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FOOD

イスラエル初!ビーガン・ラーメンが食べられる日本食レストラン「KAMADO 竈」

by 中島 直美 |2023年02月21日

今や日本食は世界各国で親しみ馴染まれている感がありますが、それでは世界のどこでもどんな日本食でも気軽に食べられるかというと、そうとも限りません。ここイスラエルでも寿司はかなりポピュラーになりましたが、それでもやはり寿司以外の日本食はまだまだ馴染みが浅いのが現状です。そんな中、イスラエルでベジタリアンとビーガンのラーメンを提供するラーメン屋があると聞き、取材に行ってきました!


イスラエルのラーメン事情

イスラエルのテルアビブは、東京、ニューヨークに次いで、「世界で3番目に人口当たりの寿司屋が多い」というウソとも本当ともつかない冗談もあるほど、寿司屋はポピュラーなレストラン。では日本人のソウル・フードともいえるラーメン屋はどれほど浸透しているかというと……。トリップアドバイザーほか、ローカルなレストランサイトを覗いても、イスラエルにある「ラーメン・レストラン」は本当に片手で数えられるほど。日本食レストランのメニューに「ラーメン」がある場合は少なくないようですが、味はもちろんのこと麺の茹で具合から汁の熱さなど、よしと思えるストライクゾーンが狭いのがラーメン。日本人の私としては独創的で個性豊かなイスラエルのフュージョン・ジャパニーズレストランで、高いお金を出してラーメンを頼むのはなかなか勇気がいるものです。


そんなイスラエルのラーメン環境にあって、日本人がラーメン屋を開店したと聞けば、一度はその味を確認してみたくなるのは自然の成り行きでしょう。


かまどの入口。お店の内装もさっさんやスタッフ、友人たちの手作りが多いそうです

2022年2月の開店当時、イスラエルのリベラル全国紙ハアレツのグルメ欄に「イスラエルで最もおいしいラーメンの1つ」と取り上げられ行列が途切れず、3日分のスープが1日で売り切れたために臨時休業もあったとうわさのレストランKAMADO。期待は高まります。


KAMADOのある町

KAMADOがあるのは、テルアビブから北へ約60キロ程離れた場所にある小さな町パルデス・ハナ。人口は2022年10月の統計によると約4万5千人程と町のホームページに書かれています。グーグルマップによるとそんな町の中心地のほど近く、農業高校の敷地内にある「芸術家達の馬小屋」と呼ばれるショッピングセンターにKAMADOは位置しているそうですが、この名前といい雰囲気といい、どうやらテルアビブやその他の大きな都市に存在する一般的なショッピングセンターとは少し様相が違うようです。それもそのはず、このパルデス・ハナという小さな町はイスラエルでは「スピリチュアルな若者が集まる町」という特徴で知られていて、愛や平和を尊重するヒッピー文化や自然とともに生きる環境にやさしい生活、型にはまらない生き方を模索する人々が集まっていると言われているとのこと。そしてここは、そんな町の人々の集いの場所なのだそうです。


芸術家たちの馬小屋には色とりどりの個性的なお店がたくさんあります

「芸術家の馬小屋」はこの町の歴史ある農業高校に隣接しています。その名の通り、ここはもともと馬場だったそうで、馬小屋を改造して作った建物にいろいろなお店が入っています。さらに、バスを改造して作ったパブや小さな小屋、芸術作品の展示など独特な空間が広がっています。お店を見て回ると、価格の高低や有名無名は別として、ここにはチェーン店はありません。セカンドハンドショップ、床屋、クリスタルやお香の店、アートギャラリーなどなど、個性の際立つお店が並んでいます。インド料理やタイレストラン、ブラジルの輸入食料品を扱うお店……と食関連もネイティブが経営している興味深いラインアップです。


