している方も多いだろう。仙台市を中心にその縁は続き、今年はイスラエルの専門家が東北地方のスタートアップを支援する活動にまで関係が発展している。現在のロシアによるウクライナ侵攻でも、政治的にはイスラエルは微妙な立場にあり、必ずしも欧米と足並みを揃えてはいないが、一方で、3月22日にはウクライナ西部のリビウに医療チームを派遣し、野戦病院を立ち上げウクライナ市民を支援している。これらの動きは、政治・外交的思惑だけではなく、他人に無関心ではいられないというユダヤ人のある種の行動規範ともなっているのだ。


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ISRAERU 編集部 / 2022年03月23日


ユダヤ教の影響もあるかもしれない。ミシュナー(ユダヤ教の指導者の議論、口伝)の中には、“ティクン・オラム”というヘブライ語が度々出てくるそうだ。「世界の修復」という意味だそうだが、世界をより良くする、というメッセージであり、神のパートナーとしてユダヤ人には世界をより良くする責務がある、と考えているそうだ。このような教えが、スタートアップで成功しお金を稼ぎたい、という動機とともに、困っている人々を助けたい、という動機がイスラエル人のなかに併存する根源になっているのではないか、と著者は指摘している。


祈るユダヤ人

本書は、そのタイトルとしてはビジネス・経済書であり、それぞれのイノベーション事例の物語も面白く読めるが、それらの社会課題を解決するイノベーションを生み出す本質がどこにあるのか、ということを考えさせられる人文・社会科学の本と言っても良いのかもしれない。成功を求めて挑戦する多くのビジネスマンや起業家に読んでもらいたい。