環境への負荷や労働条件の悪化、ファストファッションの隆盛による廃棄物の増加など、伝統的なファッション業界は現在多くの問題に直面しています。また、ランウェイやファッションショーにおける多様性の欠如や身体への過度な修正も、たびたび社会的な議論を呼んでいます。
これらの課題に対して、デジタルファッション(デジタル空間でアバターが着用するファッションアイテム)による解決の糸口を提案するのが、新進気鋭のイスラエル人ファッション デザイナー、Roei Derhi(ロイ・デルヒ、以下ロイ)氏。H&Mのデザイン部門で物理的なファッションデザインに携わる傍ら、フィジタル(Phygital、リアル世界とデジタル世界を融合させること)ファッションスタジオ「PLACEBO(プラシーボ)」を立ち上げました。今回はデジタルファッションについて、デジタルファッションが実現できる未来について、またファッション業界の今後などについてご本人にお話しいただきました。
ーーまず、ご自分の経歴についてお話しいただけますか?
PLACEBOの創設者でありクリエイティブ・ディレクターのロイです。イスラエルの美術大学であるシャンカール・カレッジを2016年に卒業後、H&Mのデザインチームのメンバーに抜擢されたことをきっかけにストックホルムを拠点として活動しています。
伝統的なファッションと、CGI、AI、ブロックチェーン、XRといったテクノロジーへの理解という背景を併せ持っており、予てより倫理と持続可能性を優先しながら、服作りを簡素化する革新的な方法を模索していました。そして2019年、ハイエンドファッションをコンテンツ制作や自己表現のために手軽に利用できる未来の創造を目的として、PLACEBOを設立するに至りました。
ーーデジタルファッションについて、まだよく知らないという人が多いように思います。
そうですね。次世代の分散型インターネットを総称する「Web 3.0」は、インターネットの新たな形を表す概念です。デジタル領域では、ブロックチェーンのような非中央集権的なテクノロジーや、ユーザーがバーチャルな服を着て交流することができるデジタルファッション体験もこれに含まれています。インターネットの進化形として、メタバースプラットフォームが知られていますが、これは3D体験としてのインターネットであり、既存のインターネット体験に新たな社会的レイヤーを追加するものです。
デジタルファッションは、コンピューター技術と3Dソフトを駆使してして構築された衣服の視覚的表現であり、ゲームやSNS、ビデオ通話などのバーチャル空間でアバターが身に着けることができる衣服などを指しています。今日、ファッションとは靴やドレスやアイウェアだけを意味するものではなくなりました。ファッションとは、コンテンツでもあるのです。まだまだデジタルファッションを理解している人は多いとは言えませんが、数年後には爆発的な広がりを見せるでしょう。
ーーかつて、デジタルファッションデザイナーとしてのキャリアをスタートしたとき、ご両親は気でも違ったのかと反応したと伺いました。2023年現在、デジタルファッションに関する理解は進んだと思いますか?
