
イスラエルの長寿風刺番組「エレツ・ネヘデレット」。
そして、国民的ヒットとなったイスラエル映画『シュリを救え2』。
これらの番組や映画では、風刺対象の政治家や有名人にあまりにそっくりな役者が時には誰なのかわからなくなったり、体形がそれを演じる役者とかけ離れていて驚いたりすることがあります。
それを作り出すのが、メークアップ兼キャラクターデザインの仕事。
今回は、イスラエルの芸能業界で長年メークアップとキャラクターデザインを担当してきた女性、ヒラ・エルカヤムさんのスタジオ”SHE”を訪ね、お話を伺いました。
目次
テルアビブの住宅街にある、小さなスタジオで
テルアビブの住宅街の一角にあるスタジオに一歩足を踏み入れると、白く明るい部屋の棚に、半透明の箱が所狭しと並んでいます。
箱の中には、見たこともない道具や何に使うのか想像もつかない薬剤がぎっしり詰まっていました。
机の上には、血管が浮き出たしわだらけの手。細部まで作りこまれていてつい見入ってしまいます。
「ようこそ!ちょうどさっき、生徒さんたちが掃除をして帰ったところなんです」
そう言ってスタジオの扉を開けてくれたヒラさん。初めて会う彼女を前に緊張気味だった私ですが、よく通る声と明るい笑顔に迎えられてとても暖かい安心した気持ちに包まれました。

「足す」だけが、メークの仕事ではない
ヒラさんは、イスラエルを代表する特殊メークアップアーティストであり、キャラクターデザイナーです。
映画やテレビの世界で20年以上にわたり、人の顔や身体を「別の誰か」に変える仕事をしてきました。
イスラエルで長年愛されている風刺番組「エレツ・ネヘデレット(素晴らしき国)」では、複数のメークアップアーティストの一人として、長年現場に立ち続けています。私自身もエレツ・ネヘデレットの大ファンで毎週放送を心待ちにして見ているのですが、政治家や著名人などになり切って何役もこなす役者達の変貌ぶりにはいつも感心することしきりです。時には本人よりも本人らしく見えてしまうそのトランスフォーメーションを支えているのが、特殊メークとキャラクターデザイン。
私は、特殊メークとはフォームラテックスなどで作られた装具を付けて顔や体の形を変えることなのだと思っていましたが、ヒラさんの話を聞いていると、メークの本質について深く考えさせられました。
「実は、メークをしないほうが、役者さんを引き出すこともあるんです」
そう語るヒラさんにとって、メークとは足すことだけではありません。
役者の外見をコントロールするのではなく、役者が自分の姿に安心して自信を持つ状態をつくり、役者の内面を引き出すこと。
それもまた、キャラクターデザイナーの大切な役割だとヒラさんは言います。

リアリティが求められる時代のメーク
最近の映画やドラマでは、撮影技術が大きく進歩したとヒラさんは言います。
昔の映画メークは、しわや毛穴をすべて隠すような、厚塗りが当たり前だった時代もあったそうです。
けれど今は、アップで撮られたときに不自然に見えないこと、画質の良い映像を見た時に年齢や傷がきちんと「そこにある」ことが、リアリティとして求められています。
映画やドラマでも、役によってはほとんどメークが必要ないと思われる場合も、稀にあるのだそうです。
むしろ下手に手を加えないほうが、その役者の表情や存在感が生きることもある。
長年第一線で活躍してきた役者さんの中には、自分のメークスタイルが具体的にはっきりしている方や、監督やメーク担当にすべて任せるという役者さん、いろいろな方がいらっしゃるそうですが、中には本人の持ち味を生かす「濃くないメーク」に強い自信が持てない役者さんがいることも。
そんなとき、ヒラさんは対話を通して、その役者さんが一番心地よく演じられる姿を一緒に探して役者さんを支えていくのだそうです。
「すべてのメークアップ担当がそうするわけではないと思います。でも私は、それも自分の仕事だと思っています」役者のプロフェッショナルな演技のためにメークをしない。
ヒラさんのエピソードは私にとってとても印象的なものでした。

