Share

CULTURE

【私のイスラエル生活】第一回:加賀谷 葵さん(ダンス留学)

日イワーキングホリデー協定締結記念 リレー連載

by ISRAERU 編集部 |2023年08月22日

2023年は、日本とイスラエル両国の歴史に新たないちページが刻まれる年となりました。まず3月に、両国間にエルアル航空による初の直行便が就航。4月にはワーキングホリデー制度の導入に関する協定が合意に至り、18歳から30歳までの両国民は最大1年間、相手国に居住しながら働くことができるビザの取得が可能となりました。そこで当ウェブマガジンではこの協定合意を記念し、シリーズ「私のイスラエル生活」を連載します。


留学などで過去にイスラエルに住んでいた、または現在住んでいる方たちに、居住エリアや家賃や生活費、日常生活、違いを感じたことや困ったことなどリアルな生活についてお話しいただくもので、これからイスラエルへ渡航される方に役立つアドバイスやヒントなども共有いただきます。第一回目は、ダンサーの加賀谷 葵さんにお話を伺いました。


加賀谷葵さん

こんにちは、ダンサーの加賀谷葵です。2017年1月から2019年12月まで、エルサレムとテルアビブで1年半ずつ、合計3年をイスラエルで過ごしました。今は秋田を拠点に、県内外、ときどき海外でも踊ったりする生活をしています。これからわたしがイスラエルでダンス活動をしていた3年間の記憶を辿ってみなさんにシェアしてみたいと思います。イスラエルという国に興味のある方々、これからイスラエルに行きたいと考えている方々のお役に立てたら嬉しいです。それではどうぞ〜!


イスラエルへ渡航するまでの経緯

イスラエルダンスとの出会い



イスラエルに興味をもったのは、18歳のとき。友人の結婚式に出席するためにNYへ行ったことがきっかけでした。ミュージカルやダンスをたくさん観て歩いたのですが、その中でもわたしが一番感動したのがGalim Dance Companyの作品でした。見たことのないようなヘンテコかわいい不思議な動きの連続、高い技術に裏づけされてはいるけれど決して技術を前面に主張してはこない絶妙なバランス感…。とにかく最高でした。


「あの独特な動き・作風はどうやって生まれたのだろう?」帰国後、あれこれ調べてみたところ、カンパニーの創立者Andrea Millerが過去にイスラエルのBatsheva Dance Companyで活動していたことを発見。そこからイスラエルのダンスについてどんどん調べていくうちに、ああ、わたしはこの国のダンスシーンが好きだ〜!とイスラエルの虜になってしまいました。


加賀谷さんがNYで観て衝撃を受けたGalim Dance Companyの作品

文化庁による新進芸術家海外研修員制度



それから8年後、26歳のときにイスラエルに行くことになったのですが、8年間かけてイスラエルに行く準備をコツコツ進めていたのかというとそういうわけでもなく…。わたしは8歳からバレエを、11歳からモダンダンスを続けていたのですが、ものすごく体が硬いうえにとっても不器用だったので、プロのダンサーになろうとか、イスラエルに行ってダンスを学ぼう、などと考えたこともありませんでした。ただただ踊ることが好きで没頭していただけだったし、ただただYoutubeで「イスラエル コンテンポラリーダンス」と検索して見て楽しんでいただけだったのでした(笑)


大学では障害児教育を学び、学校の先生になろうと思っていたのですが、卒業の段階になって「やっぱり踊りに真剣に向き合いたい」という気持ちが芽生えてしまい…家族に心配されつつも、卒業後は小学校の臨時講師として働きながら踊る毎日でした。


踊り続けた先に何があるのかもわからず、ただただそんな生活を続けた3年目、25歳のとき。突然、その年に参加したすべての全国コンクールで3位、4位、5位を受賞したのです。それまでそんな上位の賞をいただいたことが一度もなかったので、一体何が起きたのかと呆然としていたところ、友人が「葵ちゃん、海外研修員受けてみなよ」と声をかけてくれました。