間違いなく進んでいると感じます。私の両親がデジタルファッションに否定的な反応を示したのは2019年のことでしたが、現代を生きる人々はデジタル化がますます進んでいることを理解し、受け入れているからです。実際のところ、デジタルファッションという発想を受け入れられるかどうかは、世代間の文化ギャップの問題が大きいと思います。
デジタルプラットフォームやゲームに積極的に参加し、そこで交流したり、アバターやデジタルファッションを購入したりすることに抵抗があるという人は、今日少数派となりました。特に、私たちの主なターゲット層であるミレニアル世代およびZ世代(※2)は、デジタルファッションがメタバースにおける重要な資産であることを自然に理解している世代です。
でも、私はいつもこう言っているんです。もし誰かが私がしていることを指して、それをクレイジーだと思っているのなら、私はきっと間違っていないんだと。だって、インターネットが登場したときだって同じだったでしょう?(笑)
ーー本当にその通りですね!PLACEBOの提供するサービスについて詳しく教えていただけますか。
PLACEBOは、ハイエンドなデジタルファッションを提供し、革新とテクノロジーを重視するファッションテック・ハウスです。ファッション業界の多くはテクノロジー志向ではないかもしれませんが、私たちはその常識を覆し、両世界をシームレスに融合させ、ファッションの未来を創造するブランドを築き上げました。インクルージョン(包括性)とサステナビリティ(持続可能性)、革新性がブランド理念の核となっており、あらゆるサイズ、性別、年齢に合うシグネチャー・アイテムを生み出し、伝統的なファッションの常識へ挑戦しています。
なぜなら、ファッションは誰もが楽しめるものでなければならないからです。私たちのデザインはその信念を反映し、ジェンダーレス、サイズレス、エイジレスなアプローチを取り入れています。PLACEBOは体型や年齢に関係なく誰にでもフィットし、多様性を祝福し、ファッションを通してユニークなアイデンティティを表現する力を与えてくれます。仮想世界において、私たちはファンタジーを生きることができます。自分のなりたい見た目を実現できるのです。
デジタルファッションの購入希望者は、オンラインでファッションハウスやブランドのデジタルファッションをチェックし、欲しい服を選んで購入した後、自分の写真をデザイナーに送信します。すると、その服を仮想的に着ている自分の画像を受け取り、それをSNSなどに投稿できるという仕組みです。複雑なステッチから精巧なメタルワーク、考え抜かれたウォッシュ加工に至るまで、あらゆるディテールに細心の注意が払われたデザインを楽しむことができます。
これらのコンテンツにはNFT(※1)、ブロックチェーン技術が使われていますが、お金としてではなく、衣服に押す固有のスタンプとして使われています。ブロックチェーン技術こそが、未来のファッション界の多くの問題を解決する答えとなると信じています。サステイナビリティ(持続可能性)に関して言えば、環境に良いことをするということだけでなく、透明性という点も重要です。ブロックチェーンを使うことで、お客様はいつ、どの素材が、どの製造元で作られたかを知ることができます。例えば、ルイ・ヴィトンやグッチのようなビッグブランドは、多くの偽物が出回っているため苦戦を強いられていますが、こうした問題の解決策となる可能性もあると思っています。
ーーブランド創設の背景にはなにがあったのでしょうか?
ファストファッションの分野で働き、さまざまなファッション関係者やコスチューマーと経験を積んだ後、より持続可能でインクルーシブなアプローチを生み出す方法として、テクノロジーの可能性にインスピレーションを受けました。PLACEBOの中核となるサービスのアイデアは、伝統的なファッションの職人技と最先端のテクノロジーを融合させ、フィジカルとデジタルの両方の世界で持続可能で包括的なファッションブランドを作りたいという思いから生まれました。今日ファッションの実用性はシフトし、コンテンツを作成するために使用されるようになりました。そこで、ファッショナブルなコンテンツを作成するために3Dモデルを使うことを思いついたのです。
Tシャツ1枚を作るのに2,700リットルの水が消費されているという例からも明らかなように、ファッション業界は持続可能性、特に次世代のためのクリーンな環境保全という点で多くの問題を抱えています。
また、きらびやかなファッションブランドの新作コレクションをいち早く手に入れて、その着用画像をSNSにアップするインフルエンサーの10人に1人が、写真を撮影後にそれらの服を返品しているという現実も浮き彫りになっています。ランウェイやファッションショーでモデルが着用する服は美しいですが、私達が日常的に着て歩くのには向いていないものがほとんどです。
しかし、もしもそれを着て単に写真を撮ったり、SNSに投稿する機会があればやってみたい、と思う人は多いでしょう。デジタルファッションは、そうした21世紀の顧客ニーズに合致したファッションを様々な形で提供しており、環境を害することなく素晴らしいコンテンツを作ることができるのです。現在進めている特別なプロジェクトでは、ペットのためのデジタルファッションの販売を開始する予定なんですよ。
ーーペットに過剰な衣服を着せることに関しては、虐待にあたるとして否定的な方も多いですが、デジタルファッションならその問題は簡単にクリアできますね!ブランドに関するユニークなエピソードを教えていただけますか?