キャリアの出発点
ヒラさんは、宗教的な家庭で育ったそうです。
多くの宗教的な女性と同じように、幼稚園や学校教師の資格を取り、家庭を支える仕事に就くという人生を彼女は描いていたと言います。
けれど実際にその仕事を学んだ時、ヒラさんはそれが自分に合っていないとはっきりと感じたそうです。そこからメークを学び始め、少しずつこの世界に入っていきました。
特に惹かれたのが、人が別の誰かに変わる「トランスフォーメーション」の部分でした。
当時は、キャラクターデザインという考え方自体が今ほど一般的ではなく、学べる場所もほとんどなかったそうです。自身で試行錯誤を繰り返し、無駄な出費も多くあったと言います。
イスラエルでは特殊メーク用の材料が今でも簡単に手に入るわけではないそうで、 高価な材料を使えば見積もりが通らないこともあるのですが、それでも彼女はこのメークアップの、トランスフォーメーションの世界から離れることはありませんでした。
多くの失敗をしながらもほとんど独学に近い状態で学んだ特殊メーク、キャラクターデザイン。この経験を生かし、ヒラさんはヤリン・シャハフというイスラエルでも有名なメークアップスクールの特殊メークやキャラクターデザインのコースで、多くの生徒を教えていきました。

日本で出会った、過程を大切にする価値観
2024年公開のイスラエル映画『シュリを救え2』では、キャラクターデザインと特殊メークを担当し、約1か月間、日本で撮影に参加しました。
それまでは日本に特別な関心を持っていたわけではなかったそうですが、この経験は、彼女にとって非常に大きなものになりました。
撮影現場では、ノリさんという日本人女性がヒラさんの右腕としてついていたそうです。
最初は、言葉がきちんと通じているのかどうかも分からず、不安に感じることもあったそうですが、時間が経つにつれ、ノリさんがどんな状況でも基礎を大切にし、決して手を抜かない姿勢を持っていることが分かってきました。
特に印象的だったのが、映画の中で、主人公の男性3人組が日本の芸者に変装するシーンです。
コメディ映画の中の数ある場面の一つでありながら、日本側のメークスタッフは、伝統的な芸者の化粧道具を一式そろえ、そのやり方を一から丁寧に教えてくれたそうです。
「イスラエルでは、結果さえ良ければ過程は重視されないこともあります。でも日本は、その逆でした」
芸者という存在をどう表現するのか。
なぜその工程が必要なのか。
そうした説明とその実践を惜しまない姿勢に、ヒラさんは深く感動したと言います。
「日本とイスラエルではお互いに学びあえることが、本当にたくさんあると思います」

「誰かが作ったと思えないもの」を目指して
映画やテレビの視聴者に、ヒラさんのメークやキャラクターデザインを見てどんな気持ちを抱いてほしいかと尋ねると、彼女はこう答えました。
「本物みたい、と思ってもらえたら嬉しいです。誰かが作ったとは思えないようなものを作りたい」
その言葉を聞きながら、私は自分の仕事の一つである翻訳について考えていました。
訳された文章を読んだ人に「翻訳であること」を意識させないこと。
それは自分を消すことではなく、原作の世界観を壊さないことなのかもしれません。

SHEという、次の場所
ヒラさんは、約半年前に自分のスタジオ「SHE(Studio Hila Elkayam)」を立ち上げました。
ヤリン・シャハフではキャラクターデザインをコースの一つとして教えていましたが、SHEでは、キャラクターデザインを専門に、基礎から存分に学ぶことができます。
「メークの世界は、常に進化しています。学び続けていなければ、すぐに置いていかれてしまう。学びの日々です」
将来的には、メークアップ担当者としての仕事の重量を少し減らして自分が本当にやりたいプロジェクトだけを選び、スタジオで次世代を育み、イスラエル全体のキャラクターデザインのレベルアップを推し進めることにも力を入れていきたいと話します。
また、日本とイスラエルの間で、メークの技術や基礎知識を教え合うような交流も実現させたいと考えているそうです。
自分のスタジオに、日本のメークアップアーティストを講師として招くこともその夢の一つなのだそうです。
これから目指す人たちへ
最後に、これからメークアップやキャラクターデザインの仕事を目指す若い女性たちに、伝えたいことを聞きました。
「どんな仕事でも、自分が本当にたどり着きたいゴールを、できるだけ具体的に描くことが大事だと思います。
目標を定め、そこに向かい続けること。
それができる人は、きっと夢にたどり着ける。私はそう思っています」
イスラエルを代表する大きな仕事をしているヒラさんは、気さくでエネルギッシュで温かみのある女性。インタビューをしてそんな印象を抱きました。
自分と関わった人達の話が出ると、必ずその人たちの良かったところ、素晴らしかったところが自然と口からこぼれ出るヒラさん。誉め言葉を惜しまず、人の良いところを心から大切にする。そんな人でした。
声高に何かを主張したり、戦ったりするのでなく、自分の腕と経験、そして技術と専門知識の一本勝負。そのゆるぎない職人技に裏打ちされた人間性と心の優しさで彼女は次の世代を育てていこうとしているのです。
「どう働きたいか」
「どんなリーダーでありたいか」
彼女の姿から、そんな問いが静かに向けられているような気がします。


