街中にポエムを出現させるイスラエルのアーティスト、ニツァン・ミンツ。前編では彼女のこれまでのストーリーについて触れました。後編では彼女にとってアートとは何を意味するのか、深掘りしていきたいと思います。
ニツァン・ミンツ(Nitzan Mintz)
イスラエル、テルアビブ出身のアーティスト。言葉と素材のコラージュで作品を作っている。独学でアートを学び、詩とストリートアートを融合させたそのユニークなスタイルで頭角を表す。公共空間の投棄物、産業資材、ペンキ、文字型紙など、様々なものを作品の素材として活用。ポエム&ビジュアルアートという独特のアプローチが世界的に認められ、これまでにニューヨーク、マイアミ、モントリオール、ロンドン、パリ、プラハ、ウィーン、ベルリンなど、世界各地の様々なアートスペースやイベントで作品を発表している。
―――独自な視点から制作活動をされているニツァンさんですが、ニツァンさんにとってアートとはどういった意味を持つのでしょうか?
私にとってのアートは、神との出会い、あるいは目に見えない宇宙との出会いです。私にとってのアートとは、私たちの世界を俯瞰的に見る能力であり、私たちの世界を内側から見る能力でもあります。実際、アートは人生そのものであり、私たちが生きるこの世界について、また、目には見えないけれども存在する世界について伝えるための方法なのです。感情の世界、感覚の世界、想像力の世界。これらはすべて存在する世界ですが、私たちはそれらを目にすることはありません。
―――確かに日本の詫び錆びや幽玄といった概念も、目に見えるもの以上を含む美的概念です。存在という意味では、物理的な空間だけに捉われないのが本来のアートであるとも言えますね。ニツァンさんの創作活動はどのようなものですか?例えば、最初のステップは何で、どのようにアイデアを作品にまで発展させるのでしょうか?
これはとても難しい質問です。ある時は、私が書いた詩があり、それを視覚的に引き出すことが重要なのですが、ある時は、私が特別に書いたり、既存の詩に合わせたりする素材や壁があり、その場所や素材と詩の間に興味深いコラージュが生まれるのです。多くの場合、私は自分の作品の美学に没頭し、創造、構築、破壊の長いプロセスを経て、すべての混沌の中から突然「素晴らしい、完璧だ」と言える段階が現れます。しかし、このような段階には、たいてい多くの汗と血が流れているのです。私が作る作品は、破壊と創造の本能の間にある自己闘争の産物であると言えます。
―――イノベーションの世界でもディスラプティブイノベーションなんて言うように、革新的なモノの創造には破壊は欠かせないものと言えます。ニツァンさんは詩の中で「志半ばで挫折する」ことを扱っていますが、ニツァンさんの人生や創作における中で失敗や挫折と、どのように向き合っているのでしょうか。
自分がいかに失敗と闘っているか、何度も何度も再発見します。大抵の場合、失敗とは自分の中に存在するもので、他の人の目には映らないのです。周りの人たちは、私は年齢の割に才能がある、成功していると言ってくれますが、私はいつも、自分は十分なことをしていない、自分の人生で何も達成していない、何の希望もないと思っています。しかし一方で、奈落の底に落ちるたびに、自責の念にかられるたびに、失敗するたびに、私は再挑戦します。私が自分の中で大切にしていることは、破壊的な本能や失敗があってもあきらめない、粘り強い人間であり続けることです。私は仕事で長い距離を走ってきましたが、一生かけて目指していることを実感できる喜びがあります。どんなに人生をこじらせても、どんなに人から「NO」と言われても、ある種の楽観主義で続けていく、あきらめないからこそ、私はギャンブルのできる馬なのです。
―――多くの起業家や発明家、そしてアーティストが述べるように、成功するまで続けるというのが成功の要であり、創作活動における最も大切な点かもしれません。ご自身の制作活動の中で、最もクリエイティビティを感じる特定の瞬間はありますか?また、クリエイティビティを加速させるためのルーティンワークはありますか?
はい、私には人工的にインスピレーションを与えてくれるものがあります。それは音楽です。私は音楽のアーカイブを持っていて、それを使って心の深海に潜り、真珠を探すことができます。音楽は、この潜水における私の酸素供給装置のようなものです。なので私の一週間のうちでとても重要な作業は、インスピレーションの指揮者である音楽を探すことです。ジャズのライブでは、書き出しがあることが多いのですが、いつも忘れてしまって、ライブに行く回数自体は少ないです。ヘッドホンをして音楽の泡の中に入り、そこで完全に一人になるんです。私と神と創造的な人間のエネルギーだけが存在する時間です。
―――言葉は常に音を持っているので、詩を書く上で音楽がインスピレーションになるというのは自然な流れだと思います。私自身は共感覚を持って育ったので、常に音楽は視覚的であり、そういった点から音楽が自分の視覚表現に影響を与えています。ニツァンさんは創作を通して、どのような感情を抱きますか?
創造するとき、私はあらゆる強度で世界を感じています。怒り、計り知れない愛、生きる者と死ぬ者すべてへの思いやり、最高の幸福、想像を絶する悲しみ、自分の存在のむなしさと大切さ、神への愛と計り知れない希望、人生は冒険でありまだ何も味わっていないという感覚、幼少期のトラウマなど様々な世界です。書くことは、いつも私を何十年も前の母親の胎内に連れて行ってくれます。書くこと、創ることは、私に本当の自分について、私の過去と未来についての知識をもたらしてくれます。
ニツァンさんの話はとても素直であり正直であり、包み隠さず自分を曝け出してしまいます。私たちは恥ずかしいという気持ちから、失敗談やネガティブな感情を無意識のうちに隠してしまいます。しかし、そういった感情を含めて体験したことをありのまま話す彼女の言葉は、私たちに自分自身を受け入れる勇気を与えてくれるのではないでしょうか?