新進芸術家海外研修員制度”とは、文化庁が美術、音楽、舞踊、演劇、舞台美術等、映画、メディア芸術の各分野における新進芸術家たちに海外での実践的な研修の機会を提供してくれるというもの。それなりの経歴・実績が無ければ受かるのは難しいし、すさまじい高倍率の狭き門と聞いていたので、わたしには無理無理〜と返したのですが、それに対して友人は「どうせ落ちるんだったら、ダメ元で受けたらいいじゃん」と(笑)最初はなんだそりゃ〜と思いましたが、なんだかだんだん勇気が湧いてきて「そういえばわたしの人生でこれ以上の成績をもらえることなどないかもしれない…!憧れのイスラエルにいけるチャンスかも…?!ダメ元で受けちゃえ〜!」と勢いで受けてみたところ、なんとなんと合格をいただいてしまいました。本当にびっくりするような奇跡の連続…。友人のあの一言には心から感謝です。


第一印象のイスラエル



イスラエルへ事前に下見に行ったわけでもなく、そもそも一人で海外に行くのも初めてだったわたくし。どうなることかと思いましたが、あれこれ調べ準備した情報を頼りに無事イスラエルに到着することができました。到着してすぐ、重いスーツケースを抱えて街の階段を登っていたら、近くにいた人が近寄ってきて運ぶのを手伝ってくれました。道に迷っていると誰かが必ず声をかけてくれました。憧れの気持ちと勢いでイスラエルに行ってしまったわたしの語学力といえば、英語は高校英語レベル、ヘブライ語(イスラエルの公用語)はほぼ喋れず…。それでもイスラエルの人たちは、わたしのカタコト英語を辛抱強く聞いて、親切にしてくれました。あったかくて優しい人たち、これがイスラエルの最初の印象でした。



住まいや家賃、生活費のこと

住んでいたエリア(エルサレムとテルアビブ)



イスラエル生活最初の1年半は、わたしの通っていたダンス学校があるエルサレムで暮らしました。エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地ということもあり、日々世界中からたくさんの人々が訪れる場所。美しい石畳の街にはお土産屋さんがたくさん並んでいました。


エルサレムの街並み

わたしの記憶の中のエルサレムはピーンと空気が張り詰めているような、そんなイメージが残っています。1年半エルサレムで暮らし、その後の1年半は賑やかな若者の街テルアビブで暮らしていたのですが、たまにエルサレムに用事があって出かけていくと、バスから降りた瞬間から急に気持ちが浄化されてゆくような不思議な感覚がありました。


嘆きの壁の前でお祈りをする正統派ユダヤ教徒

エルサレムでわたしの住んでいたエリアの近くには、正統派のユダヤ教徒の方々が住んでおり、夏でも黒いスーツに黒い帽子を身につけた姿には初めびっくりしましたが、気づけばそれも当たり前の光景になりました。


テルアビブのビーチ

テルアビブは若者の街、地中海に面した美しいリゾート地です。夏は暑くて、湿気もあるので、わたしのように髪の毛量が多い人は、髪をおろしていると湿気で髪が爆発します(笑)様々なダンスを学べるスタジオやワークショップ、ダンスパフォーマンスもしょっちゅう行われていて、たくさんのダンサーが住んでいます。街には犬の散歩をしている人や日向ぼっこをしている人たち、ビーチには泳いだり砂浜に寝転んでビールを飲んでいる人たち。みんなとても陽気。平和で明るい雰囲気です。


テルアビブでのプリム祭の光景

イスラエルの家の特徴



イスラエルの家は石で作られています。床も壁も硬い石造り(タイル)で、寝っ転がるとひんやり冷たくて気持ちいい♪ 夏の暑い日にはよく床に寝転んでいました(笑)お掃除の時は、水と洗剤を混ぜたものを床にドバーッと流して床用ワイパーのようなもので豪快に掃除します。木造のフローリングの家にしか住んだことのない人にとっては、なかなか衝撃的なお掃除風景かもしれません。


