Share

Art

どこでもない場所から送るポストカード。画家、マヤ・ゴールドのスタジオを訪れて

by Art Source |2021年10月04日

刺繍により、花瓶に生けられたピンクの花々が描かれています。

装飾的なラグや真新しいタイルを連想させる白黒の反復模様の上で、肘に重心をかけ、足を曲げてくつろいでいる赤いワンピース型の水着を着た女性。女性は顔をそむけているため、彼女の表情を読み取ることはできません。彼女の黒髪は、単色の背景に溶け込んでいます。


また別の絵では、このミステリアスな女性はより遠方から描かれています。彼女が身にまとうのは、異なる時代を彷彿とさせる青いピンナップの水着。軽い、暗色の筆跡が目元に繊細さを演出し、優しく目が閉じられていることが伝わり、見ている者に親しみを感じさせます。もしかすると、彼女は太陽の元眠り込んでいる、または、白日夢を見ているのかもしれません。


マヤ・ゴールドの「Marrakech」という作品です。水色の水着を着た女性が描かれています。
マヤ・ゴールド, Marrakech, 2017

一方、また別の絵画で彼女は、さらに高く、また遠方の視点から描かれています。彼女は、画家を見失ってしまったようにも見えます。全て”Marrakech”と名付けられた、この非常に写実的な絵画を前のめりで覗き込み、細部の情報をつかもうとし、どこで、そしていつ、この絵が描かれ、何を伝えようとしているのかオーディエンスは理解しようと試みるでしょう。実は、この女性は、芸術界では度々登場しています。セザンヌからマチス、ピカソに渡るまで、この女性を水着やヌードで描いてきました。また同時に、マラケシュの遊泳者は歴史に縛られません。彼女は誰でもなく、誰のものでもありません。彼女は彼女なのです。


マヤ・ゴールドの「Marrakech」という作品です。水色の水着を着た女性が遠方から描かれています。
マヤ・ゴールド, Marrakech, 2017

これは、作者であるイスラエル出身の画家、マヤ・ゴールドにも当てはまります。現地の芸術界の敬称で呼ばれている彼女は、型にはまらない芸術活動、作品を生み出します。15年間の芸術活動で、彼女は数知れないテーマや配色を施した作品を作ってきました。彼女の生み出す作品すべてが、新しい挑戦であり、過去の手法やトレードマークに捉われません。


ゴールドは、エルサレムのベツァレル美術デザイン学院の卒業生兼講師であり、イスラエルに限らず、世界各国で作品を展示してきました。テルアビブに住む彼女は、ベルギーのブリュッセルでも制作活動を行なっています。


筆者が彼女のスタジオを訪問したの日は雨。数時間話し込んでいるうちに、一瞬にして雨は止み、太陽が顔を出し、広く白い部屋を照らしました。彼女の作品に秘められた謎を解明しようとするうちに、マラケシュシリーズのような作品は、まるで正体不明の場所から送られてきた奇妙なメモやポストカードのように感じたと彼女に伝えました。「これらの作品は、本当に私がどこからともなく送るポストカードなんです。」と彼女は訴えます。「私の作品は、技法、サイズ、創作に使用する素材、全てにおいて異なります。前回の展示会では、木材に油絵を描き、それ以前はキャンバスに描いていました。最近では、突然刺繍を用い始めました。素材1つにしても、私の作品に共通するものはありません。唯一共通点があるとしたら、それはどれも明確な所在地がないことです。私は今までに一度も場所を描いたことがありません。」と彼女は言います。


なぜ彼女の作品には明確な場所が存在しないのでしょうか。「それは、私の空間認識能力が欠けていることに関係するのかもしれません。」ゴールドは笑いながら語ります。「私は今まで一度も地平線や風景画を描くことに興味を持ってきませんでした。絵画は限りなく写実的にものを描くという考え方に、私は惹かれません。代わりに、誰かと一致する、受取人が私の作品にはとても顕著に存在しています。しかし、描かれる空間・場所は1つも一致しないのです。


マヤ・ゴールドの「Lily」という作品です。鳥の視点から一人の女性が描かれています。
マヤ・ゴールド, Lily, 2018

鳥の目線

ゴールドはワクワクしながら、次々と湧き出る新しいアイデアを作品に反映させていくかもしれません。しかし、彼女の作品には、ある共通点があります。それは、高さと遠い視点から描かれているという点です。一見驚くほど現実的であり、また非現実的にも見える彼女の作品は、理解するのに時間を要します。全ての要素を把握し、ストーリーを掴むためには、2回、3回といった観察が必要になります。


ゴールドの作品の登場人物は、非現実的な世界に描かれる一方、行動は現実的で世俗的でもあります。緻密に再現されたアスファルトを背景に描かれた葉っぱや傘は、遠方から生命力を表現しているように見えます。「私が傍観者との間に作る隔たりは、意味のあるものです。私は、傍観者に私自身の解釈に沿ってほしいと思ってはいません。」と彼女は述べます。「もっと広い視野から見てほしいのです。本当は鳥の視点ではなく、幽霊の視点かもしれないし、賢者の視点かもしれません。ましてや、生きた人ではないかもしれない。私の未来かもしれないのです。


この手法が閲覧者に威圧感と疎外感を感じさせると言われると、彼女は「私の作品は、閲覧者を監督でもある傍観者にすることができる。彼らは、絵画の部外者でありながら、一員ともなるのです。私自身の世界との関わり方と類似するものがあると考えています。」と黙想します。


