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「トンネル」日本語訳・出版のクラウドファンディング開催中。「日常の、平凡な人々の中にストーリーがある」イスラエル人グラフィック・ノベル作家、ルトゥ・モダンの世界観。

by 中島 直美 |2023年05月16日

現代イスラエルのグラフィック・ノベル作家として活躍するルトゥ・モダンさん。彼女の作品は英語、フランス語、ロシア語、中国語をはじめ、世界15か国語に翻訳され、また「漫画界のアカデミー賞」とも呼ばれるアイズナー賞や、アンデルセン名誉勲章、イスラエル博物館児童文学賞など数々の賞も受賞しています。



現在、ルトゥさんの作品を日本語に翻訳し出版しようとするクラウドファンディングが行われていると聞き、早速ルトゥさんにお話を伺ってまいりました。



ルトゥさんのスタジオへ

ルトゥさんの仕事場は、テルアビブにあるミンシャル・アートセンター内のスタジオ。ミンシャル・アートセンターはアートスクールやアートギャラリー、スタジオなどを包括的に運営している民間組織です。グラフィティがペインティングされた特徴的な建物に入っていくと、建物内の壁には様々な作品が展示され、思い思いの服装をした芸術的な若者たちが闊歩している姿が目に飛び込んできました。建物自体がとても古いのですが、それがまたアーティスティックな雰囲気を醸し出しています。


ルトゥさんのスタジオがある芸術センターの外観

スタジオは、学生の頃からともに芸術活動を行ってきた友人(現在は絨毯やお面、人形を作る作家として活動中)と共同で使っているそうです。

グラフィック・ノベルとは

彼女のスタジオでは早速インタビューを開始したのですが、ちょっとその前に、皆さんは「グラフィック・ノベル」という言葉をご存じですか?実は私は、この言葉を聞いたことも作品を読んだこともあったのですが、正直なところそれは日本語ではなんというものなのか、少し定義に戸惑うところがあったのです。


日本の「漫画」とも違う感じだし、それならばアメリカでいうところの「コミックス」なのかというと、どうやらそうでもないらしい。それで、ちょっと調べてみたのです。



なぜなら、私がインタビューさせていただくルトゥさんは、イスラエルのグラフィック・ノベル界第二世代のリーダー的存在で、第一人者。イスラエル初のグラフィック・ノベル出版グループ創設者の一人なのです。そのルトゥさんにインタビューするのに、彼女の職業がなんなのかよくわからない、というわけにはいかなかったのです。


検索したり自分がもっているグラフィック・ノベルを読み直したりして、最終的に「欧米を中心に発達した漫画、ただし、アメリカのヒーローコミックスとは別ジャンル」という定義に落ち着きました。そして、比較的長編で複雑なストーリー、社会的なテーマが扱われることも多い、という特徴があるようです。


ルトゥさんの仕事場にある本棚。絵本やグラフィック・ノベルがたくさんありました。

ルトゥさんがグラフィック・ノベル作家になるまでの道

鮮やかな色遣いと、リアリスティックなまでの細部への描きこみが特徴のルトゥさんの作品。「絵を描くということはルトゥさんにとってどんなことですか?」という私の質問に次のように答えてくださいました。


「小さな頃からすでにいろいろと絵を描いていました。3歳くらいの頃には、幼稚園の先生が私の描いた絵に文字でストーリーをつけてくれたりもしましたね。でも、私の家は父も母も医者という家庭で、両親の考える“職業リスト”に“画家”はなかったのです。」



以前、イスラエルの新聞で読んだルトゥさんに関する記事に「その器用な手先を外科手術に役立てることができれば良いじゃないか、とお父さんに言われた」と書かれていたことを思い出しました。それでもルトゥさんにとって絵を描くことはとても自然なことだったといいます。


「軍隊を出た後、進路について悩みました。ベツァレル美術デザイン学院*に入学が許可された時も、私はアートを学ぶ道を選ぶべきなのかどうか、非常に悩みましたね。


私の両親は、芸術や絵は趣味のものという考えの人たちでした。イスラエルのシバ総合病院があるテル・ハショメルの医療関係者居住区に住んでいて、周囲は皆医療関係者。そんな中で私はこのまま絵を学んでどこに向かうつもりなのか…悩みました。」



「それで、その時私が絵を習っていた先生に相談したのです。彼の絵の教え方はちょっと変わっていて、生徒に技術を教え込むというよりも自由に絵を描かせて可能性を引き出すような、独特な教え方をする先生でした。


彼は私に言いました。“僕にとって絵とは良い友達のようなものなんだ。悲しい時には慰めてくれ、うれしい時には共に喜んでくれる。それが僕にとっての絵だ。じゃあ、君にとって絵とは何だと思う?”