加賀谷さんのエルサレムの住まい

実際の家賃や生活費



家賃はとても高くて、しかもどんどん値上がりしていたので安い家を探すのに苦労しました。ルームメイトが1人いる場合でも安くて2,000シェケル(約8万円)、1人暮らしをしたければ最低3,500シェケル(約14万円)くらいはかかるのではないかなと思います。一度、ルームメイトが5人いる家賃1,300シェケル(約5万2千円)くらいの家に住んだことがありましたが、安いだけあってゴキブリが大量に出たり、エアコンが付いてなかったり、あまり治安の良いエリアじゃなかったり…。何を一番に優先させるのかは人それぞれだとは思いますが、少しお金をかけてでも安全に健康的に暮らせる家に住むのは大事なことかなと思います。


加賀谷さんのエルサレムの住まい

生活費に関しては、人によって全然違うのかなと思います。外食がとても高いので、レストランでランチを食べても、日本だと1,000〜1,500円くらいで済むところ、イスラエルでは気づけば70〜100シェケル(約2,400円〜4,000円)くらいかかってしまいます。ただ、イスラエルのファストフードのファラフェルサンドなどは道端で10シェケル(約400円)くらいで買えますし、市場で安くておいしい野菜をたくさん買ってきて自炊すればかなり食費は抑えられるかなと。具体的な値段は忘れてしまいましたが、わたしが使う程度の光熱費は安かったと思います。(編集部注:現在の家賃や物価はさらに上昇傾向にあります)


ファラフェルサンド

賃貸物件の探し方



振り返ってみると、イスラエル生活でなんと10回も引越しをしていたのですが(笑)、毎回いろいろな方法で住む家を見つけ出していました。


わたしは主にsublet(旅行や一時帰国などで一定期間家を空けてしまう人のお部屋を、その間借りること)を利用していました。普通のアパートを契約するには「1年契約」など契約期間が決まっていることも多く、1年以上イスラエルに住むかどうかわからなかった当時のわたしにとっては契約をするのが難しかったり、一から家具を探して部屋づくりをするのが大変そうということもあり、すでに家具が付いている部屋を短期間貸してもらえるsubletが滞在スタイルに合っていたからです。


友人に家を紹介してもらうこともありましたが、主にfacebookページの「Sublet Jerusalem」「Tel Aviv Sublet」などを活用していました。お部屋の写真や家賃を投稿してくれているので、そこから気に入った条件の部屋をピックアップして、部屋の持ち主に直接連絡を入れ、実際に見にいってから、住むかどうかを決めていました。そのほかにも、家主が旅行に行っている間、猫や犬のお世話をする代わりに無料で家に住ませてもらったり、Airbnbを活用して家主に連絡を取り値段交渉をして借りたこともありました。



イスラエルでの日常生活

オン・オフ別 1日の過ごし方



オンの日:わたしが通っていたVertigo Dance Companyのダンス学校は、日曜日〜木曜日まで毎日クラスがありました。9:30から朝のクラスがスタートし、夕方までだいたい3つか4つのクラスを受ける毎日。クラスとクラスの合間の15分〜30分で、昼ご飯を食べたり、休憩したりします。レッスン後はそのまま家に帰って休むこともあれば、エルサレムからバスで約1時間くらいかけてテルアビブまで行き、パフォーマンスを観たり、友人とご飯を食べたりしていました。イスラエル人ダンサーの多くはレッスン後に、バーやレストランでアルバイトをしているようでした。