そんな場所にあるラーメン屋、KAMADOを早速見つけて入っていきました。


KAMADOのオーナーは日本人とイスラエル人のカップル

「この時間帯なら、ランチとディナーの隙間時間で少し余裕ができるから」と約束した時間にお店に入ると、まだまだたくさんのお客さんたちがお昼のラーメンを楽しんでいます。そんな忙しい合間を縫って、私を迎えてくれたのがKAMADOのオーナーであるイスラエル人と日本人のカップル、マヤ・スペンサーさんと「さっさん」の愛称で知られている笹崎友明さん。


かまどのオーナー、さっさんとマヤさん

さっさんとマヤさんは、ワーキングホリデーでオーストラリアで仕事をしていた時に知り合ったといいます。


「同じ農家で働いていました。サクランボの収穫をしていたのですけど、さっさんがあまりに素早くサクランボを摘むので私の担当の木を彼に分けてあげました」とお茶目に笑うマヤさん。「え?そんなことあった?」とちょっぴりとぼけ気味のさっさん。


飾らない雰囲気の会話がかわいらしく、とても魅力的なお二人です。


「もともと東アジアの言語に興味はあったけれど、日本語を学び始めたのはさっさんの影響です。さっさんと一緒に日本でも9か月ほど生活しました。日本での生活は本当に楽しかったです。またいつか日本に戻りたい」とマヤさんはいいます。


前述したとおり、KAMADOが開店したのは2022年の2月。開店のきっかけについて伺いました。


「小さくてもカウンター席のお客様とは直接話しが出来るので作って良かったと思っています」とさっさん

KAMADOの開店まで

「もともと食に興味があり、二十歳を過ぎたころからずーっと食に関連した仕事についていたので、いつか自分の作る食事を提供するお店を持ちたいという夢がありました」というのはさっさん。


「日本ではマヤのビザの問題もあったし、僕自身がもう長く外国で生活してきているから、まだ行ったことのない国、イスラエルにも行ってみたいという気持ちがありました」


そうして6年前に二人でイスラエルに住むようになってからお店を構えるための第一歩として、ケータリングやイベントの屋台などで日本食を作って売っていたそうです。テルアビブでそのように何年か生活していたころ、コロナのパンデミックが発生。ケータリングを届ける先も屋台を出すイベントも、すべてが中止となってしまいました。


「それで、とりあえずマヤの実家のあるパルデス・ハナに引っ越してきたのです。お店を持ちたいという夢はあったし、何かしなければ暮らしていけないので、家の台所でご飯を作ってテイクアウェイのみという形で日本食を売り始めました」


さっさんとマヤさんと、かまどのスタッフ達

ここパルデス・ハナでは自宅でパンやケーキを焼いてそれを売ったり、自宅の一画や庭を改造してカフェを開いたり、依頼のあった人の家の台所で食事を作ってパーティーを提供したりなど、自由な形の飲食店文化が開花しているといいます。


コロナのパンデミックの最中は、そうやって注文を受けて食べ物を作っては、取りに来てくれた人に売るという生活だったそうです。


「コロナの波が去っていってレストランなども通常運転が始まったころ、僕もまた自分の店を持つという夢を実現させる時が来たと思いました。どこに店を構えるか、何を売るか……決断すべきことはたくさんありました」


芸術家達の馬小屋の看板。広々とした場所です

なぜビーガン・ラーメンのお店にしたのかとの問いにさっさんは以下のように答えてくれました。


「それまでテイクアウェイやイベントで売っていた料理を店で出すというイメージは最初からありませんでした。もともと僕自身がおいしいラーメンが食べたいという気持ちがあったので、まずは家でラーメンを作ることから始めたんです。それの延長線上で「Ramen in the House  -Ramen Night-」という小さなイベントを家でやったりして、来てくださったお客さんたちからラーメンならいけるんじゃないか、皆が食べたいと思ってくれるんじゃないか、そんな手ごたえを感じたんです」


