スタートアップが盛んなイスラエルですが、地理的な距離も関係して、日本人の起業家はほとんどいないと言っても良いこのイスラエル。
そんなイスラエルにおいて貴重な日本人起業家の1人、ANIWO社の創設者でありCEOである寺田彼日(てらだ あに)さんにインタビューしました。
なぜイスラエルで起業したのか?日本の、世界の将来について何を感じているのか?大きな夢を叶えるための小さな一歩を踏み出したくなる、心揺さぶるお話を聞かせていただきました。
―――まず、ANIWO社について、簡単に教えてください。
寺田さん:現在ANIWO社では、イスラエルの技術を世界に広げていきたいという、日本の企業様の支援サービスを行っています。イスラエルのスタートアップのリサーチやアドバイザリーサービス、人材支援、イノベーション創出を目的としたカンファレンスやセミナーの開催、サイバーセキュリティーサービスなどが主なサービスです。
―――創業は2014年とのことですが、どうしてイスラエルで起業しようと思われたのですか?
寺田さん:これは、私自身の経歴も関係しており、いくつかの理由が重なっていることなのですが、大学院在学中に、トルコへ留学をした体験も大きかったと思います。
私は1988年生まれで、物心ついた時は日本はすでにバブルがはじけた後。私たちの世代は「成長する日本」というものを実感したことがありません。そしてトルコでも、世界に対する日本のプレゼンスの低さを感じ、危機感を覚えました。
それでも、私の出身地である神戸も被災した阪神淡路大震災の時に、ASICSや日清食品といった企業が行った復興支援を目の当たりにして、敗戦直後の貧しかった日本を世界に通用するレベルにまで成長させた日本の起業家に対して尊敬の念を抱いています。
私は、日本から世界に通用する企業がまた生まれてほしいと思っており、そのために自分ができることは何かということを考えていました。
トルコの留学から日本に戻った後は、ベネッセで働きましたが、その時も人材不足やITに対応できる環境づくりなどといった、日本の課題に気づかされました。やはり、このまま日本の中だけを見て、日本だけでやっていくのでは限界があると思ったのです。
―――なるほど。でも、その当時、イスラエルは日本ではあまり知名度もそれほど高くなかったですよね。
寺田さん:たしかに、その当時はまだ今ほどではなかったとは思います。でも、私は”START-UP NATION”という、イスラエルについて書かれた本なども読んで、イスラエルに興味を持っていました。それにシリコンバレーに行っても、日本人がたくさんいたので、そこにもう一人日本人が増えたところでどれほどの力になれるだろうかというふうにも思いました。
そんな時に、サムライ・インキュベートからの出資を受けることが決まり、イスラエルでANIWOを設立したのです。
―――ついにANIWOの誕生ですね!事業は割と最初から好調に進みましたか?
寺田さん:それが・・・。実は、もともとはイスラエルのスタートアップをデータベース化して、オンライン上で投資家とスタートアップをマッチングするようなアプリの開発を行っていました。「世界中にインパクトを与える商品」をこの手で生み出したいと思っていました。でも、それはなかなかマネタイズが難しくて…。私のほかにもう2人、日本人の共同創業者がいて、3人でやっていました。でも正直、このマッチングアプリはプロダクトとしてはグロースせず、自社内で企業データベース利用などに方向性を変えています。
共同創業者は日本支社起ち上げの為に帰国し、私はイスラエルに残ることになり、現在のANIWOのサービスを開始しました。現在のイノベーションプラットフォーム事業では、「ANIWOのクライアントの皆さんを通じて、世界中にインパクトを与えられるようになれたら」と思っています。
―――状況や時流を読みつつ経営方針を変更していく、ピボットというやつですね。素晴らしい柔軟性だと思います。そして、イスラエルはまだまだ真っ只中ですけれど、コロナ禍についてはどうですか?事業で影響をうけましたか?