そのころ私はまだ若かったし、そんなことを深く考えたこともなかったので、私はその場で思ったことをそのまま彼に述べました。


“自分にとって絵とは何か。そんなことを考えたこともなかったけれど、私は自分が絵を描かなくなることが想像できないです。私から絵を取ってしまったら、いったい何が残るのか自分でもわかりません。私は子供のころから「絵を描く子供」として周囲にも認識されてきたし、自分でもそう思っていました。私にとって絵とは何か…答えはわからないけれど、私から絵を取ったら自分が自分でなくなる。それだけはわかります。”


答えはそこにありました。そして私は、ベツァレル美術デザイン学院に入学して、絵を学ぶ道を選んだのです。そこから今までの道が迷いなく順調であったかと言われれば、決してそんなことはありませんが、私は自分自身の中に答えがあるということに気づいたのです。」


イスラエルでグラフィック・ノベルを出版するということ

ルトゥさんは、ベツァレル美術学院で知り合った仲間と、イスラエル初のコミックス出版グループを設立したことでも知られています。そのことについて伺いました。



「ベツァレルで学ぶようになって、第2セメスターの頃にはすでに新聞にコミックスを描く担当になっていました。この職業は私が芽を出すのを待っていてくれたんだと思いました。でもその頃のイスラエルにはコミックスなんて全くなかったし、コミックスを描くという職業があるということすら、誰も考えたことがなかったと思います。


6人の仲間でコミックスを学んでいました。あの頃の私はコミックスに恋をしていたと言ってもいいと思う。そのくらいコミックスに心惹かれていました。


セメスターも終了ということになって、それでも私たちはまだ描き続けていたかった。でもコミックスを出版する出版社がなかったんです。“ないの?それなら自分たちでつくろう!”そんなふうにはじまったのがイスラエル初のコミックス出版グループ、アクトゥスです。若気の至りだったとも言えます。


単純なことだと思っていました。やり始めてすぐにそう簡単な話ではないということを理解したけれど、同時にすごく楽しいことなんだということもわかった。


それで、デジタルでない頃の印刷の問題やその他の理由から英語で出版することになり、それなら外国でも販売しなければ…となり、じゃあ外国のフェスティバルに持ち込もう!と話は進み…」


お気に入りの本や資料は手に届く場所に。ルトゥさんはここで作業しています。

そういって、微笑むルトゥさん。インタビューのはじめは病み上がりで少し辛そうだったルトゥさんですが、話を聞くうちに表情がどんどん豊かになっていくのがわかります。


1995年に活動が開始されたアクトゥスの話をしてくれるルトゥさんの顔は、30年前に戻り、怖いものなど何もない若者のように生き生きと輝きだし、キラキラした光が目元を照らします。


「なぜコミックスの出版社がイスラエルにないのかを教えてくれる人は、誰もいませんでした。買ってくれる人がいて、市場があって出版される。そんな当たり前のことや、印刷のこと、出版のこと、基本的なことも何も、全く知りませんでした。


でも、それが逆に良かったとも思います。本当にいろいろなことを学びました。コミックス出版に関する基礎をあそこでは徹底的に学んだと思うし、知らなかったからこそできた、ということもあると思います。」


日本でも有名なイスラエル人作家エトガル・ケレットも、このアクトゥスの活動に参加しました。それが縁で2004年には共著の児童用絵本「パパがサーカスと行っちゃった」を出版。アクトゥスの出版活動は2010年まで続きました。これは、イスラエルのコミックス出版史に印された最も大きな跡の一つです。



イスラエル人であり、芸術家であるということ

ルトゥさんの作品には、テロで亡くしてしまったかも知れない恋人を探す女性(「Exit Wounds」 日本語訳なし)や、インティファーダ(パレスチナ人による民衆蜂起)が原因で夢を閉ざされてしまう親子など(「Tunnels」 日本語訳出版のためのクラウドファンディング実施中)が登場します。政治はルトゥさんにとって表現すべきテーマなのでしょうか?そのことを尋ねてみました。



「私は政治をテーマに扱っているつもりはありません。私の今までの作品の中でも、政治をテーマにしたものはほとんどないです。以前、新聞で作品を発表していた頃は、多少はそういった意味合いもあったかもしれませんけれど、グラフィック・ノベルの作品で政治をテーマに扱ったことはないですね。


もちろん普通の一市民として、政治に興味はありますよ。でも活動家であるとか、そういったことはないです。」とおっしゃるルトゥさん。


「でも、海外に作品を出すイスラエル人として作家をしていると、どうしてもそういう目、政治的な目で見られることもあると感じています。


私はイスラエルが大好きだし、絵と同じく、ここで暮らすことは私からは絶対に切り離せないことです。でも、私は海外に作品を出すイスラエル人として、世界に向かって“イスラエルとは本当はこういう国だ”とか“自分は良いイスラエル人である”などと説明するようなことからは、身を引きたいと思ってる部分があります。


