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CULTURE

EART journal「音楽と武、アーティスト・本田礼 〜グレーを生きる〜」

by YUKO IMAZAIKE |2021年10月05日

「アートという言葉を使う時、それはNATURAL(自然)の対義語のARTIFICIAL(人工的、人為的な)であることを意識しています」。
そう語るのは、現在、テルアビブ近郊の海の町・バットヤムに住む本田礼さんだ。

「え?!ARTってARTIFICAL!これが語源だったの!!」(恥ずかしながらも、その時気付く筆者の私)

礼さん(以下、一部敬称略)「そうだよ。でもそれってさ、自然から逸脱した人為的なところから、どれだけまた自然へ近づきなおすのか、その挑戦なのかもしれないよ?」


photographed by VICTOR BEZRUKOV


天然藝術家(EARTist)を紹介するにあたって

筆者の私YUKOは、「天然藝術EART」という造語を掲げた師の教えを探すべく、イスラエルの地でダンスを本業に活動を展開してきた。

天然藝術とは「生きるためのアートという意味と、懸命に生きている事は美しく、それ自体を幸福の基準にするべき」という師の思いが込められている。(第1〜7話 EART LIFE in Jerusalem参照

21世紀になっても戦争止まぬ混沌とした現代社会の象徴のようなイスラエルの地だからこそ、新しい価値観が生まれようとしている足音が聞こえてくるようだ。

そんな中、完璧な自己の確立が出来てから社会に目を向けるには、いつまでたっても何者にも到達できず、だからと言って、自分の事が樹立していなければ、何をするにも難しい。

師の言葉を前に具体的に動けず、私は、もどかしい気持ちを持ち続けていた。

この疑問への答えの一つとして、ネイティブアメリカンの「智慧」を教わる機会があった。


 PRAY and ACTION

「祈りと実践」

生きるとは、最善を祈り、そして現実を受け入れて具体的に世の中を動かすこと…その二つは、本来、並行して進めるものということだ。
私はそれを、まるでダンスのように思う。自と他の境界を超えていく一体感だ。

思想や価値観、宗教を超えて共存する、そんな新しい人類の基準を、智慧によって体現する人を「天然芸術家=EARTist」と呼び、イスラエルから紹介することとする。


グレーを生きる「ミュージシャン・剣道家、本田礼」

本多礼
Photographed by VICTOR BEZRUKOV

イスラエル在住の日本人、生まれは湘南。学生時代に剣道部所属。幼い頃から音楽に明け暮れ、インドやアフリカ滞在の後、イスラエルに飛び込んだ。

持ち前の軽快なテンポと独特なこだわりで、ジャンルを飛び越え、独自の演奏活動を展開する。

ロックを基本に、バンドを率いたパフォーマンスはもちろん、即興や単独ストリートライブ、他ジャンル・他宗教・他民族のアーティストとのコラボレーション、ボーカルにギター、そして琵琶も独学で弾きこなす。そんな彼は、週末、剣道の指導に務めている。

海のような雄叫びをあげる音色の一方で、深層意識を目覚ませてくれるような細かく美しい弦回し、これが、筆者が特筆したい彼のテクニックだ。


photographed by VICTOR BEZRUKOV

本田礼さんがボーカルを務めるローカルバンド
「ユダヤ外人オフィシャルアルバム」


筆者「礼さんにとってのEARTってなんですか?生きることですか?」

礼「おー。来たねーいきなりその質問。それはー‥」

いきなり腹が座る感覚が走る。我々は今から生きることの核の話題、その大海原へ出ていくのだと、このインタビューの成功がみえた。


エルサレムの旧市街を一望するプロムナードにて、「鎮魂パフォーマンス」をする本田礼さんと筆者。アート活動を通じた交友を持つ
エルサレムの旧市街を一望するプロムナードにて、「鎮魂パフォーマンス」をする本田礼さんと筆者。アート活動を通じた交友を持つ

話は、いきなり人生の転換期の話題になった。

礼「今の世でよしとされるのは、いわゆる黒か白のゾーンでしょ?それをさ、ある種の規定外、まあグレーといったらいいのかな、そんなところで生きるっていう経験の話なんだけど…」