「実は、僕自身もマヤも別にベジタリアンというわけではないのです。特別な料理として肉を食べることは理にかなっていると思うのだけれど、商業的に食事を提供する側として肉を消費することに、コストの面だけでなく環境や倫理的な観点から僕自身にちょっと抵抗もあったのです。


それから、その地域で生産したものをその地域で消費するという地産地消の考えを実現したいという思いもあります。予算や物流の面からすべてを完全に地産地消にするのは難しいですけれど、フィッシュ・ラーメンに使う魚は近海でとれる魚の、イスラエルでは使われずに廃棄されてしまう部位なども使ってだしを取っています。エコロジカルな面からもできることだけでも実践したいという気持ちです」


芸術家の馬小屋への入口。たくさんのお店が看板を掲げています

協力し合う二人、さっさんとマヤさん

このように手探りで始まった日本食レストラン、KAMADO。大変なことはありますか?と聞くと「全部が大変です(笑)」と即答のマヤさん。


「小さなお店ですけれど、僕もマヤも店を持つのは初めてなんです。やらなければいけないことは山ほどあって。どうしていいかわからないこともたくさんでした。


それに、今までは僕とマヤと2人だけでなんでもやってきたのですが、こんなに大所帯で10人もの従業員がチームとなって働くということも初めての経験なんです。精神的なプレッシャーが大きいです」とさっさん。


「でも、イヤになるとか我慢できないような気持になったことはありません。自分の夢なんで、やりたいことを実現できているという気持ちが常にあります。


でも、マヤはどうかな。僕の夢にずっとつきあわせてきているので。彼女自身の夢を実現するための時間やエネルギーを取ってしまってバランスが崩れそうな時もあって。そんな時はきついです」といいます。



マヤさんは言います。「レストランの開設や運営のためにはやらなければならないことが本当にたくさんあって、毎日毎日夜遅くまで働き続けました。さっさんはシェフで私はオフィスワークのほとんどすべてを請け負っています。チームを管理するのも初めてのこと。大変な仕事です」


「書類の仕事などもどうしてもマヤにやってもらうことになる。それが僕には本当に助かっているんです。ありがたい」とさっさん。


それぞれが補いあい協力しあって作り上げているレストランKAMADO。一緒にいるお二人の間にはシンクロしている雰囲気というような、阿吽の呼吸というような、しっかりとした信頼感と結びつきを感じます。喧嘩することはないのだろうかと、思わず聞いてしまいました。


「最初のころは私の仕事が遅いってさっさんに怒られたりしました」とマヤさん。


さっさんは言います。「右も左もわからなかった頃は、不安な気持ちがついマヤに向かって出たと思います。やっぱり楽な方にいってしまうというか……」


そんなバツの悪そうなさっさんをみて楽しそうに笑うマヤさん。まるで陰と陽のシンボルのようなお二人、その具現化がこのKAMADOなのかなという思いになります。


「まるで大きな家族の様」協力して働くスタッフ達

パルデス・ハナに誕生した大きな家族の家、KAMADO

「実はこの地域には日本人の方も結構住んでいて、皆さんよく召し上がりに来てくれるんですよ」とさっさん。イスラエルの田舎の町に日本人がそんなにいるのかと驚きですが、イスラエル人と結婚した日本人が何人かこの地域に住んでいらっしゃって活発なコミュニティーがあるそうなのです。


「よく来てくださる日本人の常連さんもいらっしゃいます。豚骨ラーメンとか、チキンラーメンを食べたいっておっしゃる方もいて、日本のおいしいラーメンの味を知っている日本人の皆さんに満足していただけるラーメンが作れているのか、不安になるときもあります」


確かに日本ではビーガンラーメンや肉不使用のラーメンはポピュラーではないでしょう。多くの日本人はラーメンと聞けば記憶によみがえる、高品質の日本のラーメンの味を持っていると思います。


