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CULTURE

ありのままの姿で、そして破天荒に!イスラエルのバレーボールチームで活躍する松尾敬介選手

by 中島 直美 |2022年03月18日

イスラエルリーグのバレーボールチーム、ハポエル・クファル・サバでは、昨年活躍した野瀬将平選手に引き続き、今年も第一リベロとして日本人選手がチームを支えています!2021年8月より、ハポエル・クファル・サバでプレーしている日本人選手、松尾敬介選手を取材させていただきました。

ハポエル・クファル・サバ、第一リベロの松尾敬介選手。背番号は15番。
ハポエル・クファル・サバ、第一リベロの松尾敬介選手。背番号は15番。

在留邦人を魅了してやまないの松尾選手の活躍

コロナ規制もその多くが廃止され、屋内でのスポーツ観戦などもかなり自由になった2022年のイスラエル。念願の、イスラエルバレーボールリーグの試合を観戦に行きました。在イスラエルの邦人たちが誘い合わせて観戦に行くという、ハポエル・クファル・サバの試合。そこでは、機敏な動きでどんなボールも落とさない松尾選手が活躍しています。チームカラーの緑の服を着た在留邦人達が、そんな守護神リベロに声援を送っていました。


チームカラーの緑の服で松尾選手を応援する子供たち
チームカラーの緑の服で松尾選手を応援する子供たち

松尾選手、試合後は観戦に来た子供たちとの交流も欠かしません。着ているシャツや持っている水筒に次々とサインをねだりに来る子供たち全員に、ひとり残らず笑顔で対応です。そして観客席の日本人たちに「今日も応援に来てくださってありがとうございます」と心を開いて語りかけてくれるのです。


子供たちにサインをする松尾選手
子供たちにサインをする松尾選手

そんな「愛され力」たっぷりの松尾選手。松尾選手の周辺はどんな時も楽しく明るい雰囲気が当たり前なのかと思ったのですが、しかし現実は、イスラエルに来るまで、そして来てからも、その道は決して平坦で楽しいことだけではなかったのです。


松尾選手とバレーボール

松尾選手は、佐賀県の出身。小学2年の頃からバレーボールをはじめ、中学、高校と常にバレーボールと共にある学生時代でした。佐賀学園高校在学中は高校バレーボールの最大の舞台「春高」、全日本バレーボール高等学校選手権大会にも出場。キャプテンを務めていた松尾選手は、大学でもバレーボールを続けるという前提で、スポーツ推薦でバレーボールの強豪山口県の東亜大学へ進学しました。高校卒業後は、大学の授業開始を待たずにバレーボール部の寮へ入寮。すぐにバレーボール漬けの生活がはじまりました。


どんなボールも絶対に落とさない!
どんなボールも絶対に落とさない!

しかし松尾選手は「その頃は本当に、バレーボールを続けられるような精神状態ではなかった」と言います。


「高校の3年間はバレーボール一色で、本当に厳しい練習にも耐えてきました。チームの皆と春高に行く。もう、それだけが目標でそこに向かってずーっと突っ走っていた。それが、春高出場を果たして、何というか、燃え尽きたとでもいうのでしょうか、バレーボールをやりたいという気持ちが湧かなくなってしまったのです。」と松尾選手。


「それでも、高校を卒業して大学に入ればまた、バレーボールをやりたい気持ちになるかなと思ったのですが、どうしてもそうはならなくて…。そんな気持ちなので、つらい練習も本当につらいだけになってしまうのです。大学でも僕よりもっと真剣にバレーをやりたいのに部に入れなかった人もいるだろうに…という思いもありました。親に寮費を出してもらったりしながら、こんな気持ちのまま4年もバレーボールを続けることは到底ムリだ。そう思いました。それでもう、何度も何度も監督にバレーボールをやめたいと、言い続けたのです」


バレーボールを続けることの意味がわからなくなっていたという松尾選手。最終的には足首の怪我をきっかけに、大学をやめてしまったそうです。


バレーボールの写真

「その後は地元佐賀に戻り、1年ほどは本当に好きに暮らしていました。アルバイトしたりしながら…。でも、徐々に地元の佐賀にいることが苦痛になってきたのです。高校までバレーボール一筋でチームを率いて全国大会にまで出場した僕を知っていた人に“今、何やってるの?”と聞かれて自分を振り返るのは、とても恥ずかしい気持ちでした。風の便りに、以前の仲間がバレーボールで実力を発揮しているなんて話も耳に入ったり…。そして一番辛かったのは、僕を推薦してくれた高校時代の蒲原監督に見せる顔がなかったことです。もう、自分はどうすればいいかわからなかった。それで、東京の親戚の家にしばらく置いてもらうことにしたのです。怪我のリハビリもあったし、東京で心機一転、何かを始められればという思いも心のどこかにあったかもしれません」