寺田さん:実際に日本のクライアントの皆さんをイスラエルにお呼びすることもできなくなってしまったし、観光、航空や交通といった、このコロナ禍で直接的な打撃を被った業界も多く、プロジェクトによってはペンディングということもあり、そういった意味では影響は決して小さくなかったです。
本当のところ、コロナ禍が始まった3月、4月頃はどうしようかと思った時もあります。
それでも、やはり日本のお客様がイスラエルに来れなくとも、いえ、来れないからこそ、ここにいる私ができることをと思い、業務の重心をそちらに移動しました。例えば、こちらにいらっしゃることができない日本のクライアントの皆さんの代わりに、私がスタートアップに会いに行ったりとか、デューデリジェンスの業務に力を入れるとか、イスラエルでの業務を委託していただく、そういったことですね。
―――なるほど。ピンチをチャンスに変えた、すばらしい事例ですね。それでは、コロナで日-イの投資関連でもやはり大きな影響はありましたか?
寺田さん:そうですね、イスラエルのスタートアップ側は、例えば一時期は実際にラボで行う実験などが多少滞ったこともあった様ですし、リモートワークが中心になったためオフィスが閑散としていたなどということもありました。けれど、一部政府の補助金なども利用して、スタートアップも頑張っていると思います。コロナの前に比べてスタートアップが次々に倒産していくとか、スタートアップが興らなくなったなどというような極端な事象は少ないと思います。
日本の投資側も、やはり一時は様子見・・・という動きもありましたけれど、投資は何年か先を見越して行われるものですから、その一瞬が大きな影響を及ぼすこともないように思います。
―――今後のANIWOはどのように展開していくのでしょうか?
寺田さん:コロナ禍によって人の往来、移動というものに対する考え方が世界的に変わってきていると思います。そういったことも踏まえ、今、ANIWOでは2つのことに特に重点的に力を入れています。
1つはサイバーセキュリティーです。コロナをきっかけに、様々なことがオンライン上で行われる世の中になりました。それだけに、サイバーセキュリティーは今まで以上に重要な懸案となるでしょう。幸いイスラエルはサイバーセキュリティーに関する技術開発には歴史もあり、世界の最先端を行っています。サイバーセキュリティーサービスを提供する、もしくは開発や投資を考えている日本企業の皆様にイスラエルにおける業務支援を行う、などです。
2つ目は、人材にかかるサービスです。日本は人手不足が叫ばれて久しいですし、面接や試験だけでは本当に求めている人材なのかわかりにくいところもあります。特に、リモート面接などではまだまだ理解しがたい部分もあるのではないでしょうか。そこで、私はリファラル採用を支援するツールを開発しました。今年4月にアンドロイド版のアプリ、「Axelnode (アクセルノード)」をローンチしたところです。引き続きiOS版も開発、ローンチしていく予定です。
人材不足や適切なマッチングは、学生時代に人材採用支援の会社に関わって以来の、私の中の課題でした。ちょっと時間がかかってしまっているのですが、この事業も今後力を入れて進めたいと思っています。
―――これから日本とイスラエルをつなぐビジネスをはじめる方々に、お伝えしたいアドバイスなどはありますか?
寺田さん:よく言われることではありますが、やはり日本のクライアントの皆さんは企業の規模が大きいこともあり、イスラエルのスタートアップとは時間に対する感覚の違いが大きすぎることがよくあります。日本の組織の中ではどうともし難いこともあるのですが、小回りのきくスピード感を少し意識していただきたいと思います。時間をかけて地道に交渉を重ねてきても、欧米やその他の国の企業に先を越されることもあるので、それはちょっと悔しいですね。
―――それではイスラエル一番うれしかったことと一番大変だったことをお聞かせ願えますか?
寺田さん:イスラエル人は親日の方が多くて、人助けが大好きです。仕事の関係で慣習や文化的背景の違いから多少は苦労することはあっても、人間関係などで心の底から嫌な思いをしたことは思いつかないですね。この国で事業をするにあたって日本人であるということは、プラスに働くことはあってもマイナスに働くことは今までなかったと思います。家族とのつながりを大切にし、広い心で外国人である私を受け入れてくれるイスラエルの文化に触れられたことを本当にうれしく思います。
大変だったことは、最初の頃は結構切り詰めた生活をしていたし、時にはまあ、野宿なんかで夜を過ごしたりすることもあって…。夏でも外で寝るのって、案外冷えるんですよね。片道切符でこちらに来ていたのでこのまま事業がうまくいかなければどうなるのかなと、不安になったこともありました。
―――え?はじめて聞きましたけど、それは、ものすごいご苦労じゃないですか?最初に伺った時は、あまりそういう苦労話はなさらなかったですよね?
