目次
独占インタビュー | アナット・サフラン (キュレーター、アートディレクター、起業家)
アナット・サフラン氏は、大きな成功を収めた「ペチャクチャ」を東京からテルアビブに持ってきた女性として、イスラエルで知られています。彼女はまた、熟練したキュレーター兼エルサレムデザインウィークのアートディレクターでもあり、デザインを通じて世界中の3万人を繋げています。
今回のインタビューではアナット氏に、ペチャクチャとの最初の出会い、そして東京で過ごした数ヶ月過ごしたことによって、人間とアートやデザインの相互作用への見方にどのような変化があったのか話を伺いました。
テルアビブからストラスブール、東京へ
アナット氏は5年間のフランス留学でアートの学士号と修士号を取得。「兵役を終えた後、どこか別のところに住んで留学がしたかったのです。長年フランス語を学んでいて、フランス語が好きでした。フランスは私が大好きな場所であり、研究の助成もあったので最高の環境でしたね。私の人生を形成した5年間となったのです。」
大学を卒業した後、アナット氏はイスラエルに帰国し、テルアビブの様々なアート関係の職に就きました。2005年にパートナーと東京を訪れるまで、彼女は芸術関係で働いていましたが、それでも自分の潜在能力を十分に発揮できていないように感じていました。
彼女はパートナーが仕事をしている間、毎朝バックパックにカメラを詰めて、街の景色を撮影し外出していました。
「外に出て、ひたすら街を探索してましたね。初めて新宿に行った日、一日中街を歩き回って何キロも歩いたような気がしました。しかし、家に戻ってから地図を確認してみると、それが非常に狭いエリアだったことに気づきました。」
世界中のペチャクチャトーク
アナット氏は日本に5か月間滞在し、日本語のクラスも受講し、観光地から小さな住宅街まで街を探索し続けました。探索する中で、人生を変える訪問となった2人の建築家が経営する小さなバーとの出会いが訪れます。
その出会いは、建築家が「ペチャクチャ」と名付けたバーでの社交イベントでした。彼らはお客さんを呼び込むため、仕事について話すための新たなフォーマットを考え出しました。それぞれ6分40秒の時間が与えられ、時間内に20枚の画像でどんな仕事かを説明するのです。話し時間は画像1枚あたりわずか20秒でした。
アナット氏はすぐにそのコンセプトに夢中になりました。「友人がこのイベントについて教えてくれて、私はその夜ペチャクチャが行われるクラブに足を運びました。そのイベントに座って参加していたのですが、とてもクールなエネルギーを感じ、その瞬間これをイスラエルに持ち込みたいと思ったのです。 」
2007年、アナット氏はテルアビブにおける初の「ペチャクチャ」を開催しました。「このイベントを通じて、私が起業家精神に溢れ、キュレーターや経営者になりたいこと、そして人々と一緒に仕事をすることが好きだと気づきました。それまで私はスタジオで一人で制作活動をしていましたが、突然全く異なる創造を見つけたのです。ペチャクチャとその中で出会った人々を通して、私はますます多くのプロジェクトを思いつくようになりました。」
「ペチャクチャ」はもともと一回限りのイベントだったのですが、一度で終わることはありませんでした。そして現在、ペチャクチャは世界1200以上の都市で開催されています。中でもテルアビブの「ペチャクチャ」は世界最大規模です。
「テルアビブでは、需要が非常に多いため4ラウンドも行います。各イベントに10,000人が参加し、イスラエルでは大きなサクセスストーリーとなっています。ペチャクチャはイスラエル人にとってもぴったりなフォーマットなのです。」
東京デザインウィークで日本とイスラエルをつなぐ
2016年以来、アナット氏は数え切れないほどのプロジェクトに、キュレーターおよびアートディレクターとして関わってきました。その中でも最も重要なのは「エルサレムデザインウィーク」でしょう。この1週間に渡るイベントでは、さまざまな展示会やイベントを通じて毎年のテーマを探求しました。
昨年のデザインウィークには、イスラエル国内外から200人以上のデザイナーが参加しました。30,000人を超える訪問者が集まるこのイベントには、示唆に富む多くの展示会、アートワーク、インスタレーションが集結し、デザイン、フード、アート、科学の間の新しい交差点となります。
「これは私の仕事において最大の冒険の1つであり、非常に情熱を持って取り組んでいます。私たちは常にこのイベントを大きくし、外国とも協力するよう努めています。2年前はパリのデザインフォーラムと協力し、昨年はDESIGNART TOKYOに参加しました。」
「特にDESIGNART TOKYOは、スパイラルという会場で開催され、その場所はまさに私が何年もの間、何かをしたいと思っていた場所でした。さらにDESIGNART TOKYOの理事会には、なんとペチャクチャを発明した2人の建築家が務めていて、それまでのすべてが繋がったのです。15人のイスラエル人デザイナーが参加し、自然、技術、文化をテーマにした展示会を開催しました。スパイラルのメインホールで制作されたインスタレーションでは、地面が塩と塩のブロックで覆われ、小麦で作られた壮大なシャンデリアが吊るされた空間で、訪問者には木箱に隠された建築庭園をのぞいてもらいました。それは素晴らしい作品となり、日本の来場者の反応を見て感動しましたね。デザインウィークの終わりに、私たちはDATの最優秀賞を獲得しました。これは、私たち全員にとって素晴らしい瞬間でした。」
文化、そしてアート表現
イスラエルと日本の芸術の交差点とも言える環境で働いてきたアナット氏は、両国の違いをよく知っています。「イスラエル文化と日本文化は正反対であり、もちろんアートでもそれは表現されています。」
アナット氏によると、最も顕著な違いの1つは、イスラエルでは、テキストとアートワークの概念が、対象自体とその物質性よりも重要であることが多いということです。
一方、日本では、素材とアーティストのスキルを駆使した崇高な美しさの追求に重きが置かれ、それが表すストーリーやメッセージが後になって初めて登場するため、テキストは非常に基本的であるか、全く必要とされないことが頻繁に起こります。
「日本に住んでいる間、私は美術館に行って日本の芸術を見ることにとてもワクワクしていました。最初の頃は、展示会が奇妙にキュレーションされていて、英語のテキストが非常にフラットでひどく失望しましたね。それから表参道の街に出て、プラダの建物を見つけました。そこで建築、ファッション、人々に興奮したのです。その感覚はとても強く、美術館の中にあるものよりもはるかに重要でした。日本にはアートがいたるところにあり、日常生活と常に結びついていることに気づきました。ゆっくりと、私はそれまで学んできた西洋教育の観点からではなく、新しい観点から芸術を見始めたのです。」
COVID-19時代の文化消費
アナット氏は、できるだけ早くまた日本を訪れることを願っています。しかし、パンデミックのため、多くのプランが不確実になっています。
「COVID-19は、生活の中にある既存の問題や質問を誇張してきました。新しい時代における博物館の役割についての質問は長い間議論されてきましたが、パンデミックはその議論をはるかに重要なものにしました。
また、文化の世界では、パンデミックが新しい状況を生み出しました。強制的に閉鎖された文化は重大かつ危険です。私たちがあらゆる種類の興味深い質問をし始めたことで、多くのことが変わりました。現在、文化消費がどうあるべきかという問題の移行期にあります。パンデミックは私たちにとってアートがどれほど重要で肝心か、私が今アートをどれだけ欲しているかを強調することとなったのです。」