しかし、バレーボール抜きの生活はそれほど長くは続きませんでした。


「そんな風に悩みながら暮らしていた時期に、つくばユナイテッドSun GAIAという、Vリーグ2部のチームの練習に参加させてもらったのです。ああ、やっぱりバレーボールって楽しいな、と思いました。こんな感じで、楽しくバレーボールを続けられればいいなって、思ったのです。」


こんな出来事がきっかけでバレーボールの世界へと舞い戻り、その後、つくばユナイテッドSun GAIAで2年、大分三好ヴァイセアドラーで3年、選手としてバレーボールを続けました。


大分三好ヴァイセアドラーでの試合
大分三好ヴァイセアドラーでの試合

「バレーボールを楽しくやりたいって思ったけれど、やっぱり始めてしまえばどうしてもそうはいかないんですよね。楽しいだけではやっていけない。自分自身も本気になってしまうし、それに、僕にはバレーボール推薦で大学まで行かせてもらったのにそれを途中でやめてしまったという、負い目の様なものもありました。高校の蒲原監督はもう、口も聞いてくれなかった。僕が初めての推薦枠の入学者だったのに、変な前例を作って汚点をつけてしまったような形になってしまった。実際は大学卒業後の実業団への進路まで、考えてくださっていたそうなのです」


この様に、松尾選手とバレーボールの関係は決して単純なものではありませんでした。 


イスラエルへの道

「僕は、大分三好ヴァイセアドラーにいた頃、外国人選手の世話係もやっていたのです。英語もハロー位しかろくに言えない僕がです(笑)。でも、彼らから学んだことは多かった。特に、ルワンダ代表のヤカン・グマ選手には大きな影響を受けました。ルワンダにはバレーボールチームがないのです。実力とか年齢とか、いろいろな理由から契約が終わって国に帰れば、プレーする場もない。その彼に言われたのです。“敬介は、母国にプレーできるチームがあっていいね、ラッキーだよ”って。その時僕は、ちょっと結果が悪くても来年頑張ればいいかなくらいの甘い気持ちでいた自分に気づかされました。そしてこの先、自分がどのようにバレーボールに関わっていくか考える機会となりました。そこから自分も、いつかこの目で世界を見てみたい、プロ契約で、海外でもプレーをしてみたいと思うようになったのです。」


大分三好ヴァイセアドラーにてルワンダ代表のヤカン選手と
大分三好ヴァイセアドラーにてルワンダ代表のヤカン選手と

「イスラエル行きは、去年までハポエル・クファル・サバでプレーをしていた野瀬選手に紹介していただきました。その時僕は、フランスからのオファーがコロナの影響で取り消しになった矢先だったということもあり、本当にうれしかったです。契約すると決まった後の、イスラエル側の動きは早かったですね。驚きました。」


さらに、松尾選手にはもう一つうれしい出来事が。


「高校の蒲原監督に、また挨拶に行きました。大学をやめてから本当に口も聞いてもらえなかったけれど、この時監督は僕に“頑張って行ってこい”って言ってくださったのです。信じられない思いでした。食事もご一緒させていただきました。蒲原監督は、いつも僕を奮い立たせようと厳しく指導してくださっている。そんな監督の期待に背いてしまったのは僕でした。それなのに、また“頑張れ”と言ってくださった。僕にとってこんなにうれしいことはなかったです。あの時思わぬ形で恩を裏切ってしまった分も、イスラエルで頑張ってお返ししたい。そう思いました。」


バレーボールへの愛がとまらない!イスラエルリーグのバレーボールチームでプレーする日本人選手
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中島 直美 / 2021年02月16日


イスラエルで

紆余曲折を乗り越えて到着したイスラエル。しかし、ここでもやはり物事は簡単ではなかったと、松尾選手は言います。


「日本とイスラエルではやり方が違うというのは、頭ではわかっていました。わかっていたのですが、あまりの違いに、気持ちがついて行っていなかったと思います」と松尾選手。


ハポエル・クファル・サバのチーム写真
ハポエル・クファル・サバのチーム写真

どんなところが違っていて、何が大変だったかとの問いに、松尾選手は答えてくれました。


「僕、イスラエルは本当に大好きなんです。人々は優しいし、暖かいし、オープンだし、ヒエラルキーみたいのがほとんどなくて、心が自由ですよね。でも、バレーボール。僕はどうしてここに来てしまったんだろうって、何度も思いました。」


詳しくお話を伺うと、日本でのストイックな厳しい練習で鍛え上げられた松尾選手にとっては、まったく異なる世界が、イスラエルでは待ち受けていたようです。


「まず、練習の量が違う。内容も何のためにやっているのかわからないことも多いし、合理的じゃない。それに、何をやっても褒めあってる。日本のバレーボールはボールのコントロールにすっごく厳しいですから、ちょっと難しいボールをとった位では“ナイス”なんて誰も言いません。でもこっちでは違います。ボールがどこかに飛んで行ってしまっても、とりあえず触っておけば“ナイス”。“勝つぞ!”“「勝とうぜ!”なんて、皆、口では簡単に言ってますけどね、本当にその意味、わかってる?って言いたくなりました。勝つってそんなに簡単なことじゃない。ずっとそんな風に思っていたのです。」


