「バベルの塔」は、世界平和へのヒント
旧約聖書の創世記に書かれているバベルの塔の物語によると、当時はすべての地で同じ言語を用いていたとされている。人々が神の領域である天まで届く塔をつくろうとし、神が怒って皆の言葉をバラバラにして混乱させたというのが一般解釈とされる。ヘブライ語では「混乱」という言葉をבִּלבּוּל (BILBUL)というが、その語源はこのバベルの話から来ていてるのだ。余談だが、日本語のバラバラやビビるといった言葉とヘブライ語のビルブルやバベルと似ているのは興味深い。
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ほとんどの場合は、人類の過信に対する戒めとして解釈されるバベルの塔の話だが、エリさんはこう言っている。
Eliさん(以下E)「神なんだから、どれだけ人間が頑張っても、天に届く塔など建てようもないのは知っているだろう。ストーリーはただのシンボルだ」
エリさんは「昔の人間が何を考えたかはわからないけど、もし神は今も変わらず一緒なら、現代の自分を通して神様を感じれば聖書のことはわかる」と仰って大いに笑わせてくれた。 「神様の方が人より感じやすい」 ……と。
なるほど、エリさんの切り口は斬新というか純粋。そして、こう続けた。
E「神様は私たちに叡智と知識を与えた。でもバベルの故事では、それらを取り上げたとは言わなかった。 ただ人々の言葉を乱しただけ。 また、その意味を合わせると天になる可能性はある」
エリさんは、叡智は世界各地にあるという。
ある一つの土地で大切にされていることは、往々にして、違う場所では異なる形で信じられているということ。我々の根本は共通しているのだと。
E「もし他の民族の儀式を馬鹿にするなら、それは自分が知らないことがあるだけ。 そういったことこそ、知る努力をしなければならない」
世界中にある叡智の欠片一つ一つを合わせていけば、それは神様になり得る力を持つ。これこそがバベルの塔の意味なのだと感じさせてくれた。
筆者の解釈は、こうだ。神様は、一つの言葉を話していたこと自体に疑問があっただけなのかもしれない。 実は、神は地上の天界をつくって欲しいがために言葉をバラバラにしたのではないか?
実際に聖書の記述も、神は言葉による混乱を起こしたけれど、天に届こうとした人類を否定したかは定かではないと読むこともできるのだ。(ヘブライ語では特に顕著だ)
真の平和のためにわざと人類をバラバラにし、個々のアイデンティティを持った異なる言語の中で、相手と意思疎通をしているうちに淘汰されていく。その上でエリさんの言うように照合していくと、叡智はどの民族とも繋がり、そして完全な形を表す……。そう考えられるのだ。
その過程では、真の協力が必要とされる。それが平和の状態で、つまり天へ届いた姿そのものなのかもしれない。
神様の挑戦
私の舞の師匠は常々、「全知全能の神に唯一わからないことがあるならば、それは『なぜ自分が全知全能なのか?』ということではないか」と言う。
「神はそんな自分自身を再解釈するため、己が自身の中身の細分化、つまりビックバンを起こした。その詳細をつぶさに観察するために神のカケラを人に内在させ、そこに起こることに委ね、何が生まれるのか見つめているのが宇宙なんだと思う……それが、我々の魂の真ん中にある直霊(なおひ)が入っている理由なんじゃないのだろうか? ダンサーはな、この直霊を通して身体で“上”と繋がれるんだぞ」
エリさんも常々、私たち自身に神が内在していると言っている。バベルでは、神は人類それぞれに自身の欠片を入れ、多用な言語に分けて、一つ一つの粒(量子世界での素粒子レベル)の可能性と進化の過程を見て、チャレンジしている……つまり、それが再統合されるとき、神が知っている以上の天界があらわれる。神様は自分の持っている可能性をみたい、自分が誰か知りたいのかもしれない。
ユダヤの人々はそれを信仰によって、私や師はダンスを通して、神のミッションをお手伝いする事になっているのだ。
この視点で見ると、ユダヤの民がずっと請け負ってきた「ディアスポラ(離散)」=バラバラになること自体は、神様のご加護と意志であったとも捉えらえる。
わたしたちは今、意見違う人や考えを否定することや、それに勝つことで単一化して進むのではなく、違う人が違うままでいることを認め生かし、共生に成功することがバベルにおいて求められていることで、それは、激動と混乱の世を生きる私たちに当てはめることができる大切なメッセージではないだろうか。
誰も知らない、エルサレムの多様性
エルサレムでアートセンターを営んでいると、とても一筋縄ではいかない状況になることが多々あり、心に突き刺さる。
アラビア語のクラスを企画したある時、前向きなパレスチナ人の女の子が、ユダヤ人の生徒たちに指導してくれていた。
彼女がどんな複雑な思いでチャレンジしているかに思いを馳せたが、それはお互い様だった。 ある時、彼女が迷いながらこう言うのだ。