オフの日:イスラエルの平日は日曜〜木曜日、休日は金曜日と土曜日です。特に、金曜日の日没から土曜日の日没までのことを「シャバット(安息日)」と言い、ユダヤ教の決まりでその間は労働をしてはいけないことになっています。シャバット中は、ユダヤ系の交通機関は全て止まってしまいますし、市場やスーパーもやっていません。エルサレムは正統派のユダヤ教徒が多く住んでいるので、車もほとんど通らず、この世の終わりかのような静けさでした(世俗派の多いテルアビブでは、シャバット中もオープンしているお店やレストラン、バーも多い)。金曜日の夜、シャバットのはじまりは家族で集まってご飯を食べる習慣があり、よくユダヤ人家族のディナーに誘ってもらいご飯をご馳走になっていました。シャバット中は、お散歩をしたり、テルアビブのビーチやバーに行ったり、のんびり過ごすことが多かったように思います。(編集部注:2021年頃から都市部や空港発着便などは、シャバット間も限定的なダイヤでバスや電車を運行させるようになっています)


シャクショカやピクルス

普段の食事事情



わたしはダンサーたちとの関わりが多かったので、ダンサー以外の人たちの食生活はあまりよく知らないのですが…。イスラエルにはベジタリアンやビーガンの人が多く、野菜や豆中心の食生活の人が多かった印象です。トマトを細かく刻んで煮込んだものに卵を落とした「シャクシュカ」。トマト、パプリカ、キュウリ、玉ねぎ等を細かく切り、オリーブオイルとレモン汁であえたサラダ。ひよこ豆のコロッケ「ファラフェル」。ひよこ豆をペースト状にした「フムス」や、各家に1瓶は必ずある「タヒーナ(ごまペースト)」を野菜やパンにつけて食べたり。イスラエルの人々は、パンもパスタもお米も、クスクスやキヌアなどの穀物もなんでも食べます。イスラエルの料理はおいしくて大好きだったので良く食べましたし、スーパーでお米や味噌、豆腐、乾燥わかめ等を買ってきて鍋でご飯を炊き、味噌汁を作って食べたりもしていました。


スーパーマーケット

買い物をする場所



食料は、市場(エルサレムの「マハネ・イェフダ市場」、テルアビブの「カルメルマーケット」など)やスーパーマーケットで、日用品はスーパーで買っていました。洋服はショッピングモールで買えますが、わたしはもらったり、拾った服を着たりしていました(笑)イスラエルには、いらなくなった服や雑貨、本、家具などを街角のベンチなどに置いておくと、誰かが持っていく、というようなリサイクル文化があり、そのおかげでだいぶ助けられました。


イスラエルのリサイクル文化


日本との違いを感じたことや困ったこと


シャバット(安息日):休日が金土であることと、シャバット(金曜日の日没〜土曜日の日没)に労働をしてはいけないというユダヤ教の慣習にはなかなか慣れませんでした。エルサレムではお店もやっていないし、バスも動かないので、休日をどうやって過ごせばいいんだ?!と戸惑いました。最初は、シャバット前に焦ってたくさん食料や日用品を買い込んだりしてしまっていましたが、だんだん慣れてくると、のんびりお散歩したり、友人の車に乗って出かけたり、シャバット中の楽しみ方を見つけていったように思います。


金曜日の夕方にアパートの排水が逆流して、部屋が水浸しになってしまったことがありました。すぐに大家さんに電話したのですが、大家さんはシャバット中に労働ができないからと電話にも出てくれず、結局シャバットが明けるまで部屋は水浸しのまま…。わたしは友達の家に避難してシャバットを過ごし、シャバットが明けてからやっと大家さんに来てもらいました。正直「緊急事態のときくらい助けにきてくれてもいいのでは?!」と思いましたが、そういう問題じゃないのだろうなと。なかなか理解するのは難しいけれど、イスラエルで暮らすってこういうことなのだなと思った出来事でした。