それは、イスラエルにいる実の息子をかけての裁判の時のこと…。


平和のための手段は闘争・イスラエルでの裁判

イスラエルの民事裁判の件数は、他国より桁違いに多い。
彼らにとって空気を読んで物事を決めることは、妥協という名の諦めに近い意識があり、白黒どちらが正しいのかを、はっきり決めようとする傾向がある。妥協するにしてもそれが正しいのか裁判官に決めさせる、そんな感じだ。
この国民性が影響してか、イスラエルは世界でもトップクラスの離婚率だ。ユダヤ人のために建国された国家の手前、当然、非ユダヤ人のステータスは低く、その上、ユダヤの戒律に乗っ取った法の裁きは、社会的弱者となるのが、なんと男性だ。

この特例ケースにあたってしまった礼さんは「DNA鑑定とかもされちゃって…」と、実の子だと法廷に証明するためだけにも厳しいプロセスが続いた。

血族優勢をとるユダヤ家族構成は、母親がユダヤ人であれば、子供はユダヤ人と認知されるが、逆はあり得ない。離婚調停は、母親が子供と同居し続けられるよう有利に働く。 結果、これらの裁判は、お金を積んで弁護士を見つけられたもの勝ちというのが正直なところだ。


リミッターという名の節目

そんなに高給取り弁護士にあたれるわけでもない礼さん。

「このまま、すごすごと帰国するのか?実の息子といつ会えるかに、国の顔色を伺わなければいけない人生など、そもそもおかしくないだろうか?」等、さまざまな疑問が浮かんだそうだ。

民間の弁護団に頼みこみ、やっとの思いで漕ぎ着けた当人のビザ延長を賭けたエルサレムでの裁判は、あっさり敗訴。

その上に弁護士は「お前(礼)が打ち合わせに遅れるから負けたんだ」と、怒ってくる始末。

この調停期間用の仮ビザだった礼さんは、どうなるかわからない食い口を繋ぐため、裁判の当日もギリギリまで仕事に東奔西走していた。


敗訴の結果に、誰よりも不甲斐ない思いをしたのは礼さん本人だが、弁護士は自分のプライドを傷つけられ怒り、その矛先にされたわけだ。

礼さんの中でリミッターが弾けた。
 
「あなた達、こういった社会的弱者の人権を守るために働いてるんじゃないんですか?!もう十分です。日本へ、帰ります」

当時の様子を振り返り、
礼「本気で帰ろうと思ったよ。もう一生イスラエルに戻ってこない覚悟もあった」

ミツぺ・ラモン(イスラエル南部)の家に帰り、その足で荷造りを始めた礼さん。
すると、そこへ、弁護士の方から連絡が入った。

もう一回提訴しようと、向こうから言い寄られたのだ。

礼「なんかあるよね。ギリギリのところで手放したら次の扉が開く。でも開いた扉の先の世界も決して、自分の欲したような形ではないんだけど。苦笑」

筆者「それって人生の構造なんでしょうかね?」

礼「そうだね、リミッターみたいな感じかな」

極限の状態に身をおけたのは、最善を成した自分の努力ありき。そして、それがあって道が開かれるならば、何事も向き合うことが大切だと教えてくれる。礼さんは、それを「リミッター」と呼んだ。


この裁判当時の様子を含めた彼自身による人生の記述は、本田礼Blogにて公開されている。ご参照されたい。

ちいさなあなぼこから

書き留められた記憶の断片、あるいは私小説の練習


扉の先は、また次の扉への道

提訴し直したのはいいものの、そこから裁判の結果が出るまでなんと7年!

その間、礼さんは、またもや調停中の仮ステータスで、就労にはつけなかった。更に勝訴を確実にするために、事実上イスラエルから出国は出来ない身となる。

礼「なんでもやったよ。人殺しと、泥棒以外なら、なんでもやりました。誇張ですが…(苦笑)」

いつ出るともわからない裁判の結果まで、正規に雇われることは不可能で、故郷・日本の地を踏むことも叶わず、仮の人生を1日また1日と延ばしていった。これがどれだけ追い込まれた状態だったかは、想像を絶するものがある。