「私は平和をつくらなければならない。でも、私を信じてくれている同胞の気持ちを裏切ることはできない(クラスをやめたい)」
私は迷い、師に意見を求めると、こう答えた。
「裏切らないでいい。彼女が同胞といることがアイデンティで、そんな彼女とそうじゃない人と、それらの皆が一緒にいることが多様性なのだ。意見の一致が平和なわけではない(だから、なんとかして続けられる方法をみつけよう……)」と。
私は、とにかく見守ろうと決意した。
それが私にできる多様性。多様であることを容認していく社会構築のための、誰にも見えないけれど、唯一で全力のアクション。それが「みまもり」だった。
(現在、筆者が取り組んでいる中東支援のフェアトレードは「コタンコロカムイ」といい、アイヌの言葉で「守り神(ふくろう)」の意味を持つ。こちらの記事に詳しい)
例えば、私があなたを気に入らなければ、気に入らないままに進むこと。その上で共存できている状態を模索する。これはまさしく自然界の生態系であり、生命誕生から続けられてきた真理だ。
気に入らない他者を排除すれば多様性は消え、多様性のない個体群は環境の変化と共に一気に全滅してしまう。
誰かの意見が気に入らなければ、気に入らないままでいい。気に入っても、それが満足な状態であるにはどの道、力づくで操作して続けなければならない。
ならば意見が食い違う人でも、食い違うまま一緒に共存する仕組みを工夫する。それは今この瞬間に一人ひとりができる具体的な平和活動だと思う。
エリさんは国会議員をしていた頃、何度もプロジェクトが座礁に乗り上げたそうだ。当時の首相アリエル・シャロン氏とは意見が合わず、もめることもあった多々あったらしい。シャロン氏は、第四次中東戦争の時のエリさんの指揮官だ。
それでも絶えずエリさんは、シャロン首相に、
I do what is right to do,
Not what I want to do
(私がやりたいことではなく、するべきことをする)
そう言い続けたそうだ。
シャロン氏は軍人右派という立場にも関わらず、最晩年、入植と並行してパレスチナ容認も持ち出すように変わっていた。
エリさんは、いつも行き詰まる私を見て仰ることがある。それも、
E「Yuko(筆者の名前)、どうすれば相手が君のことを聞いてくれるか考えてごらん。君が全体としてなにが成すべき正しいことなのかを求め続けるなら、相手は必ず君の話を聞き、そして必要とするだろう」
エリさんはイスラエル建国の祖を敬い、前述したように何度も戦争をくぐり抜けてきた人である。
しかし、パレスチナに物品を届けたいという私や私の仲間を助けようとしてくれたこともある。その行動から、人道的であることを学んだ。軍人、政治家、私人の立場に関係なく道徳をベースにすることを尊ぶ。するべきことを即実行できる。それがエリ・コーヘンという人物なのだ。
天命にゆだねる
神様は、人類による真のバベルの塔の完成を心待ちにしているのかもしれない。つまりこの聖書時代に書かれた「多様性」という課題をついにこなす時がきたのだ。
E「イスラエルは、旧約聖書の世界があるからこそ、それを証明しようと科学が発展した。しかしそのほとんどが証明不可能なものだ。なのに私たちは今日も生きている。科学的解明は、やがて私たちのオリジンの誕生まで解明していくだろう」
「そのためにはどうしたらいいでしょう?」
そう私が聞くと、
E「矛盾して聞こえるかもしれないけれど、それは自分の感性を伸ばし続ける事だよ。これがとても大切なんだ……」
エリさんはそう語り、科学の領域から見た意識や愛の力についての解析、そしてそれをどう感じていけばいいかを体系化した「アレフ・カフ」という彼が考案した身体操法に至るまで、全て明らかにしてくれたのだった。
つづく
エリ・エリヤフ・コーヘン(Eli Eliyahu Cohen)
前 駐日イスラエル大使 イスラエル松涛館空手道協会名誉会長
1949年 エルサレムに生まれ。
ヘブライ大学数学・物理学科卒業。後にロンドンでMBA取得。
1986年 マーレアドミム市副市長。1991年 国防省ナハル局局長。1993年 周辺地域開発担当局長。1997年国防大臣補佐官に就任。
2003年 イスラエル国会議員(リクード党)
2004年から2007年まで、駐日イスラエル大使を務める。
2018年旭日重光章受賞
IT関係の会社経営者という民間の立場から国会議員、駐日大使となり、日本を愛し精力的に活躍。
日本人とユダヤ人の歴史的また霊的な共通性を指摘し、それに基づき、日イ友好関係の多くの交流基盤を築いた。
任期後はイスラエルと日本で会社経営し、環境ビジネスに取り組む。
イスラエル松涛館空手道協会名誉会長(松涛館五段黒帯)
全日本剣道連盟居合道(四段)
主な著書には「大使が書いた日本人とユダヤ人」「元イスラエル大使が語る神国日本」がある。