テロにより廃墟と化した集落
これは、どこで撮影された写真だと思いますか?
ここは、Kibbutz Be’eri(キブツ・ベィリ)と呼ばれるガザ回廊から5kmのところにあるユダヤ人居住地です。1946年にアラブ人との共存も認めるwork and Study Youthグループの人々よって建設されたキブツで、約1,050人近くの人が住み、楽園のように穏やかな場所でした。しかしそれは今、過去のこととなりました。
100人以上のハマス・聖戦「テロリスト」が7日早朝に侵入・襲撃し、楽園のようなキブツは殺戮現場と化しました。襲撃から1週間が経ち、テロリストたちの極悪非道な行動の様子が徐々に明らかなってきています。子供、老人、外国人関係なく、72時間続いた戦闘におけるテロリストの目的は拉致より殺戮でした。
私の友人の住んでいた家の手前、キブツの幼稚園のそばで激戦が起こっていました。その友人とは7日の11時以降連絡が取れません。同キブツで見つかった遺体は110体以上との事。住民の10%が殺害され、未だに誰が拉致されたかはわかっていません。
前例のないハマスの残忍性
現場で戦った兵士や、遺体の回収をしたZakkaの人々は、「これはポグロム(ロシア語で「破壊」を意味し、19世紀から20世紀初頭にロシアで行われたユダヤ人に対する略奪や虐殺を指す)や、ホロコーストを彷彿させる現場である」と証言しています。そして、ISISより残忍な殺し方の遺体を目にするのは初めての経験だとも話しました。
現在イスラエル人の多くは、たとえ多くの犠牲が避けられない地上戦となっても、このような惨劇が二度と起こらないためにはハマス・聖戦を完全に排除すべきと考えています。そして、それはガザの人々にとってもハマス・聖戦からの解放となると、テロによる多大な被害を受けたスデロット市長は発言しました。
そしてこのような惨劇が起きたのはキブツ・ベィリだけではありません。ガザ地区周辺にあるキブツなど11集落で起こり、また野外フェスでも起こりました。Kibbutz Kfar Aza(キブツ・クファル・アザ)で行方不明となっている家族を探す親族は、今回のテロ攻撃への解決策は空爆や封鎖ではない、今までとは違った関係構築が必要であると話します。
国をあげて団結するユダヤ系市民
12日現在までの死亡者数は1,300人、そのうち245人は兵士たち。エルサレムのヘルツルの山にあるイスラエル国防軍の埋葬地では今日も途切れなく葬式が続いています。戦没者の年齢もはじめは、19、20、21歳と若かったのが、20代半ば〜40代と、徐々に予備役の兵士も亡くなりはじめています。朝、起きる度に二桁の戦没者が報告される毎日。
それでもの多くの人々が従軍を希望し、30万人の参加を呼びかけたところ、130%となる35万人が集まっています。従軍しない人々は、別の方法でサポートしています。戦闘地に近い交差点では、人々が兵士や働く人々に食事をふるまっています。最も大きな被害を受けた場所のひとつ、スデロットでは市民に物品の援助が行われ、エルサレムの献血会場では5時間待ちとなっても辛抱強く並んでいます。イスラエル国防軍を信頼する人々は、地上戦を覚悟しています。誘拐された人々の奪還、ハマスの壊滅に備えて、本日新たな緊急内閣が作られました。
* 当記事内の写真は、中島ヤスミンさんにご提供いただきました。