前回の記事でフェスティバルのオープニングの様子をお伝えした、ユダ地方のワイン・フェスティバル。その興奮も冷めやらぬまま、今回はフェスティバルの一環であるワイナリーツアーに参加しました。「提供する側も楽しんでこそのおもてなし」「ありのままに、着飾らずにくつろいでほしい」。そんな、イスラエルの独特な「おもてなし哲学」によるワイナリーツアーの様子を、皆さんにお届けします。
目次
ワイナリーツアーの概要
今年で第24回目を迎える、ユダ地方のワインフェスティバル。そしてイスラエルワイン初の「アペレーション認定*」を実現させた「ユダのワイン」。今年は、主催者も参加者もより一層、熱気と活気に満ちたものとなりました。
*アペレーション認定とは:日本語では「原産地統制呼称」。その地方のみで生産が可能な食べ物や農業製品の、公式な呼び名です。有名どころではフランスワインの「シャンペン」や「ボルドー」、フランスチーズの「カマンベール」、イタリアチーズの「パルメジャーノ・レッジャーノ」などがあげられます。ワインやチーズを同じ製法で作ったとしても、その地方で生産される決められた原料を使って、厳格な規定を守って、その地方でつくられたものでなければ、これらの呼称を使うことは許可されないのです。
ワインフェスティバルを主催するは、ユダ地方の地方自治体「マテー・イェフダ」です。この自治体は、テルアビブから35キロほど東南に下った場所からエルサレムまで、イスラエルの中部を占める自治体で、1964年に設立されました。全体面積約520キロ平方メートル、58の村(キブツ**やモシャブ***を含む)からなり、人口は約6万人。ユダヤ人の村もアラブ人の村もあり、多様性に満ちています。
農業と観光業が中心のマテー・イェフダは、近年、このふたつを組み合わせた「アグリ・ツーリズム」、中でも「ワイン・ツーリズム」にとても力を入れています。特に、コロナ禍も落ち着きを取り戻し、アペレーション認定を受けた今年は、ツーリズムが一新されてさらに進化したものになりました。
**キブツとは:イスラエルの特徴的な村落形態の一種。キブツでの生活は家族単位でなく、共同社会的な集団生活が行われていました。現在では以前の様な集産主義的な生活を続けるキブツはほとんど存在せず、普通の村と変わらない暮らしになっていますが、イスラエルに250か所以上あるキブツが建国に果たした役割は大きいと言われています。
***モシャブとは:現在では通常の村とほとんど変わらない生活様式となっていますが、元は家族経営の農家の集団農業組合を中心とした村となっていました。
このツアーは、ワインフェスティバル期間中に準備された、全4回のワイナリーツアーのうちの一つで、ユダのワインを生産するワイナリーを周ります。ユダのワインをつくるワイナリーは全部で39カ所あるのですが、1日のうちに回るワイナリーは3つ。バスに乗ってワイナリー間を移動し、それぞれのワイナリーの特徴やワインづくりの哲学などを聞きながら、ワインと美味しい食べ物を頂きます。
出発地点はマテー・イェフダの役場から。金曜日の朝10時スタートです。日差しはすでに強くなってきていますが、準備されたバスに乗り込みます。
バスに乗って移動
今日のツアーの参加者は15人ほど。バスに乗るとマテー・イェフダ全体の地図が印刷されたエコバッグと、パンフレット、帽子、そして冷たい水がそれぞれに配られます。マテー・イェフダの観光課のロニさんと、案内及び広報担当Vinspiration社のガイさんのガイドで、1軒目のワイナリー到着までの間、ワインの一般的な知識や、ユダ地方についての説明を受けます。
参加者はほとんどが初対面の人同士なのですが、少人数のグループで、冗談も交えた説明が興味深く、出発からとても和んだ雰囲気。参加者は意見や質問を投げかけ、冗談に応えつつ、イスラエルらしいにぎやかさです。
ユダ地方は、6地域に分けられたイスラエルの中でもワイナリーの数が最も多く、生産量や収益の面からもイスラエルのワイン界をリードしている地域なのだそう。日本では、イスラエルワインというとゴラン高原のワインが良く知られており、筆者自身は、ロスチャイルド卿が町興しのために取り入れたワイナリーが有名なビニヤミン地方に住んでいるので、ユダ地方のワインについては無知なことが多く、説明は一つ一つが驚きと感動に満ちたものでした。
