1965年に創業したネタフィムは、シムハ・ブラスというエンジニアがアイデアを出した「点滴灌漑」の原理に基づく水供給システムを事業化した企業です。1948年に建国し、周囲を敵対する国に囲まれたイスラエルでは、水、エネルギー、食糧の確保・自給は安全保障上の喫緊の課題でした。ただ、地理学的にはイスラエルの国土の60%は砂漠で雨は殆ど降らず、水源も北部のガリラヤ湖に頼っていたため、農業の環境としては決して恵まれてはいません。したがって、水を確保すると同時に、その水を無駄にせずに有効利用することは、イスラエルの農業にとって重要なテーマだったのです。シムハ・ブラスが開発した原理は、農作物の根の部分だけに必要な水を供給出来る仕組みで、水を節約することが可能です。彼は、イスラエル南部ネゲブ砂漠の近くにあるキブツ・ハツェリムの協力のもとに実証を行い、その画期的な仕組みの有効性を確認しました。水を流す長いパイプの中にドリッパー(下記写真)を一定間隔で配置することで流量、水圧をコントロールし、各ドリッパーの場所から正確に同じ量の水を吐出することができるのです。
畑全体に散水するのではなく、作物の根の場所にだけ、必要なタイミングで必要な量を点滴で灌水するので、水利用の効率性が一気に高まりました。ネタフィムは世界110カ国にシステムを提供する、この分野でNo.1の企業です。今回、この画期的なシステムの日本、台湾、韓国でのビジネスを統括するジブ・クレマー(Ziv Kremer)さんにお話を伺うことが出来ました。Zivさんは2000年以来累計16年間日本に住んでおり、日本語も堪能で、日本語も交えながら詳しく説明をしてくれました。
―――なぜネタフィムが世界中で求められるのでしょうか?
Ziv:世界の人口は増え続けており、2050年までに30%増えると言われています。また人々も豊かになり、摂取するカロリー量も増えるため、食糧を60%増産することが必要です。しかし、増える人口によって都市化が進むため農地は減少し、水も不足するので、生産効率の高い農業が求められます。それだけではなく、旧来型の農業は実は環境汚染にも一役買っています。つまり、農地に撒いた肥料や農薬が、散水によって流れ出し、結果的に川の水を汚染しているのです。
ネタフィムの核となる技術は、作物の根の部分だけに水や肥料を吐出することができるドリッパーですが、それだけではなく各種センサーを設置して、作物の根の周辺の湿度、残っている肥料の量、周辺の気温、太陽光の照射量、風など様々な条件を測定して、「必要なタイミングで必要な量だけ」の水や液体肥料を供給するトータルなシステムとして提供することができるようになりました。2年前からは、これらのデータをAIで解析することで、水やりの時期や作物の成長を予測することも出来るのです。今までは、農作物を育てるには経験とノウハウに基づく作業が必要でしたが、ネタフィムのシステムを利用すれば、経験の乏しい初心者でも作物を育てることが出来るようになったのです。また、一般的には畑は平地であることが条件ですが、ネタフィムでは傾斜地での灌水も可能になるため、従来利用が難しかった斜面でも農作物を育てることが可能になります。
また、ネタフィムのシステムは露地だけではなく、むしろ温室での作物栽培に適しています。温室では、従来より温度や光の照射時間等を制御していますが、そこにネタフィムを組み込むことで、自動化された作物栽培も可能になり、収量を改善することができます。また、一度利用した水をUVで殺菌することで雑菌を取り除き、水のリサイクルを可能にするシステムも作っています。さらに、ネタフィムは基本的にオープンシステムとして設計されているので、ドローンなど様々な技術と組み合わせて多様な発展をさせることが可能なのです。
―――日本での事業の現状と課題を教えて下さい。
Ziv:海外では既に広く利用されているネタフィムのソリューションですが、残念ながら日本ではまだまだこれから、という状況です。それにはいくつかの要因があります。
まず、イスラエルと異なり、日本は大変水が豊かです。従って、水の有効利用という面で、農業が切実な問題を抱えているわけでは有りません。また、ほとんどがお年寄りが小規模に行う農家であり、その生活は、息子や娘の行う農業以外の仕事で支えられているのが実態です。従って、農業を近代化するために投資をする、という発想にはなりにくいのです。
