Share

CULTURE

ヘブライ語の活字を持つ活版印刷工房「嘉瑞工房(かずいこうぼう)」

by 新井 均 |2022年01月17日

現在の印刷は、コンピュータを用いて、文字や画像の入力・レイアウトを行い、版下を作成して印刷を行うやり方が主流だが、以前は、金属の活字を一本ずつならべ、文章を組んで印刷する活版印刷(Letterpress printing)が広く行われていた。しかし、カラー印刷の需要が高まり印刷方式が活版印刷からオフセット印刷に転換されるとともに、文字組版の方法も写植(写真植字)やデジタルフォントでの組版に移行され、作業効率が悪い活版印刷は徐々に廃れていった。ただ、今でも賞状やフォーマルな招待状など、品質の高い印刷物の分野で需要に応える印刷工房は残っている。特に新宿区市ヶ谷から文京区音羽近辺には、大日本印刷、凸版印刷という大手印刷会社や新潮社、講談社などの大手出版社の歴史があることもあり、小規模でも多様な技術をもつ印刷会社、製本会社などか点在しているエリアである。


その中に、なんとヘブライ語の活字を持っている活版印刷工房、嘉瑞工房(かずいこうぼう)を見つけた。コンピュータ組版であれば、どのような言語の文字でもフォントデータを探すことはほぼ可能であるが、活版印刷の場合は金属で作られた活字を用意しておくので多言語対応は簡単なことではない。文字のサイズが変われば、その分のセットが必要であり、例えば PRINTING という単語1つを印刷するにも、”I”が2回、”N”が2回出てくるので、文字を組む時には、良く使われる活字は多数用意しなければならないからである。ヘブライ語の印刷ニーズが日本でさほどあるとも思えず社長にお話を伺うと、嘉瑞工房には日本の活版印刷にとって大変重要な歴史があった。


嘉瑞工房の所有するヘブライ語の活字
嘉瑞工房の所有するヘブライ語の活字

嘉瑞工房の歴史

嘉瑞工房は現在の社長 髙岡昌生氏の父、髙岡重蔵氏(1921年生まれ)が、その師である井上嘉瑞(よしみつ)氏の援助もあり会社として始めた工房である。井上氏は日本郵船の社員であり、戦前5年間ロンドンで生活し、その時にイギリスの高品質な印刷に出会って欧文活字の収集や本場のタイポグラフィを学んだ。ヨーロッパには”プライベートプレス(私家版印刷)”という趣味(文化)があったようで、無名の作家や詩人が作品を数十部印刷して商業出版社に持って回るための小作品の印刷や、個人がパーティーを開くときの美しい招待状の印刷、或いは好きな詩などを自分用のデザインで印刷する、というような、大量の印刷を行う商業印刷では出来ない需要に応えていたようだ。単に印刷するだけではなく、趣味として技術やデザインの美しさなど、品質の高い印刷技術が育まれた。井上氏は日本では珍しいプライベートプレスの草分けとなる。


髙岡重蔵氏は和製本を生業とする家に生まれ、小学校を卒業すると印刷会社に丁稚奉公でっちぼうこうに行かされた。奉公先の印刷会社では、先輩が組版して印刷した欧文活字を元のケースに戻すという面倒な仕事をさせられたという。その際に、書体の種類や用法に興味を覚えたようだ。1930年代には幻となった東京オリンピックが計画され、ロンドン在住の井上氏は、来日する外国人の目に留まるであろう日本の欧文印刷の品質が悪いことを指摘した記事を、1937年に印刷の業界紙『印刷雑誌』に発表した。印刷会社で欧文活字に関心があった重蔵氏がその記事に刺激を受け、井上氏帰国後に弟子入り志願したのが二人の接点の始まりだった。井上氏は、戦前、原宿でプライベートプレス「嘉瑞工房」で活動した。しかし、その後の戦災で井上氏がロンドンで集めた貴重な活字などをすべて失う。戦後、1948年に井上氏の援助を受けて重蔵氏が神田に印刷工房を起こし、1956年に井上氏の死去に伴い、同年、会社組織、有限会社嘉瑞工房を設立した。戦後GHQからの仕事や海外取引が増えた企業などの活動も盛んになり、欧文印刷の需要があったようだ。重蔵氏の活版印刷に関わる活動は海外で高く評価され、1995年には英国王立芸術教会フェロー(終身フェロー)の称号を与えられた。


