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CULTURE

日本人初!イスラエルのサッカークラブでプレーした、
村山拓哉選手に独占インタビュー

by ISRAERU 編集部 |2020年09月16日


サッカー選手として、ポーランド、タイ、セルビアなどを渡り歩き、2019年に日本人初のイスラエルリーグ所属選手となった村山拓哉選手へのインタビューが実現。「イスラエルのサッカーってどうなの?」「現地での暮らしは?」「治安は大丈夫?」など、知られざる魅力にあふれたイスラエルでの日々をじっくりと伺いました。唯一無二のキャリアを歩む流浪のフットボーラーが、肌で感じたイスラエルのリアルとは?


期待とチャレンジ精神を胸に、イスラエルへ。

―――今までポーランド、タイ、セルビアと多様な国で活躍されてきた村山選手ですが、もともと海外でプレーしたいという思いが強かったのでしょうか?


村山選手:そうですね、僕は京都の久御山高校から阪南大学に進学してサッカーを続けていましたが、その頃から海外でプレーしたいという夢は常に持っていました。実は大学4年生の時に日本のプロチームから内定をいただいていたのですが、直前でそのチームの体制がガラリと変わってしまって・・・。当然就職活動も一切しておらず、サッカーへの思いも断ち切れなかったので、最後に海外に行って無理だったら素直に諦めようと。卒業後、偶然知り合いを通じてポーランドに行けるチャンスをいただいたので、決断しました。結果的に今も好きなサッカーを続けられて、いろんな経験をさせてもらっているので、その決断は間違っていなかったと思っています。


出典:Hapoel Petah Tikba FC Facebook

―――サッカーというと世界中にクラブチームが存在しますが、その中でイスラエルのチームを選んだ理由を教えてください。


村山選手:これまでの僕のキャリアの中で次のチームを探す時は、対戦相手やチームメイトに紹介してもらうことが多かったですね。イスラエルもそう。セルビア時代にお世話になったマネージャーのパートナーが、イスラエルにいたんです。その方伝いに、あるチームの監督が僕のプレー映像を見て気に入ってくれたそうで、直接電話をくれました。僕も熱意がありましたし、イスラエルで日本人がプレーしたことがないのも知っていたので、これは面白いなと思ってチャレンジしました。このように思いがけないつながりができるのが、海外でプレーする上で楽しいことの1つですね。


イスラエルでプレーする村山選手

―――そのようなご縁から移籍を決断されたんですね。イスラエルという国の雰囲気やサッカー事情は、これまでの国と比べてどのような印象がありましたか?


村山選手:お誘いをいただいてから、友人や親に相談した時には「イスラエルって大丈夫か?」と心配されたりもしました。日本人にとってイスラエルサッカーはあまり馴染みがないと思いますが、ポーランド時代のチームメイトがマッカビ・ハイファFCという強豪チームでプレーした経験があり、彼から「安全で、海も綺麗で、気候も気持ちいい。何より人が温かい」と聞いていたので、自分の中ではイメージが良かったんです。上位チームはUEFAチャンピオンズリーグ(欧州クラブの最高峰の大会)に出場することもあるので、ヨーロッパの選手はイスラエルのことをよく知っていますし、「いいじゃん!」と言ってくれる人もたくさんいましたね。


待っていたのは、温暖な気候と陽気な人々。

―――イスラエルの生活にはすぐに慣れましたか?また実際に暮らしてみていかがでしたか?