ただ、新しい取り組みも始まっています。例えば、東京都では2001年から一定規模の敷地の建物に対して、敷地内や屋上の緑化を義務付けています。豊洲市場の屋上も緑に覆われていますが、ここにもネタフィムが利用されています。ビル壁面を緑化している例もありますが、このような場所こそネタフィムによる灌水が必須となります。別の事例ですが、常盤橋にあったパソナのビルでは、ビルの中で野菜を栽培していました。そこで育てた野菜を1階のカフェで提供する、大都市のなかでの地産地消を実現していたのです。そこにもネタフィムが貢献していました。屋上緑化や都市での野菜工場のような取り組みはこれからも広がっていくと思います。また東京オリンピック2020においては、国立競技場と選手村でネタフィムの潅水システムが使われています。
また、東日本大震災以降、再生エネルギーへの取り組みが盛んになり、各地に太陽光発電プラントが増えてきました。その中で、太陽光パネル設置場所を嵩上げし、パネルの下でお茶の木を育てるという取り組みが始まっています。もともと抹茶にするお茶の木を育てるには遮光が必要なので 、パネルを遮光カバーとして利用しながら、同じ面積の地面を発電と農業との2倍に利用するという取り組みです。山口県のプラントではお茶の木の根元にネタフィムが埋められて、灌水に利用されています。この取り組みはNHKのニュースでも放送されました。
日本でも、大手企業や農家グループ、若い専門農家が農業に参入することで、農業は変化し始めています。農業の近代化が進むことで、農地整備、集約農業、そしてデジタル化を推進しているのです。ネタフィムジャパンは、この農業の近代化という分野において高い市場シェアを誇り、農業の変化の波と共に日本国内でのビジネスを成長させていきます。
―――東日本大震災後に東北の農家を支援してくれたと伺いました。
Ziv:はい、イスラエル大使館と共同で、福島と宮城に多数のシステムを寄付しました。
津波にさらわれた大地は海水の塩分や倒壊家屋、化学物質、オイルなどで汚染され、農地は全く使うことができなくなりました。そこで、我々は多数のコンテナを用意し、その中に汚染されていない良い土や、ココナッツシェルのファイバーを砕いたCoco Peatと呼ばれる材料をスリランカから輸入してコンテナに入れ、農家の方々に提供しました。それにネタフィムの灌水システムを組み合わせることで、福島や宮城の農家の方々はすぐに農業を再開することが出来たのです。これは2011年と2012年の2年間で行いました。また、日本政府主導の復興事業で多くの温室も再建されました。我々は日本の温室メーカーと一緒になってこれらのプロジェクトにも参画しました。この10年間大変多くの復興プロジェクトに貢献出来たと思います。
ちょうど先日、3月10日に宮城県の亘理町のメノラー(Menorah)ファームでセレモニーがありました。このファームは、セリアさんというユダヤ系インドネシア人の女性が運営するNPOが中心となって実施されました。我々が提供したコンテナとAIを組み込んだネタフィムのシステムを、亘理町の子どもたちが使って作物を育てるのです。我々は東京からオペレーションの支援をし、経験のない子どもたちが作物を育てます。5月には改めて現地を訪問し、システムの使い方を教えるとともに、子どもたちと一緒に作物を植える予定です。
ネタフィムのシステムは、センサーで作物の成長や環境条件を検知しながら最適なタイミングで必要な水と肥料を与えることで高効率の農業を実現するという、まさにIoTのソリューションです。”IoT”とか”DX”というバズワードが語られ始めるずっと以前から、彼らは農業のデジタル化を進めてきました。砂漠のような地域でも効率的に農業を実現する、という難しい課題に技術で挑戦してきた結果です。
農林水産省によれば、日本の食糧自給率は(カロリーベースで)38%です。世界の人口増加とともに、今後、水や食糧は石油資源同等の戦略物資になってゆくと考えられます。我々日本人も、”輸入したほうが安い”と経済性で考えるだけではなく、必要なものは自ら作るという意識も持たねばなりません。補助金政策に守られた非効率な農業から、生産性の高い近代的な農業へと産業構造を転換してゆく必要があります。ネタフィムのような課題解決のための技術は既にあります。我々が取り組むべきは、補助金政策の見直しや、食糧自給を軽んじている我々自身の意識ではないでしょうか。
ネタフィム ジャパン