「ワイン専門家の皆さんには内緒にしたいところですが、最も美味しいワインとは、本当のところ値段や銘柄でなく、誰と一緒に飲んだかが重要なカギとなると、私は思っています。“今日のワインは美味しかった”、皆さんにそう思っていただきたいし、そう思っていただけたらそれをお友達やご家族にぜひ広めて頂きたい。安息日に入る前の金曜の午前中、皆さんがマテー・イェフダに来ることを選んでくださって大変感謝しています。ぜひ、楽しんでください」そうおっしゃるのはマテー・イェフダ観光課のロニさん。
「この地域はワイナリーがいっぱいあって、ワイナリーからワイナリーへの移動時間がすっごく短いです。あっという間に到着してしまうので、皆さんにワインの説明をする時間があまりとれないのがこのツアーの残念なところ(笑)」。汲んでも汲んでも尽きない井戸の水のように、どんな小さなことがらからもワインの知識が流れ出てくるのが、Vinspiration社のガイさん。地理、歴史、数量、大きさ、人名、植物、地質、地名、言い伝えや言語…。彼にかかれば、世の中の全てがワインに関わる話になるのではと思わせるほどの博識ぶり。
「ブドウの栽培場所を、別の場所にまったく同じようにコピーすることは不可能です。一杯のグラスの中に世界が凝縮されていて、味と香りでそのワインの出身地を知ることができます。ユダのワインを作るワイナリーは皆、ワインに対する愛と夢と誇りをボトルの中に充填しているのです」顔を輝かせてそう話すガイさん。人並外れた知識のさらに上を行くのが、ワインに対する愛情です。ワインに関わっているだけで楽しい、幸せ、そんな様子が参加者にも伝わってきます。
バスで走ること10分程度、私たちは最初のワイナリー「メッテラー・ワイナリー」に到着しました。
ワイナリーその1:メッテラー・ワイナリー(モシャブ・アグール)
メッテラー・ワイナリーで私たちを迎えてくれたのは、ワイナリーのオーナー夫婦の奥さん、レア・メッテラーさん。人懐っこい笑顔であたたかくもてなしてくれる奥さんは、イラク系イスラエル人です。集団からちょっと距離を置いて、遠くから奥さんを見守っている旦那さんはスイス出身なんだそう。
メッテラー・ワイナリーは2014年に設立され、年間約5,000本のワインを作る、小規模なブティックワイナリーです。レストランと、ペンションの様なおしゃれな宿泊施設も併設されていて、ユダ地方のワインと食事と自然を楽しむバケーションには、うってつけの場所です。向こう3か月、夏の間はすでに予約がいっぱいという人気ぶり。
テイスティングさせていただいたのは2020年のロゼ、2019年の“ゲフェン”及び“ニツァン”という2種類のブレンドの赤の、合計3種類のワインです。
今までイスラエルでは、ワインといえば“宗教的儀式に使われるもの”という認識で、ワインをより美味しく、楽しく飲むという考え方は比較的新しいものだ、とレアさんは言います。「イスラエルは、ヨーロッパに比べたら気候が暖かいです。今日みたいに暑い日が多いですから、イスラエルではのど越しのすっきりとした軽いワインが似合います。気候が違いますから、ヨーロッパとイスラエルでは飲んで美味しいワインも違うのです」そう言って、赤ワインもワインクーラーで冷やされたものを提供してくれました。
ブドウ畑が見下ろせる、風通しの良い木陰にセッティングされたテーブルでのテイスティングでしたが、昼前だというのに日差しは強く、適度に冷やされた赤ワインが暑気を払ってくれるような心地です。まだ1軒目ということで控えめにいきたいところですが、フルーティーな香りが高く、のどの滑りの良いワインをグラスに注がれ、ついついもう少しだけとすっかりワインを楽しみました。陽気で明るいレアさんのお話も場を盛り上げてくれます。
さらには「これは売り物ではないのだけれど…」と、ワイン造りで実験的に試して採用されなかったものをアラック(中東を起源とする蒸留酒)にしたものを出してくれたりもしました。(アルコール度、約40%だそうです!)