村山選手:教えてもらった通り、人も優しくてとても住みやすかったです。今までプレーしてきた国の中でも上位に入りますし、すごく好きになりました。国土の小さい国でありながら、少し移動するとまったく違う雰囲気。僕は2チームでプレーしたのですが、ハポエル・ペタフ・ティクヴァというチームにいた時は都会のテルアビブからも近く、ヨーロッパ的な感覚の人も多かったです。その後、北部の港町アクレが本拠地のチームにいた時は、アラブ系の人が多く中東的な空気も感じました。


一方で、驚いたことといえば「シャバット(注:ユダヤ教の安息日。公共交通機関や商店などもすべてクローズする)」。金曜日の日没から土曜日の日没まで基本的には国全体がお休みになるので、それがすごく不便でした。買い物も先に済ませておかねばならず、レストランも開いていません。チームによってはユダヤ教の方もいるため夜間練習になることもあり、コンディションを保つのが難しい時もありましたね。


出典:Hapoel Petah Tikba FC Facebook

―――イスラエル国内でのサッカー人気はいかがですか?チームの雰囲気やサポーターの熱量なども併せて教えてください。


村山選手:サッカーはイスラエルでも人気のスポーツです。僕が今までやってきた国では、プレーで結果を残さないとチームメイトとうまくコミュニケーションが取れないこともありました。しかしイスラエルでは、たとえライバル関係であっても、サッカー以外では温かく接してくれて心地よかったですね。ポジションを争っている選手とも、休日は一緒にご飯を食べに行ったりしていましたから。


サポーターの方たちも基本的には優しくて、選手に対して罵声を浴びせる人などはいません。2部リーグに所属していたこともあって、他国よりもサポーターとの距離が近くて、Facebookで直接応援メッセージをもらったこともあります(笑)。とにかく人の温かさを感じました。


ファンの少年と記念撮影

―――サッカーは国によって戦術やスタイルも様々で、同時にそれが面白さでもあると思いますが、実際にイスラエルでプレーしてみて、肌で感じた特徴はありましたか?


村山選手:戦術は監督によるところもありますが、サッカーのスタイルは国によって全然違いますね。例えば、ポーランドでは接触プレーが多かったのですが、イスラエルはどちらかといえばラテン系の感じ、スペインや南米のスタイルに近いかと思います。そういった違いを身を以て経験できることこそ、海外でプレーをする醍醐味です。イスラエルのスタイルは、僕にとってはとてもやりやすかったです。気候が温暖なためか怪我のリスクが低く、コンディションを整えやすいんです。あとは人々が陽気なのも、気候が関係している気がします。


チームメンバーと

―――写真を拝見すると、チームメイトとも非常に仲の良さそうな様子が見て取れます。どのように関係を築かれたのでしょうか?


村山選手:特に意識して頑張ったことはなくて・・・イスラエルの人は本当に人懐っこくてよく喋ります(笑)。合流した初日から話しかけてくれますし僕も話すのが好きなので、すぐにフレンドリーになれました。練習が終わったらたいてい「一緒にご飯に行こう」「ディナーを食べにおいで」と誘ってくれます。自然とチームに馴染めるので、これから日本人選手が行っても溶け込みやすい環境だと思いますよ。むしろこちらが「申し訳ない!」と恐縮するほどよく声をかけてくれるので、ダブルブッキングしないようにするのが大変でした(笑)。


フレンドリーなチームメンバーたち

―――人種や宗教などが異なる多様な人々が暮らすイスラエルですが、サッカーチームの人種も様々ですか?またチームメイトたちはお互いにどのように接しているのでしょうか?


村山選手: チームにはユダヤ教、カトリック、アラブ系など様々な人がいましたが、みんなお互いの宗教にリスペクトを持っていました。いがみ合いなどはなく「自分は自分、あなたはあなた」といった印象ですね。ですから人種や宗教の違いが原因となるようないざこざは、僕は目にしませんでした。宗教というものがとても身近な存在のようで、「君はどんな宗教なの?」「日本人はどうなの?」「毎日お祈りしてる?」といった質問は、ごく日常的に受けましたね。