それは、私自身にイスラエルに関する意見や批判がないということではないですが、それを作品の中に入れる方法を思いつかないというか、入れようとは思っていないのです。」


政治的なメッセージを作品に託すことはないとおっしゃるルトゥさん。


「物語を言葉で表すよりも絵で表す方が私にとっては自然なことです。


「日常のすべてにドラマがある」ルトゥさんの描く作品はフィクションですが、日常からキャッチした普通の人々の物語がもとになっていることが多いそうです

物語は日常のあちこちに存在します。それをどうキャッチするか。その瞬間を捉えるには、こちら側の準備が整っていなければできないことです。とはいえ、日常的に飛んでいる飛行機や道を歩いている猫、その一つ一つすべてに心を揺さぶられて生活するわけにはいかないです。それでも、そこにはドラマがあることを私は常に意識しています。


私を含め普通の多くの人たちは、世界の真ん中に立って世の中を大きく動かす人たちではないです。それでも、政治でもなんでも皆少しずつ影響を受けているし、与えている。一人一人に物語があるのは確かなのです。


私はそれを捉えて物語を作っています。それはもう、インテンシブな生活になりますよ。大きなプロジェクトの渦中にいる時は、隣にいる夫に“君はここにいない”と言われたこともあります。楽なことではありません。


でも、物語が生まれてそれを表現する、絵を描く段階になればそれは本当に楽しいことなのです。1日に20時間だって描き続けていられます。


そして、その物語を誰かが受け取ってくれる。発表された物語は私の手を離れ、その受け取り方は読者次第です。私はそれについて口を出すことはできないです。


それでも、それはある種のコミュニケーションです。時代も時も場所も超えて、私は私の作品を読んでくれる人と、コミュニケーションしていると思うのです。」


日本語での翻訳・出版のためのクラウドファンディング実施中。「トンネル」について

絵を語るときのルトゥさんは本当に、うらやましくなるくらい、幸せそうです。大変なこともあるということは容易に想像がつきますが、それに打ち勝つほどの絵に対する愛をルトゥさんからは感じます。


最後に、日本での出版を目指してクラウドファンディングを行っている作品「トンネル」と日本についてのお話を伺いました。


「場所も時代も超えたコミュニケーションが、作家と読み手の間にはあると思う」日本語翻訳と出版脳ラウドファンディングが行われている作品「トンネル」

「コミックスを描く作家で、日本で出版することが夢ではない人がいるかしら?」とルトゥさん。ルトゥさんのスタジオの本棚には沢山のコミックスがあり、その中に日本のものもあるのですがまさか、イスラエルでお目にかかるとは!と思わされるようなコミックスも置かれていました。そのうちの一つが田河水泡氏の「のらくろ」です


「これは、ebayで売りに出されていたのを見つけたので、全部買ってしまいました。」とルトゥさん。


「こんなに絵が美しくて!!これを見て!!ほら、これなんて、とっても素晴らしいでしょう!」と古びたコミックスの頁をめくるルトゥさん。


それから、松本大洋の直筆サイン入りコミックス。


「ヨーロッパかどこかの外国のフェスティバルで、自分の作品を売っていました。そこにアジア風の男性が一人来て、“僕の本と1冊交換しないか?”っていうんです。面白そうだったしあまり深く考えずに“OK!”と言って交換しました。その時は人も来ててごちゃごちゃしていたし、あまりどんな本をもらったかもよく見てなかったんです。後で見て本当に驚きました。


私、松本大洋の作品が大好きだったんです。その頃も。まさか、本人からサイン入りのコミックスをもらえるなんて!!!誰だったかも気が付かなかった、もう、自分のうっかりさ加減を呪いました。」


「本当にうっかりしていました!」松本氏から直筆サイン入りコミックスを受け取るも、本人と気が付かなかったときの話を語ってくれたルトゥさん

この漫画は、読書用にもう一冊、サインの入っていないものも持っているそうです。


バヴアの方たちから日本語への翻訳、出版にかかるクラウドファンディングのお話を伺った時は本当にうれしかったです。


日本語翻訳のクラウドファンディングを実施しているバヴアの戸澤典子さんと一緒に

日本でのクラウド・ファンディングが成功することを心から祈っています。


日本の皆さんに作品を手に取って読んでいただくことができれば、こんなにうれしいことはありません。ぜひ、よろしくお願いいたします」


ルトゥさんのお話は本当に興味深く、インタビューの時間はあっという間に過ぎてしまいましたが、私はルトゥさんの作品だけでなく、飾らない人柄や芸術的な雰囲気にすっかり魅了されてしまいました。


彼女の作品を一人でも多くの日本人にも読んでもらいたい、そんな気持ちになりました。私もクラウドファンディングのサポーターになりたいです。ぜひ、日本の皆さんにもルトゥさんの作品が届きますように!!!



*べツァレル美術デザイン学院:1903年に設立されたイスラエルの国立美術学校。ファイン・アート、建築、インダストリアル・デザイン、映画、写真、アンティークジュエリー、アニメーションなど、多岐にわたるスタディが学部に含まれている。美術学士、建築学士、デザイン学士を取得することが可能。