それでも、そんな気持ちに風穴を開け、変化をもたらしてくれた人たちがいました。それが在住邦人の皆さんだと、松尾選手は言います。


松尾選手の活躍を応援に駆け付ける在留邦人たち
松尾選手の活躍を応援に駆け付ける在留邦人たち

「実際は、日本のやり方にこだわって心を閉ざしていたのは、自分の方だったとある時気づいたんですけれど、そのきっかけを作ってくださったのが、在留邦人の皆さんです。そしてもう一人、イスラエルのバレーボールチーム、マカビー・ハイファで活躍していらっしゃる日本人女子選手、南・オソキン・早希選手の存在がありました。彼女のプレーを見れたことが大きかった。彼女のプレーを見て目が開く思いでした。あんなに楽しそうにプレーしている。もう、見ているこっちまでバレーボールって何て楽しいんだろう!と思ってしまうほどでした。同じ日本人として、ここまで来るのに苦労が全くなかったとは到底思えません。それなのに、あんなに幸せそうに素晴らしいプレーをしていて…。それに引き換え自分は…と思わずにいられませんでした。僕の応援のためにわざわざ足を運んでくださっている日本人の皆さんは、僕のプレーを見て、楽しい気持ちになってくれているだろうか。こんな腐りかけた気持ちでプレーして、人に楽しい気持ちを起こさせるなんてできるわけがない…。」


リベロはチームの守りの要です
リベロはチームの守りの要です

それ以来、松尾選手は意識して自分自身を変えていったと言います。自分からチームメイトに声をかける。頑張ったね!という気持ちで応援する。声を出して、笑顔で、何より楽しくやろう!という気持ちでがんばる。そうやって少しずつ自分を変えていって、心の垣根を自ら壊していったそうです。そのおかげもあり、「腐りかけていた心が徐々に蘇って来た」と言います。何かが吹っ切れたようにスッキリとした笑顔でお話ししてくれた松尾選手。最後に、将来の夢について伺いました。


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ISRAERU 編集部 / 2020年09月16日


最後に

「世界を股にバレーボールを追い続ける!」「日本のバレーボールを背負って立つ!」そんな答を期待しつつ聞いた「将来の夢は何ですか?」との問いに「あんまり先のこととか深く考えないんですよね。僕、こんな感じなんで。(笑)」と、何とも力の抜けたお答え。インタビューする身としては一瞬ひるんでしまいましたが、確かに松尾選手の最大の魅力は「自然体」なところ。自分をことさら大きく見せようとか、実際より良く見せようとか、そんな力みがまったく感じられません。あるがままの自分、飾らない、自然体の自分で常に真っ向勝負。人間の弱い部分や完璧でない部分もしっかりと受け入れることのできる心の広さを感じます。


ボールに食らいついていく松尾選手
ボールに食らいついていく松尾選手

「今まで自分はレールからまったく外れた生き方をしてきました。でも、結局最後はバレーボールに戻ってきた。バレーボールは大好きです。でも選手の寿命は短いですから、僕はもっといろいろなことを見てみたいという気持ちもあります。大好きになったイスラエルで唐揚げ屋さんをやってみたいとか、IT業界を知るために勉強もしてみたいとか、いろいろな思いがあるんです。」


自分を型にはめず、常に自由な発想で物事を肯定的にとらえる力。松尾選手、イスラエルに来るべくして来た選手…そう思わずにいられませんでした。そんな松尾選手をどうしても応援したくなってしまう、在留邦人応援団の皆さんの気持ちが手に取るようにわかる瞬間でした。


実は筆者も、松尾選手を通じてイスラエルのバレーボールファンになってしまいました。イスラエルリーグのシーズンも終了間近。現在リーグ2位のハポエル・クファル・サバは3月20日(日)ハイファで行われるイスラエル杯の準決勝・決勝戦に出場します。その後もリーグ戦の準決勝、決勝戦が待ち構えています。試合の様子はイスラエルバレーボール協会のサイトからもライブで観戦可能ですので、興味のある方はぜひ、松尾選手及びハポエル・クファル・サバを応援ください。


https://www.iva.org.il/Team.asp?TeamId=11879&cYear=2022


そして、松尾選手の心に元気と勇気を与えた早希選手のプレー。彼女の所属するマカビ・ハイファチームは現在、圧倒的な強さで女子リーグを制しているとのこと。次回は、女子リーグの試合観戦に行き、彼女を応援したいと思っています。


松尾選手、イスラエルでのプレーは1シーズンという契約、5月になれば日本に帰る予定だそうです。


「帰国後の予定はまだ何も決まっていないですが、お世話になった蒲原監督の元で国体(国民体育大会)には出たいと思っています!どうぞ、応援よろしくお願いいたします。」


松尾 敬介

https://note.com/mtokiskvolley628/