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CULTURE

空気を読まないイスラエル人

by 中島 直美 |2020年06月17日

イスラエル人は筋金入りのKY!?

「KY」。初めてこの単語を耳にした時の衝撃を、私は今も忘れません。


Kuuki、YomeてもYomeなくても、どちらにしろKYじゃない?!」その思いが、私の頭を離れることなくまわり続けました。


それなのに、常に否定の意味を持つ運命を背負ったこの単語。日本社会において、「空気を読むこと」はデフォルトであり特筆されるべき事象ではないという事実と、「空気を読まない」ことがいかに罪深い行為なのかを、如実に物語っている例として私の脳に刻まれたのでした。



この驚きがきっかけとなり、私はイスラエルで自分と他人を顧みることとなりました。「私はKYになっていないだろうか?誰かが私をKY認定していないだろうか?仲良しグループで一番KYなのは誰だろう?」というふうに。


KYになりたくないばかりに、「空気読めても読めなくても、どっちでもKY」という言語学的世紀の大発見をもひた隠し、「空気を読むこと」について敏感なる日々を過ごした、ここイスラエル。たどり着いた先はなんのことはない、「イスラエルでは空気を読んだら負け」という事実でした。


「空気を読む」という、この不可視な行動に「KY」という記号が付加されただけで、私にとって今まで理解不能だったいくつかのイスラエル人の行動の謎が、まるで春の雪解けのように、サーっと溶解していきました。


ディスカッションの様子

例えば、イスラエルで親せき中が集まり、次の休暇はどうするかと皆で話し合うシーン。それぞれが言いたいことを言っていてまとまりが全然ないながらも、8割方の意見が一致し始めそうな頃、それまで積み上げてきた皆の意見をひっくり返そうとする人が必ず現れる。なぜ?


例えば、会社のプロジェクトの会議で、めったに来ない偉い人が意見を述べている。私などはそのお言葉をありがたく拝聴して、チームがいかに一丸となってプロジェクトを推進しているかということをアピールしようとしているというのに、偉い人の意見すらさえぎって、いつも以上にいきなりとんちんかんな案をぶち上げ、場の空気をかき乱す同僚。どうして?


学校の父母会だってそうだ。日本だったら絶対にさら~っと流して「お手を拝借、はい、チャンチャン!」で丸く収めてしまうようなことも、誰かが必ずいちゃもんをつける。毎年のことだというのに、そしてもう夜も遅いというのに、なにゆえに???


日本人の私には、これがどうしても理解できませんでした。「ただでさえバラッバラの意見を言う人々なのに、どうして絶対にまとまろうとしないの?どうして必ず自分勝手にひっくり返そうとする人が現れるの?(しかもそれが大してすごい意見でもないのに!!)」


その答えはただ一つ。「イスラエルでは空気を読んだら負け」だから。日本では、皆の意見がまとまりかけている時に空気を読まずに独自の意見をさしはさむような人はうっとおしがられる。それと同じくらい、イスラエルでは独自の意見を持たずに周りの意見に同調する人は白い目で見られるのです。この謎の行動は、KYアピール、空気を読んでいませんアピールだったんだ!!!


「空気を読んだら負け」の理由とは?


それでは、なぜイスラエルでは空気を読まないことがそれほど重要なのでしょう。原因はいろいろあると思います。「法の民」と言われるユダヤ教徒は、聖書に書かれている一言一句を検証し、確認し、調べてきた。きっと、そういうことも関係していると思います。


また、歴史も関係していると思います。2000年以上も国土を持たずに差別されつつ世界中をさまよったユダヤ人は、そのアイデンティティを守るためにありとあらゆる努力をしてきました。その歴史は、アイデンティティを守ろうとするから差別され、差別されるからアイデンティティをさらに守る、という、悪循環にすら感じられるほど。最終的には、第二次世界大戦中の、ナチスによるユダヤ人大虐殺を辛くも乗り越え、念願の国土を手に入れるという民族カムバックを果たしたのですが、これは「調和と同調」により国を繁栄させた日本とは、真逆の歩みです。


調和がとれないと落ち着きを感じられない日本人と全く同じ感覚で、イスラエル人は人々の同調により物事が進んでしまうと心がざわついてしまう。ここイスラエルでは、KY認定された人は人々の心を落ち着かせる、スーパーヒーローなのです。学校教育や会社での評価の仕方を見ていると、それがよくわかります。



先生の言うことをただ黙って聞いている生徒は、たとえ試験でよい点を取ってもあまり評価されません。上司の指示に黙って従う部下は、仕事にやる気がないと判断されます。上司を批判し、先生の間違え(と思われる点)を人前でも指摘する。これがイスラエルで有能とされる部下、賢いと言われる生徒です。「はい、そうですね」と納得した時点で前進はない、と信じているイスラエル人。たとえ間違った意見や、不正解なことでも、重要なのはそれを皆に知らしめ発表すること。「違う意見が却下された」という事実が、採用された意見の正しさを裏付けるからなのです。これをKYと言わずして、なんというのだろう!繰り返しますが、イスラエルでは、空気を読んだら負けなのです!


そんなわけで、もしイスラエルでも「KY」という言葉が生まれることがあるとすれば、それはやはり「空気を読まない」という否定の意味を持つ単語となり、けれどそれは称賛の言葉として使われるのだろう…などと徒然と考えたのでした。そんな風にイスラエルを理解してからというもの、KY認定がちっとも怖くなくなった私は、空気を読む努力をしなくても良いイスラエルの生活がすっかり楽になりました。(笑)