お気に入りはテルアビブ。穏やかなイスラエルの日常。

―――普段の暮らしについてもお伺いします。お気に入りの場所やまた行きたいスポットはありますか?また街の治安についてはいかがでしたか。


村山選手:テルアビブのビーチには毎日のように行きました。夜は比較的涼しいので、友達とゆっくりおしゃべりして、リラックスして。とても思い出に残っています。僕、テルアビブがすごく好きになってしまって、アクレのチームにいた時も車で2時間の距離を週3回ほど通っていました(笑)。


お気に入りはテルアビブのビーチ

イスラエルにいる間、怖い思いをしたことはまったくなかったです。日本にいるとニュースの影響もあって、どうしても紛争やテロなどのイメージが先行してしまうかもしれませんが、僕自身、危険を感じたことは一度もありません。


イスラエルの食事も好きで、今まで行った国の中でもかなり美味しかったです。一番好きだったのは、パンにチキンなどの具を挟んで食べる「ピタ」を使った料理。ただやはり、時にはさっぱりした和食も恋しくなりました。テルアビブにある「MEN TENTEN」という日本食屋さんがお気に入りで、よくラーメンや定食、お寿司を食べに行っていましたよ。


ピタを使った料理は村山選手のお気に入り

―――国民性や習慣など日本とは何から何まで異なる環境だと思いますが、何か困ったことやカルチャーショックを受けたことがありましたか?


村山選手:良くも悪くも日本と比べてルーズなところがあるので、それに振り回されたことも(笑)。ある時、家を引っ越すことになったので、それを随分前からチームに報告していたんです。「こちらですべて手配するから大丈夫、任せてくれ」とのことでしたが、いざ当日を迎えるとなんの手配もできておらず・・・。結局チームメイトにも協力してもらいながら、自分でセッティングしました。でも普段はみなさんとても優しくて良い人たちで、悪気がないのもわかっています。だから嫌だとかはまったく思わず、なんだか憎めないといった感じですね(笑)。


かけがえのない経験を糧に、次なるチャレンジへ。

―――サッカーという共通言語を携えて、様々な国でプレーしながら暮らしていく。本当にユニークで素敵なキャリアだと思いますが、村山選手がそこから得たものは何でしょうか?


村山選手:海外に行ってから自分と向き合う時間が増え、「周りがどう思うかではなく、自分がどうしたいか」をすごく考えるようになりました。様々な国の方と出逢い、話を聞くことを通して、自分のサッカー観はもちろん人生の考え方にも影響を受けましたし、本当に大切なことを教わりました。



―――2020年は新型コロナウィルスの影響もあり、世界的に苦難の年になっています。今後村山選手が挑戦したいことや達成したいゴールを教えてください。


村山選手:まずは、自分の体が健康で誘いをいただける限りは、サッカーを続けていくこと。特に、かつて自分が不完全燃焼で終わってしまったタイは、もう一度チャンスがあれば挑戦したいです。そして最後は、故郷でもある京都のチームでプレーして引退したいという夢があります。


もう1つは、サッカーを通して日本とイスラエルをつなぐこと。イスラエルで日本人選手がプレーしたい時、反対にイスラエル人選手が日本でプレーしたい時に、そのサポートをしていけたらと考えています。



―――最後に、村山選手のサッカー選手としてのモットーがありましたら教えてください。


村山選手:「楽しむ」ことを常に意識して、今まで行ったいろんな国で自分が感じたこと、自分がしたいプレーを、ピッチで表現したいです。今は世界的に大変な時期ではありますが、サッカーも生活も、これまで通りできるだけポジティブに考えて頑張っていきます。日常のすべてを楽しんでやろうという気持ちで。


―――たくさんの貴重なお話、どうもありがとうございました。


<プロフィール>

村山 拓哉

1989年生まれ、京都府出身のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。大学卒業後にポーランドへ渡り、2チームで主力として活躍。その後タイ、セルビアなど各国のプロリーグで経験を積む。2019年1月に、ハポエル・ペタフ・ティクヴァと契約し、日本人初のイスラエルリーグ所属サッカー選手となる。