この後、ブドウ畑におりて、実際にブドウのなっている様子を見ながら、ブドウ栽培についてのお話を伺いました。適した棚の作り方、土の特徴や日照時間の違いなどについて、ワインの世界の深淵の一部を垣間見た気持ちです。
メッテラー・ワイナリーのホームページ
https://www.mettler-winery.com/
ワイナリーその2:アグール・ワイナリー(モシャブ・アグール)
メッテラー・ワイナリーの2軒先にあるのが、村の名前を冠したアグール・ワイナリー。ブドウ畑見学をした後、徒歩で移動します。1999年開設、年間約3万本、5種類のブレンドの赤ワインを生産しています。
実はこのワイナリー、この2年ほどの間にワイナリーの創始者シュキさんが引退し、代替わりをしました。ワイナリーは、家族経営の場合は創設者の子供がその後を継ぐことが多いのですが、アグール・ワイナリーを引き継いだのは、同じ村に住む血のつながりのないエルアド・カッツさんとエヤル・ドロリさんのお2人。
「このワイナリーで生産しているどの種類のワインがどう良くて、どう悪いのか。ブドウ栽培のどんなところを活かして、どんなところを改善させなければならないのか。創始者引退の際に私たちはまず、お互いに全てのことを包み隠さずに打ち明け合おうと決めたのです」
私たちツアー一向を迎えてくれたのは、アグール・ワイナリーの経営責任者となったエルアドさん。彼自身は、今まで同じ地域の別のワイナリーで長く働いてきたとのことです。
「二代目経営者のように、家族のやり方を子供のころから体で知っている、というメリットは私にはありませんでした。だからこそ、お互いに敬意をもって、それぞれが持っている全ての情報を交換しあったのです」ワイナリーの哲学や生まれ変わりについて説明してくれるエルアドさんの語りには、情熱がこもっています。
アグール・ワイナリーが生産しているのは白、ロゼ、赤3種の、合計5種類のワイン。
「ワインはそれぞれの地域で特徴が違うものですが、私にとってユダのワインは、黒いオリーブと乾いた草の匂いを思い起こさせるんです。ここの気候はヨーロッパのものとは全く異なります。アグール・ワイナリーだけがつくることのできる、私たちのワインをぜひ楽しんでください」と、テイスティングのワインをグラスに注いでくれるエルアドさん。ここでもやはり赤ワインも冷やされたものが供されました。
「このワインは私たちにとって特別なワインです。このワインだけは、代替わりしても、前代のものをまったく同じように引き継ぎました」そう言って注がれたワインは「スペシャル・セーブ」という2018年の赤ワイン。カベルネ・ソービニヨン、メルロー、カベルネ・フランクなどを中心とした、5種類のブドウのブレンドワインです。なぜか懐かしいような気持ちをかきたてる香りが特徴で、ツアー参加者からも「これは守り続けるべきだ」との声も聞かれました。
古き良きものへのこだわりと新しいものへの挑戦、伝統と改革、慣れ親しんだものへの愛着と初めてのものに対する新鮮な驚き…。伝統と歴史は、このように相反するものを受け入れつつ、作り上げられていくものなのかもしれない、という思いでアグール・ワイナリーを後にしました。
まだ若い二人に託されたアグール・ワイナリーは、着実に次の世代へと進んでいるのです。
アグール・ワイナリーのホームページ
ワイナリーその3:スフェラ・ワイナリー(モシャブ・ギブアット・ヨシュア)
モシャブ・アグールを後にして、バスは次なる目的地、モシャブ・ギブアット・ヨシュアへと向かいます。距離にして約5キロほど、10分足らずで到着。時刻はすでに昼近くお腹も少し減ってきていますが、ワインを何杯もテイスティングした参加者は、とてもご機嫌で楽しそうです。
本日最後のワイナリーはスフェラ・ワイナリー。2012年開設、年間30,000本、白ワインのみを生産している珍しいワイナリーです。
これまでに訪問したふたつのワイナリーでは、庭のブドウ棚の下に準備されたテーブルやブドウ畑を見渡せるバルコニーで、日差しや風といった自然を感じながらの試飲でしたが、スフェラ・ワイナリーは少し様子が違います。
ワイナリーに到着すると、真っ白な大きな倉庫の様な建物の中に案内されました。中に入ると、そこは完成したワインをボトルに充填し、それを保管する作業場兼保管所。その一角に真っ白なテイスティング・ルームが準備されているのでした。すっかり高くなった暑い日差しを逃れて、温度管理の行き届いた建物に入ると、息を吹き返す気がします。
私たちを迎えてくれたのは、スフェラ・ワイナリーのオーナーご夫婦。フランスでワインを学んだというワイン専門家のドロンさんと、経営を担当している奥さんのシマさんです。
「10年以上前、白ワイン専門のワイナリーをつくりたい、そう主人に言われた時、私はまだワインについての専門知識を持っていませんでした。しかし私は、それこそがこのワイナリーをつくることに成功した理由だと思っています。その時、もし私が少しでもワインに関する知識を持っていたら、白ワインだけをつくるワイナリーなんて絶対反対しました。何も知らなかったから出来たのです」そう説明してくれるのはシマさんです。
