イスラエルの歴史的人物
イスラエルでは、今日に至るまで建国のために身を捧げた様々な偉人が今でも国民に愛され、その功績が讃えられています。
初代首相のダビッド・ベングリオンや、ヘブライ語を現代社会に生き返らせたエリエゼル・ベン・イェフダ、建国の父テオドール・ヘルツェルなど、なんとなく皆さんの耳に聞き覚えのある人物もいるかもしれません。
今回は数ある偉人の中から、ハンナ・セネシュという、ハンガリーで生まれた1人のユダヤ人女性を皆さんにご紹介したいと思います。
もし存命していたら、彼女は今年で100歳になっていました。
彼女は23歳の若さで命を落としましたが、彼女の書いた詩は今日までイスラエルで歌われ続け、今でも戦没者記念日などで最もよく歌われる歌ナンバーワンの座を占めています。
ハンナ・セネシュの生涯
幼いころから文学的な才能を発揮していたと言われるハンナですが、16歳の時にユダヤ人であるという理由で受けた差別が、彼女をシオニズムに向かわせたとも言われています。第2次世界大戦が始まった1939年には、イギリス委任統治領パレスチナ(後のイスラエル)に移住し、1944年には、戦況がひどくなったヨーロッパで危機的状況に置かれているユダヤ人を救出するための特殊作戦執行部の隊員として、パラシュートでユーゴスラビアに降り立ったのでした。
その頃すでにナチス占領下になっていたハンガリーで、ハンナはハンガリー警備兵により逮捕され、筆舌に尽くし難い拷問を受けます。それでも秘密を漏洩することもなく、任務遂行にかたくなまでに忠実で、言葉や文章や詩を使って仲間の士気をあげるために尽くし、最後の日まで日記を書き続けたのです。
最終的にハンナはドイツ軍によって銃殺されました。享年23歳という若さでした。
ハンナ・セネシュの作品
彼女はハンガリー語とヘブライ語で詩を書きましたが、一番の代表作はなんと言ってもヘブライ語で書かれた「カイサリアへの歩み」という詩です。
これは、彼女がカイサリアという海辺の町のすぐ隣に作られたキブツ(イスラエル建国のためにシオニストたちがつくった農業を中心とする集団生活の基盤)で暮らしていた頃に書かれたものだといわれています。
「カイサリアへの歩み」
ハンナ・セネシュ
海と砂
水のせせらぎ
空の稲妻
人の祈りが
どうか神様
決して絶えることのないように
彼女の生きざまのように短く美しいこの詩は、彼女の死後、1945年に発表され、ダビッド・ザハヴィによってメロディーがつけられました。多くの歌手によって歌われ、現在でも、戦没者記念行事などでは繰り返し演奏されています。
ハンナ・セネシュ誕生100周年記念行事
そんな彼女の誕生100周年を記念し、2021年7月には、ハンガリー、スロベニア、クロアチア、英国、イスラエルの5カ国が合同で軍事式典を執り行いました。その名も「空の稲妻作戦」です。
まず、ハンナがパラシュートで降下した場所のすぐ近くに、イスラエル空軍落下傘部隊から8名と、各国の落下傘部隊が約1万2千フィートの高さから降下しました。
その後、落下傘部隊100名が千フィートの高さから降下し、その後の式典ではもちろん「カイサリアへの歩み」が演奏され歌われたそうです。
ハンナが決死の思いで降下し、最終的に殺されてしまったその空の下、5カ国が合同で軍事式典をあげられることができるこの平和の様子を、ハンナはどこからか見ているだろうかと思わずにはいられません。
悲劇を繰り返さないために
この様な彼女の生きざまは、1988年にアメリカでも「Hanna’s War」という名で映画化されました。またイスラエルでは、彼女が生活したキブツ、スドット・ヤムに「ハンナ・ハウス」という名の博物館があり、また、彼女のお墓はエルサレムのヘルツェルの丘にあり、お参りに行くこともできます。
彼女の人生は短く悲劇的なものではありましたが、彼女の行いは忘れられることなく後世に受け継がれ、彼女の言葉は今でも人々の心の中で生きているのです。
彼女は確かに「英雄」ですが、この様な悲劇が二度と繰り返されないことを願ってやみません。
「人の祈りが、どうか神様、決して絶えることのないように」]