当ブランドは、現在まで資金調達ゼロで活動を続けています。すでに3回のランウェイショーにおいて6つのコレクションを発表し、メタバースを含む6つの異なるファッション・ウィークに参加しました。インスタグラムのフォロワーは1万7千人に達しています。これを資金ゼロで、PR会社も使わずに実現している点がユニークだと自負しています。
また、今年はアジア・ファッション・サミットへの参加、および香港で10月初頭にフィジカルなファッションショーの開催を予定しています。中国政府が自国のメタバースに2028年まで毎年1,400万ドル(訳19億円)を投資している例でも明らかなように、アジア、特に日本、韓国、シンガポールは、デジタルファッションの未来を牽引する可能性を持っており、また私たちが最も意識している市場でもあります。
ーーファッション業界にはこれから何が起こると思いますか?また、ファッション業界はその変化にどのように対応すべきでしょうか?
ファッション業界では今後、デジタルファッション、拡張現実(AR)、バーチャル体験の導入が進むでしょう。新しい世代に対応するために業界は、持続可能な慣行、包括性、そして顧客体験を向上させるテクノロジーを取り入れることで対応する必要があります。
また、コラボレーションも重要になってくるでしょう。例えば、私たちのようなデジタルテックハウスと、売れ残った在庫に悩むフィジカルファッションブランドのコラボレーション。私たちは誰にも着られることがない売れ残りの古い服に、テクノロジーを使って持続可能性というレイヤーを追加し、新たな衣服に生まれ変わらせることができます。
10月に香港でショーを開催するとお話しましたが、そこで発表される最初のコレクションは、実際に使用したのは売れ残りの素材だけで新しい生地は全く使われていません。古い生地を使って、その上にプリントするという手法を取りました。
3D上でドレープ縫製を行い、パターンを拡大してプリントに送り、実際の生地に直接貼り付けるだけです。この手法を使うと、通常「サンプリング」と呼ばれる、試作品を作る段階を省くことができます。そういう意味でも、余分な素材は一切使われていません。
そして最も大切なのは、お客さまに正直であること。その上でお客さまに選んでいただくことだと信じています。
ーー素晴らしい考え方だと思います。近い将来、日本でフィジカルなファッションショーを開催する予定はありますか?
お話したように、現在まで当社は資金調達無しで活動を続けていますが、次の成長段階に入るにあたり、概念実証(Proof of Concept)の段階を成功裏に終え、最初の投資ラウンドに参加を希望するエンジェル投資家やVC(ベンチャーキャピタル)を探しているところです。将来のビジョンとして、デジタルとフィジカルファッションの両方を拡大することに重点を置いています。
実は、日本文化が大好きなんです。ワビサビの考え方とか…。もしもビジネスが進展して日本に住む必要があれば、喜んで日本に引っ越したいと考えています。それには、資金調達ラウンドを成功させる必要がありますね。しかし近い将来、必ず日本でもショーを開催したいと思います!
ーー最後に、日本の読者へのメッセージをお願いします。
香港のフィジカルなショーで発表するコレクション名は「バビロン」といいます。幾世紀もの間、人類は一つの地球上にいながら異なる言語を使用し、分断されて暮らしてきました。 インターネットは物理的な境界を曖昧にし、言語や文化によって分断されていた人々を団結させる小さな世界を生み出しました。それは、テクノロジーによって結ばれた人々が困難に挑戦するという、聖書で語られるバベル(バビロン)の塔の物語に通ずる新しい世界なのです。
これからも、私たちのファッション業界への挑戦を楽しみにしていてください。
※1:NTF(Non- Token、非代替性トークン)とは、ブロックチェーン上に記録される一意で代替不可能なデータ単位である。NFTは、画像・動画・音声、およびその他の種類のデジタルファイルなど、容易に複製可能なアイテムを一意なアイテムとして関連づけられる。代替可能性がないという点で、NFTはビットコインなどの暗号通貨とは異なる。
※2:ミレニアル世代は現在20代後半から40歳くらい、Z世代は10代から20代半ばくらいの年代を指す。
<PLACEBOに関するお問い合わせ先> Roei Derhi (英語・ヘブライ語対応)