礼「その流れでね、剣道を教え始めることになったんだよ」


地球上に存在する一つの命としての問い

筆者「え!剣道って、これが始まりだったの?!」

礼「そうだよ。”芸は身を助けるっていったものだけど、まさかあんたが剣道を教えるとはねー”って母親に言われちゃったよ。笑」


当時は、剣道二段で、かじったことがあるくらいのお手前だったと本人はいう。

「稽古に励みましたよ」という礼さん。いきなり教える立場に至った自分を必死に追い込んだ姿が、目に映る。

そして、こう想いを加える。

「僕は、社会的にはグレーゾーンにありながら、この地球上にある一個人として、剣道を習いたい人たちを募ったわけです」


自分自身の生き残りをかけた術として始まった剣道。働きたくとも働けず、苦し紛れの暗中模索から出た答えは、一人の人間として賛同する人たちと、心身を磨き続けることだった。

未熟な状態で師範になれたのはイスラエルだからこそ許されたこと、その全てが必然だったという彼の人生は、限界の状態で手放すことを選んだ礼さんを「上(神様)が引き上げた」そんな風に、筆者は思う。

 かくして、礼さんは、数人の生徒から剣道を教え始め、テルアビブに道場を構えるまでに至り、現在も指導を続けている。


剣道を教える本多礼

Kusanone Kenyukai Kendo Israel (草ノ根剣友会) מועדון קנדו קוסנונה קניוקאי


美しい負け方

剣道は当然勝ち負けがあるわけだが、彼の場合、負けられない指導者の立場にいながら負けるのは「やっぱり悔しい」とのこと。

礼「でもね、いやー最高!天晴れ!というような負けもあるんですよ!相手が本当に凄くて、鮮やかで。あーもうスッキリした!みたいな」

それはお互いがベストを尽くした賜物だろう。

そういった負け方が出来る状態で初めて、土俵に立つことができる。これらの会話が進むにつれて筆者は、本田礼流の一生懸命なるものが垣間見え、感動していた。

礼「 YUKOちゃんも師匠に言われるんでしょ?斬新じゃなくていい、新鮮でいなさいって」

彼はいう。


「稽古場にいる時は、レベルは構わず、どんな人も必死で稽古をするわけです。僕らは毎回の道場稽古で、ある種、死んでいるんだと思うのです。その死に至るまで切磋琢磨し、それを繰り返して、結果的に成長している。もう亡くなってしまった、素晴らしいフランス人剣道家の先生が仰っていたのは、”剣道で世界は変わる”と。それはこんな風に、毎回ある種の死を体験していくがゆえに、生がより輝く…。そうやって新鮮で生きることなのだと、僕も思うのです」


礼「とはいえ、僕もカーッ!となったりしちゃいます。それも最近受け入れます。これもレイちゃんです!笑」

どんな人とも真面目に話すのに、なんだか少々笑わせられてしまう礼さんトーク。
この話術に筆者はいつも一本取られたと感じるのだ。


ミツぺラモン砂漠にて、礼さんと息子のBJ
ミツぺラモン砂漠にて、礼さんと息子のBJ

成さざれば成る

これは、筆者の私が師に学ぶ格言だ。
成して成るのは当たり前。
この世で何がすごいって「成さざれば成る」だと。それはまさしく必然的に物事が起っていく神業のこと。

(筆者が勝手につくった)本田礼語録に「今生はお預け」というのがあって、それが成さざれば成ると、少し似ていて面白い。


「レイちゃんは、その件について、今生ではお預けですー!」

ある議題を話す最中に、突然そんなことをいって退ける礼さん。

イスラエルではよくある眉間に皺を寄せるような政治話の最中なんかにいわれると、プッと笑ってしまう。

もちろん、それはさらなる努力へのガス抜きでもあるそうだが、

つまるところ、自分の思うように問題解決したい、他を動かしたい、そんな自分自身がいるということを振り返させてくれる。

成そうとすること自体が、執着なわけだ。

先輩にいわれたというこの言葉で、礼さん自身も救われた体験がある「今生はお預け」とは、最善を尽くしきったからこそ、結果を開け放ち、心底自分に美しく負ける事ができた暁にでる言葉。

人生を神様の思し召すままに預けるタイミング、そのリミッターが弾ける音が礼さんに聞こえる時なのかもしれない。

そうして、成さずと成る人生を生きる彼に気付かされた周りが、自然と動かされていく様は、まさしく人為的なところから、新たな調和を織り成している。

本田礼さんは、今この瞬間を美しく生きる天然藝術家なのだと、筆者は感じている。


テルアビブの路上にて、一人…
テルアビブの路上にて、一人…