Share

Art

プロデューサー、ラン・ウルフ氏が語る、デザインイベント「エルサレム・デザイン・ウィーク」の軌跡

by Sara Hamada |2020年07月09日

2011年にイスラエルで誕生し、今や国際的イベントへと変貌を遂げた、イスラエルと代表するデザインイベント「エルサレム・デザイン・ウィーク」。昨年秋は東京・表参道で開催されるなど、世界中から注目を集めています。

今回はその国際的イベントのプロデューサーであるラン・ウルフ氏に、イベント誕生のきっかけや日本で開催された際の挑戦など、お話を伺いました。


ランウルフ氏写真

ーーー今年で10周年を迎え、今日ではイスラエルを代表するデザインイベントとなった「エルサレム・デザイン・ウィーク」ですが、初めてのイベント開催に至るきっかけ、またその時の周囲の反応について教えてください。またどのようにしてイベントを成功に導きましたか?

ラン・ウルフ氏(以下:ラン氏):エルサレムに「ハンセンハウス」というアート施設があるのですが、その一般向けイベントとして、2011年に「エルサレム・デザイン・ウィーク」が始まりました。当初は小さなローカルイベントでしたが、2016年にハンセンハウスだけではなく、エルサレムの様々な場所でイベントやパフォーマンスが開催されるようになり、またイスラエルだけでなく海外からの作品が展示されるようになったことで、国際的なイベントへと劇的に成長しました。


ハンセンハウスの写真
Photo by Dor Kedmi

エルサレムはイスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒、宗教的自由主義、正教徒が集まる、社会的実験室のような場所です。エルサレム・デザイン・ウィークでは、デザインにおける社会的側面に焦点を当てており、オーディエンスと社会をデザインの世界に繋ぐことが強みとなっています。


ハンセンハウスの様子
Photo by Dor Kedmi

ーーーハンセンハウスは文化施設であるだけでなく、様々な分野のアーティストやクリエイターたちにとっての家のようなとてもユニークな場所ですが、その歴史やコンセプトについて教えてください。

ラン氏:ハンセンハウスはドイツの有名な建築家コンラッド・シック氏が設計を手掛け、1887年にエルサレムのプロテスタントコミュニティによってハンセン病の保護施設として建てられました。1950年にユダヤ国立基金(JND ; Jewish National Fund)に売却され、2000年までは病院として運営されていました。その後文化施設としての復元、再開を目指し、2009年にエルサレム自治体管理下となりました。


2011年、エルサレム開発機関によりハンセンハウスの改修および保存プロジェクトが開始となり、ハンセンハウスとしての新しい機能について慎重に検討されました。公共に向けたオープンハウスであること、そして周囲をガーデンで囲うといったコンセプトについても熟考を重ね、研究開発や公共活動が行えるデザイン、メディア、テクノロジーの文化施設へと変化を遂げることになりました。


Photo by Dor Kedmi

創作と展示のどちらも可能な文化施設を開発すること、教育や研究、一般公開のアクティビティなどを提供することを目的とし、現在ハンセンハウスでは、学術研究、展示スペース、上映室、インタラクティブなニューメディア施設など、様々なアクティビティと施設を兼ね備えています。


ハンセンハウスの内観
Photo by Dor Kedmi
Photo by Dor Kedmi
Photo by Dor Kedmi

ハンセンハウスでは毎年行っている一般公開イベントがいくつかあります。4月に行われる「Primavera Designers Fair」、子供や家族向けの「Play Festival」や夏イベント、そしてメインイベントとして「エルサレム・デザイン・ウィーク」が開催されています。


Photo by Dor Kedmi

その他にも、ベツァルエル美術デザイン学院の上級学習プログラム、アーティスト集団やマムタアートアンドメディアセンター、デザインやテクノロジーを中心とする研究グループ、エルサレム映画&テレビ基金やエレブラブアートマガジンといった企業や団体が施設内に居住しています。


ーーー今日、エルサレム・デザイン・ウィークはイスラエル国内イベントとしてだけでなく国際的イベントとして周知されていますが、イベントのコンセプトは何でしょうか?

ラン氏:イスラエルのユニークな文化的景観が、切迫した世界規模の問題を探求する一種の実験室としての役割を果たし、デザインはその問題に対応しなければならないという考えの下、エルサレム・デザイン・ウィークでは毎年、エルサレムとイスラエルの独特な状況を中心としたテーマに焦点を当てています。


ーーー昨年秋に開催された日本を代表するデザインイベント「デザイナート東京」の公式パートナーカントリーとしてイスラエルが選ばれ、「エルサレム・デザイン・ウィーク」の日本開催が実現しました。開催までに直面した課題や反響を教えてください。また今年は世界中で挑戦の年となっていますが、次の目標はなんですか?

ラン氏:イベント開催までの道のりはとても険しいものでした。作品制作の材料として日本で収穫した小麦や大量の塩の手配が必要であったり、展覧会自体がとても複雑なうえにそれを少人数で回さなくてはならなったので。また文化の違いも大きな課題でしたね。SivanSの皆さんの多大な協力がなければ、どう実現できたのか想像もできません。



もちろん結果にも大満足です。今回の大冒険についてたくさん嬉しい言葉を頂いています。エルサレム・デザイン・ウィークと海外の関係を維持できるよう、早く空の便が再開するのを願うばかりです。


私たちの次の目標ですが、発展途上国ではデザインが経済、社会分野において重要な役割を果たすため、今後そのような発展途上国とのパートナーシップを増やしていきたいです。


ーーー残念ながら今年はCOVID-19の影響により、エルサレム・デザイン・ウィークは延期となってしまいましたが、オンラインでの開催は考えられていますか?

ラン氏:ハンセンハウスは1カ月前より再開しました。関連コンテンツや展示会、ライブコンサートなど、状況に応じて一般公開をしています。

昨今、ウェブ上にはオンラインコンテンツで溢れかえっていると感じています。エルサレム・デザイン・ウィークは、物理的な要素や会場自体がイベントにとって不可欠な役割を果たしているので、物理的なイベントを開催することが重要です。これまで以上に印象的で刺激的なイベントとなって、エルサレム・デザイン・ウィークが戻っていることを、私は信じています。



ーーー私たちも、エルサレム・デザイン・ウィークの再開を楽しみにしています。本日はありがとうございました!