バスで移動する若い兵士

兵役:イスラエルには男女ともに兵役が義務づけられています。ダンス学校で一緒に踊っていたわたしよりも随分若い子たちが、徴兵されて学校に来れなくなってしまうのはとても悲しかったです…。兵士は退役するまで、自己責任で銃を監理する必要があるため、男女関係なく街では銃を持った若い兵士をたくさん見かけました。


テロ:わたしが住んでいた3年間の中でも、何度か街でテロが起きたことがありました。一度は、参加する予定だったダンス公演の会場が、テロが起きたエリアに近かったため、公演が中止になってしまったこともありました。ただ、どのテロも、実際に見たわけではなく、ニュースで報道を見ただけだったので正直実感はあまりもてませんでした。


家族を大切にする:イスラエルの人たちは家族の絆が本当に強いなあと感じます。結婚して家庭をもち両親と一緒に暮らしていない場合でも、自分の家族を連れていくなどして毎週末実家に帰り食事をする人も多いように思います。日本だと、どちらかというと両親に会いにいくことよりも仕事や友人、恋人を優先することの方が多いと思うので、イスラエルの家族の関係性には驚きました。


街角に置かれているゴミを入れるコンテナ

ゴミ捨て:日本では、ゴミの分別をしなくていい県などないのでは?イスラエルではこのようなコンテナが道端にあって、なんでもかんでもボンボン投げ入れます…。


米などが置かれたスーパーの棚

ヘブライ語の読み書き:お店の看板、商品のパッケージの説明などはどれもヘブライ語で書かれており、英語が書かれていないことも多いので、ヘブライ語が読めないと困ることが結構ありました。そこで、わたしはスーパーでもどこでもgoogle翻訳を使ってなんでもかんでも翻訳してなんとか乗り切っていました。バスの中のアナウンスも全部ヘブライ語ですし、運転手さんも英語が話せない場合が多いので、初めての場所に行くときはgoogleマップを運転手さんに見せて「ここに行きたい!」と伝えて、目的地に着いたら教えたもらうなどして移動していました。最初はどうなることかと思いましたが、google翻訳とgoogleマップのおかげでなんとかなりました。googleありがとう!


バス内の電光掲示板

公共交通機関:日本では、バス停で待ってるだけでバスは停まってくれますが、イスラエルでは”人差し指を高く掲げて運転手さんにアピール”しなければバスは停まってくれません(笑)イスラエルで初めてバスに乗ろうとしたとき、バスが停まってくれず、どうしたらいいのかとても困りました。


それから、イスラエルではバスが時刻表通りに来ないのはよくあることです。ほとんどのバス停には電子掲示板のようなものがあり、あと何分で何番のバスが来るということを表示してくれますし、バスが今どこにいるか教えてくれるスマホアプリもあるのでそういうものにはとても助けられました。ただ、たまに時刻表に載っていたはずのバスが永遠にこないことがあります…。バスが消えるんです…。最初はすごく焦りましたが、だんだん「あ、またか〜」と受け入れられるようになっていきますのでご安心を(笑)いろいろ活用して目的地にたどり着きましょう〜(編集部注:バスがルート上で故障などの理由で運行を継続できなくなると起こる現象だが、イスラエルではその頻度が高い)


バス停


ワーホリビザで渡航する方へメッセージ

わたしが、最初に「イスラエルに行きたい!」と家族や周りの人に話したとき、みんなに驚かれ、すごく心配されました。「治安は大丈夫なの?」「どうしてそんな危ないところへ…」「アメリカやヨーロッパじゃダメなの?」などなど。多くの日本人が抱くイスラエルに対するイメージが、テロ、戦争、怖いところ、という感じなのだと思います。


もちろん危険が全くないとは言い切れませんが、イスラエルの実際の日常生活はとても穏やかです。わたしがイスラエルにいる間に、遊びに来てくれた友人たちは、みんなイスラエルが大好きになって帰って行きました。イスラエルは、まだ建国されてから75年ととても若い国です。新しいことを生み出そうとする溢れるエネルギーをぜひ感じてみてほしいです。