寺田さん:そうですね、まあ、現在行っている事業に直接関係するというわけでもないですし、あまり言うことでもないかなとも思ったんで。これは言いましたけど、最初からスムーズにいったわけではなく、大変は大変だったんです。
―――寺田さんからイスラエルの苦労話ってほとんど伺ったことがないんですけれど、ビザの問題とか、生活のこまごました苦労話って、ないんですか?野宿も初めて聞きましたし。
寺田さん:苦労話ですか(笑)。確かにイスラエルでは、日本のようになんでもスムーズにいかない部分もありますよ。荷物が届かないとか、役所に書類持って行っても行くたびに違うこと言われるとか。最初に口座をあけようと銀行に行った時は、いろいろと理屈をつけて「半年後に来てくれ」みたいなことを言われたこともあります。でもイスラエルではその辺、それが結構スタンダードですよね。それも仕方ないというかなんというか、イライラしてもあまり結果は変わらないし、そういうものか、と。
事業のほうも最初はちょっと大変でしたけれど、今はおかげさまでやっていけていますし、コロナが始まった時も、正直どうしようと思った瞬間もありましたけれど、今は大丈夫です。
―――打たれ強いというかなんというか…。お話を聞いていて、ダーウィンの進化論を思い出していました。「最後まで生き残るのは、大きいものや強いものでなく、適応能力のあるもの」でしたっけ。素晴らしい能力をお持ちなんですね!感動しました!
寺田さん:いや別に、能力とか、そういうわけでもないですが…。
―――それでは、寺田さんの今後の夢を教えていただけますか?
寺田さん:はい。新しい価値を、日本だけでなく世界に広げていきたいと思っています。そのためにはイスラエルの技術と日本の企業というのは最高の組み合わせだと思います。世界にインパクトを与えるような新しい価値の商品が世の中に出た時に、この裏にはANIWOが関わっている、それを誇りに思えるようなプロジェクトを、今後も動かし続けていきたいです。
それから、やはり、日本の新しい世代の人たちのロールモデルになりたいと思っています。戦後の日本を復興させ、世界にその名をはせた起業家たち。そういう人たちが私のモデルなので。
―――ありがとうございます。最後に日本の皆さんに何か一言、メッセージをお願いいたします。
寺田さん:コロナ禍ということもあり、どうも目が内側だけを向いたり、内向的になり過ぎることもありますけれど、世界に目を向けて、「世界の中にある日本」を見ていってほしいと思います。日本人として、世界に良いインパクトを与えたいという気持ちで、アクションをおこしていってほしい、そう思っています。
―――今日は本当に貴重なお話をお聞かせいただいて、どうもありがとうございました。
きらびやかなテルアビブの高層ビルの写真を背景に、オンラインにてインタビューを受けてくださった寺田さん。コロナ禍に突入しても、日ーイをつなぐオンラインセミナーやオンラインカンファレンスなど、常にご活躍の様子を拝見していたので、裏ではそんな苦労を重ねていらしたとは、まったく存じませんでした。
ただ、そのご苦労をご本人がどれほど「苦労」と感じていらっしゃるのか…。夢を追う力が大きすぎて、過去のことや不可抗力な出来事に対していつまでもこだわる時間もない、という感じなのでしょうか。とびぬけた適応能力と柔軟性をただただ尊敬するばかりでした。
言葉が重なれば「どうぞ」と常に譲ってくださる寺田さん。生き馬の目を抜くイスラエルのビジネスシーンで、そんな繊細さを失わずに前進していけるのは、本当の強さを内に備えているからなのだと思います。
どんな夢も、小さな一歩を踏み出さなければ始まらない。大きな夢とそれを実行する勇気を分けていただいた気持ちです。どうもありがとうございました。
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