出汁にはたくさんのシイタケも使われているそうです。動物由来の食材が一切使われていないビーガン・ラーメン。写真はかまどのフェイスブックより

「それでも、やっぱり僕たちが店を開けたのはここイスラエルのパルデス・ハナですから、ここでしか出せない味、僕たちだけが作ることのできるおいしいラーメンを目指したいと思います。もっともっとおいしいラーメンを作りたいし、もっともっとお客さんに満足してもらいたいです」と向上心がいっぱいのさっさん。


「こうやって、小さくてもお店にカウンター席を作れたのはよかったなって思ってるんです。お客さんの反応が見れるし、意見をいただけるので。寿司などに比べて、イスラエルではまだまだ知名度の低いラーメンですけれど、KAMADOで初めて食べたよ、おいしかったよってお客さんに言ってもらえることが本当にうれしいです。


今まではイベントやケータリングなど、お客さんもその場限りという感じがありました。でもお店を持つと、ここが拠点となっていろいろな人との輪が広がるんです。


週に1回は必ず食べに来てくれる人もいるし、毎日長い時間を一緒に過ごす従業員たち、皆が知り合いになり顔見知りになり、継続して会い続けて、なんだか大きな家族のような気持ちなんです。こういう体験は今までになかったです」


ビーガン・ラーメン以外にも、魚だしのフィッシュラーメンもおいしいかったです。生春巻きなどのサイドディッシュも人気

これからの二人の夢

開店から約1年が経とうとしているKAMADOですが、KAMADOの将来について伺ったところ、さっさんがこう言いました。


「将来については、僕はマヤの意見をまず聞いてみたいです。店を持つのは僕の夢で、マヤはそれにずっとつきあってきてくれている。今後、マヤはどんなふうにしたいと思っているのかなあと思って」


インタビューは日本語がメインで行われていて、マヤさんも理解できるようにとヘブライ語と英語も時々織り交ぜていましたがKAMADOはさっさんの夢だったということもあり、質問への答えはさっさんがメインでした。マヤさんにKAMADOの将来について質問してみました。


「KAMADOがもっと軌道に乗って落ち着いてきたら、マネージャーを雇って運営を任せて、日本への食文化ツアーを企画したいです。私も日本が大好きだし、日本の各地にイスラエル人を案内していろんな食べ物を食べてもらったり、食文化に関わるさっさんの友達をイスラエル人に紹介したいです」と、すでに次のビジネスの案を明確に持っているマヤさん。


さっさんは言います。「僕は今まで海外へあちこちに行ってさんざんやりたいことをやってきたので、もう遊んだりするのはやり切ったという気持ちなんです(笑)。外に出るとしても期間限定だし、単に自分だけが楽しむというのはもう十分ですね。ヨーロッパのイベントでお店を出して、今まで培ってきたケータリングやイベントの屋台のノウハウを若い人たちにも紹介するとか、そういうことにも興味があります。でも、マヤの家族とKAMADOがあるここイスラエルが中心です。ここが僕の必ず帰る場所だと思っています」


元は馬小屋だった建物をお店に改装

インタビューを終えて外に出ると、夕暮れが近づく「芸術家の馬小屋」には夕方のお客さんたちが集まってきていました。そんな中で、小さいながらも地元に馴染みイスラエル人にラーメンを提供するレストランKAMADOにも、グループや家族連れなど、一人、また一人とお客さんが吸い込まれていきます。


お香やクリスタルなどスピリチュアルグッズを売る個性的なお店も。なんとなくエキゾチックな香りが漂います

「型にはまらない新しい生き方を模索する人たちが集まる町」で二人が築き上げたユニークなレストランKAMADO。これがマヤさんとさっさん二人が見つけた新しい生き方、新しい家族のあり方なのかもしれないと思いました。


日が落ちてちょっと肌寒いここイスラエルでも、ライトアップされた「芸術家の馬小屋」の輝きはここに集まる人々の心を照らし、希望ある未来を象徴しているようでした。


かまどのフェイスブック:https://www.facebook.com/kamado.japanese.kitchen