世界でも、イスラエルでも、白ワインよりも赤ワインの方が断然売れているし、どこでもワイナリーを代表するワインは赤と決まっています。白ワインは、赤ワインのついでに少しだけ生産するもの、ワインといえば赤、そう考えるのが常識なのだそうです。そんな中で、赤ワインは生産せず、白ワインだけを生産する。そんなワイナリーはあり得ない、そう忠告してくれる人も多く、向こう見ずだ、無謀だと言われ続けたそうです。
「今年、私たちのワイナリーも10周年を迎え、主人の考えは間違っていなかったことが証明されたと思っています。最近は世界的にも白ワインが改めて見直されてきていますが、それだけでなく、イスラエルの気候や食べ物には、もともと白ワインがよくあっているのです。それを理解し始めたイスラエル人達も、好んで白ワインを飲むようになりました。最近はどのワイナリーでも白は売り切れが多いと聞きますし、私たちのワイナリーも、年間約30,000本のワインを作っていますが、毎年売り切れで生産量が需要に追いつかない状態です」
スフェラ・ワイナリーでは 、White Conceptsというシリーズでソービニヨンブラン、シャルドネーの2種類、ファースト・ページとリースリングという2種類のブレンドの4種類と、栽培、収穫、醸造、全てが特別に管理されボトリングナンバーのついた高級厳選ワインWhite Signature の、合計で5種類のワインを製造しています。
「コロナの時期はレストランへ卸すワインの量が減りましたが、その分ワインを飲んでくださるお客さんに直接販売する機会が増えました。お客さんの率直な意見が聞けるのは勉強にもなったし、うれしいことでもありました」
ワイン専門家のドロンさんがそれぞれのワインについて詳しい説明をしてくださいました。
「ワインは、ほんの少し作り方を変えれば全く違うものが出来上がってしまうだけでなく、全く同じように作っても全く同じワインができるというわけではありません。添加物を加えれば、ほとんど同じものに仕上げることは可能です。それでも私たちは、添加物で味を整えることはしません。もちろん、同じ種類のワインなら同じ味になるように仕上げますが、毎年全く同じブドウが収穫できるわけではないのです。気温や気候の変化によって生み出される、その年ごとのブドウの持つ個性を見極めて、それぞれの特徴を取り入れて作り上げるのが私たちのスタイルです」
お昼ご飯も兼ねたチーズなどの美味しい軽食を食べながら頂いた、ほどよく冷えた白ワイン。若々しいフルーティーな香りと、穢れのないピュアなのど越し。これが五臓六腑にしみわたり、すっかり新しく生まれ変わった気持ちになりました。
スフェラ・ワイナリーのホームページ
ワイナリーツアーを終えて
予定されていた3か所すべてのワイナリーの見学を終え、本日のワイナリーツアーは終了。
金曜日の午前中、約半日のワイナリーツアーでしたが、内容はとても充実していて素晴らしいものでした。
ワイナリーやバスの中で、私たちを案内してくれた全ての方がワインの学校でワインを学び、何年もワインづくりに関わっている専門家で、話の内容は深い知識に裏付けされた非常に興味深いものでした。ワインのブラインド・テイスティング、古代の人とワインの関係、地域によるワインの扱いの違い、他にも楽しいワインの雑学が一杯で、この記事で全てをお伝え出来ないのが本当に残念です。ツアーの道中、参加者たちの笑い声と質問が常に絶えませんでした。
最後に、ツアーの案内役のガイさんが挨拶してくださいました。
「イスラエルは国土も小さいので、ワインの生産量を極端に増量することはできません。物価も人件費も高いので、他国のワインと値段を競争しても勝ち目はありません。イスラエルでは、安いワインを大量に作ることはできないのです。それでも私たちは、世界で一番美味しい“ユダのワイン”をつくることが出来ます。ユダ地方の土壌と気候とブドウを誰よりも良く知っているのです。そしてワイン造りに対する知識も技術も情熱も、世界のだれと比較しても劣ることはないと自負しています。私たちはイスラエルが誇る“ユダのワイン”を、世界中の、ひとりでも多くの方に味わってただきたいと思っています。今日のツアーは、素晴らしい参加者の皆さんのおかげで、私も心から楽しむことができました。皆さんにとっても、良い思い出としてワインと共に心にとめて下さったら、とてもうれしく思います」
自治体と地域のワイナリーが一体となって、ユダのワインに限りない愛情を注ぎ、誇りを持ってワインを作っている様子を見て、私もすっかりユダのワインのとりこになってしまいました。
強い日差しと乾燥した空気が支配する野性的な自然と、繊細でみずみずしく軽い飲み口の美味しいワインのコントラスト。後ろ髪をひかれる思いで、ユダの地を後にして家路につきました。
皆さんもイスラエルにいらしたらぜひ、ユダ地方のワイナリーでユダのワインを楽しんでみてください。