マヤ・ゴールドの「Untitled」という作品です。白い背景に一羽の鳥が描かれています。
マヤ・ゴールド, Untitled, 2019

果てしない努力

壁に立てかけられた完成間際の作品に目を向けると、今までの彼女の作品とはかけ離れたものに見えました。現在開催されている「Threads」という展示会では、以前の手法を捨て、刺繍を用いています。巨大な白いキャンバス上に大きく、上品に描かれた花々は、時間をかけて繊細に作られた革新的な作品です。「これは私が最近行なったことの中で最も奇妙で、完全に想定外なものでした。」と彼女は笑顔で吐露します。「この手法に辿り着いたきっかけはとても面白いんです。部屋がとても眩しかったので、アパートにカーテンを取り付けたいと思いました。しかし、不器用な私は、絵を描く以外のことに手を使えません。その場には手を貸してくれる人もいませんでした。でも、最終的には針と糸を手にして裁縫を始めていました。すると突然、とてもその作業を楽しんでいることに気づいたんです。絵を描き始めた頃に少し似たものを感じました。こう感じるとは、全く思いもしませんでした。


新しい始まりはとても開放感に溢れていたとゴールドは言います。「これが私が刺繍にのめり込んだきっかけです。刺繍がどのような歴史を持っていて、現在、どのような発展を遂げているかに興味はありません。私は、絶対に何とも、そして誰とも類似しないのです。私の中で何か燃えたぎるものがあったので、すぐに紙を手に取り、刺繍を始めました。初めは葉っぱの刺繍をしただけでしたが、数日後にはキャンバスに空を描き、そこに刺繍を施しました。とても素朴な作品でしたが、自分が何をしているのかを理解した瞬間に変化が訪れました。私はいつも自分が何をしているのか、実際に行いながら理解します。努力と失敗の積み重ねです。


未知の領域に踏み込み、楽しさを感じた彼女ですが、刺繍で作品を制作することは最後だと信じていると言います。「これらの作品は絵画の代わりです。過程、全ての画素、手順を明らかにします。とても緻密で気の遠くなる作業でした。


筆者がこの新規手法への挑戦に驚きを示した際、彼女は「過程が見えない人には、私が刺繍を用いたことを不思議に思うでしょう。しかし、これは変化を続ける人が4年の制作過程を経て得た結果です。これは過程に過ぎません。」と言いました。


マヤ・ゴールドの「December」という作品です。黒を基調として描かれています。
マヤ・ゴールド, December, 2019

私の親愛なる絵

確かにゴールドの作品において、漸進的な変化は注目すべき点です。彼女の作品は、計算し尽くされたものに感じますが、実際には、多くの場合、辛い労働と苛立ちの結果なのです。彼女が急いで見せてくれた「Forest in the Rain」という作品は、その一例です。膝に乗せながら、彼女は「これは最終的な結果なのですが、どれだけの失敗が隠されているか伝えきれません。とてつもない開放感と共に、約50枚もの作品を捨てました」。彼女にとって密集したイトスギの木々の中に雨滴が落ちている情景を表した、複雑な幾何学模様の絵画は、我慢強さの訓練だったのです。


マヤ・ゴールドの「Forest in the Rain」という作品です。無数の雨滴と森が描かれています。
マヤ・ゴールド, Forest in the Rain, 2016

均一に見せるためには、遠近法や水平線を無くすことが重要です。背景に使用する素材、例えば、空をいかに前景に持ってくるか模索することにとてもワクワクしました。その週にスタジオを訪れた人々に、私が何を伝えたいか理解して貰えなかった点は、もどかしかったです。誰も雨滴や森が描かれているとは気づきませんでした。


後にゴールドは、鹿をスケッチに加えました。「私はこれを新たな作品にしようと決め、”My Deer Painting”(私の鹿の絵 / 私の親愛なる絵)という遊び心のある名前をつけました。この作品は、私が今まで制作した絵画の中で一番写実的です。私の未来像はその瞬間、完成しました。展示会に足を運んだ人々全員が、雨の降る森であると理解したとは断言できません。しかし、私の中では、やっと明白になったのです。この作品は、私が一番愛する作品の一つであり、制作がとても大変だった作品でもあります。


マヤ・ゴールドの「My Deer Painting」という作品です。薄暗い背景の中、一匹の鹿が描かれています。
マヤ・ゴールド, My Deer Painting, 2013

芸術作品を生み出すことがこれほど難しいのに、彼女はなぜ続けるのでしょうか。「魅力的で難しいけれど、私は苦労は実を結ぶと信じています。15年間スタジオで働いているのが、40年に感じるくらい、とても熱心に制作活動に取り組んできました。作品を作るに当たって、たまにはさもしいことをすることもあります。それでも、私はとても幸せなんです。


筆者が去ろうとした時、スタジオの窓から雨が降っているのが見えました。ゴールドは、雨が止むまでここで待てばいいと私に言います。私たちは、もうしばらく、ステンドグラスの窓のように見える彼女の油絵を眺めました。ゴールドが、どのような技法を用いてそれぞれの作品を作成したか説明している間、私はこれらの作品もポストカードの裏に記載されている作品のようだと感じました。彼女はその一つに描かれた緑のオウムを指差し、持っている全てのものを失い、のちに愛するオウムまで失う女性を描いたFlaubertによる作品に登場するオウムから、ルル(Lulu)と名付けた、と教えてくれました。「私が描いたこの窓は、女性が想像し、考えていることを表現しています。でも、それが本当かどうかは誰にも分からないのです。


テキスト:Joy Bernard