世界で人気を誇るイスラエルを代表するダンスカンパニーの一つ、バットシェバ・ダンス・カンパニー。この国際的ダンスカンパニーの振付師を務めるのがオハッド・ナハリンです。
1952年、イスラエルのキブツという共同体の1つであるミズラで生まれた彼は、振付師兼ダンス講師の母を持ち、22歳からダンスのキャリアをスタート。そしてバットシェバ・ダンス・カンパニーに入団しました。入団してからまだ1年も経たない頃、イスラエルを訪問していた著名な振付師のマーサ・グレアムの目に留まり、彼女が代表を務めるニューヨークの舞踊団に誘われます。そこでのキャリアを経てから、ジュリアード音楽院とスクール・オブ・アメリカン・バレエで学びました。その後しばらくの間、ブリュッセルのベルギー国立20世紀バレエ団に所属しました。
1978年、アメリカでダンサーとして活躍していたマリ・カジワラさんと結婚。その翌年には、ニューヨークのカズコ・ヒラバヤシ・スタジオで振付師デビューを果たしました。その後、妻のカジワラさんと共に、ニューヨークだけでなく、世界に向けて作品を発信していましたが、2001年にカジワラさんは癌のためこの世を去ります。カジワラさんが亡くなる前、2人はニューヨークでオハッド・ナハリン・ダンス・カンパニーを設立していました。
1990年になると、バットシェバ・ダンス・カンパニーの芸術監督を務めるため、イスラエルに帰国します。同年、ダンスカンパニーのジュニア部門としてバットシェバ・ヤング・アンサンブル(= Batsheva – The Young Ensemble)を設立。ナハリンはここで彼の代表的なスタイルや手法を確立します。ダンサー達には、自己批判に陥りやすい鏡の前での練習を避け、自身の心情の変化を感じるよう訴えました。
彼は現在、バットシェバ・ダンス・カンパニーのダンサー兼衣装デザイナーのエリ・ナカムラと再婚し、2人の間には娘も誕生しています。2018年、ナハリンは芸術監督を退任し、現在はバットシェバのハウスコレオグラファー(振付師)を務めています。
ナハリンは、バットシェバでGagaというムーブメント・ランゲージを考案しました。このスタイルが後に、ダンスカンパニーのトレーニングメソッドとなります。授業では、講師が何枚か画像を提示し、生徒であるダンサーたちが即興のダンスを披露。この授業を通して「限界を超える」ことを学ばせるのです。生徒達は一連のムーブメントを作り上げることで、感覚をより一層研ぎ澄まし、想像力を養うことができます。
Gagaには2つのタイプがあります。1つ目が、バットシェバ・ダンス・カンパニーの基礎トレーニングとしてのGaga(世界的にも用いられている)。そして2つ目は、一般に公開されている全ての人のためのGagaです。「私たちは多次元的な動きを探求し続け、筋肉が燃えるような激しい感覚を楽しんでいます。潜在的に人間に備わる爆発的なパワーにも気づいているので、そのパワーを使ってパフォーマンスをすることもあります。私たちには、新しいムーブメントを発見する度に日々の習慣を変えることも、落ち着きと機敏を同時に表現することも可能です」とオハッド・ナハリンは言います。
2015年、ナハリンのドキュメンタリー映画「Mr. Gaga」が制作されました。この映画では、Gagaがバットシェバ・ダンス・カンパニーを含め、コンテンポラリーダンス界全体にもたらした変化が描かれています。
バットシェバ・ダンス・カンパニーでのオハッド・ナハリンのパフォーマンスを是非チェックしてみて下さい。