同年、工房は重蔵氏から息子 髙岡昌生氏に引き継がれ現在に至る。髙岡昌生氏も2005年に、父同様に英国王立芸術協会フェローに推挙・選出されている。


ヘブライ語の活字を手に入れた経緯

ヘブライ語の活字は重蔵氏が手に入れたことは聞いていたので、その時期を伺ったところ、イギリスのMould Type Foundryという会社に1993年に発注した注文書を見せていただいた(写真1)。他の活字も一緒に発注しているがProduct列のTY08からTY18がヘブライ語の活字だそうだ。これは活字の大きさであり、写真2の8ポイント、10ポイント、12ポイント、18ポイントに相当する。それぞれが、66ポンド、58ポンド、58ポンド、162ポンド、という価格がついているので、ヘブライ語の活字に合計344ポンド支払ったことになる。ネットで調べたところ当時の為替レートが1ポンド166円とのことなので、57,000円ほどの投資だったことになる。昌生氏もヘブライ語の需要があるとは思わず、何故購入するのか聞いたところ、父は「アラビア語を持っていてへブライ語がないのは片手落ちだろう」と言ったという。


1993年に嘉瑞工房がMOULDTYPE社に活字を発注した時の伝票
写真1:1993年に嘉瑞工房がMOULDTYPE社に活字を発注した時の伝票

ヘブライ語活字1セットの印字見本 by MOULDTYPE
写真2:ヘブライ語活字1セットの印字見本 by MOULDTYPE

50歳代以上の方なら覚えているかもしれないが、1980年代後半にはアップルからマッキントッシュがデビューし、DTP(Desk Top Publishing)という言葉が流行になった。アウトラインフォントが出来、個人でもマックがあれば品質の高い組版ができるようになった時期である。即ち、1990年代はコンピュータ組版が成長し、活版印刷が衰退していく時期なのである。活字を鋳造する会社もどんどん少なくなっていったそうだ。つまり、重蔵氏は、質の良い活字が手に入るうちに確保しなければ、という使命感で、特に使うあてもなく、ヘブライ語、アラビア語、ロシア語などの活字を購入したのだろう。英国王立芸術協会フェローの称号を持つタイポグラファーの矜持のようなものではないだろうか。


MOULDTYPE社活字のカタログ
MOULDTYPE社活字のカタログ

注文した活字が届いた時に、注文通りかどうか、を確認するために嘉瑞工房で印刷したもの
注文した活字が届いた時に、注文通りかどうかを確認するために嘉瑞工房で印刷したもの

今まで利用されたことがなかった

現社長の高岡氏にこれらの活字を今までどれくらい利用したことがあるかを伺ったところ、商業利用では全く無いとのことだった。高岡氏は大学やセミナーの講師もしており、その一つに、池袋にある自由学園明日館での公開講座講師があった。その時に明日館で見たヘブライ語の聖書の言葉をポストカードに印刷したことがあるようだが、これも仕事としてではない。実は、筆者が嘉瑞工房を見つけたのは、活版印刷で名刺を作ってみたいと考えたことがきっかけだった。たまたま訪れた工房にヘブライ語の活字があることを知り、ヘブライ語の単語の入った名刺を依頼することにした。つまり、筆者が今回依頼した名刺の印刷が、約30年前に揃えたヘブライ語活字を商用で利用した初めてのケースになったのである。


印刷機にセットする原版。新井の名刺用活字がセットされている
印刷機にセットする原版。新井の名刺用活字がセットされている

印刷機に原版をセットしたところ
印刷機に原版をセットしたところ

高岡氏によれば、印刷博物館のような場は別として、現役で活動している活版印刷所で実際に印刷に利用できるヘブライ語の活字を所有しているところは他にないのでは、とのことだった。偶然ではあるが、貴重な活字の最初の利用者になれたのは大変光栄なことである。


本メディア(ISRAERU)は、あまり知られていないイスラエルのライフスタイルや様々な情報を発信することで、日本とイスラエルの関係を強化することを目的としているが、日本側でも草の根レベルでこのような接点が30年も前からあったということは関係者にとって嬉しいことではないだろうか。ここ数年、優れた技術への投資先として注目を集めているイスラエルではあるが、ビジネスだけではなく文化の交流も含めて両国の関係が深くなってきており、嘉瑞工房の貴重なヘブライ語活字の出番もこれから増えてほしいと期待する。


https://kazuipress.com/