イスラエルのワイン産業における注目すべき女性たちにスポットライトを当てるシリーズ。連載4回目となる本章では、2人目はイスラエルのワイン業界のベテラン、ナーマ・ソーキンさんにお話を伺いました。
ナーマさんインタビュー

ーーーご自身の経歴と、なぜワイン造りのキャリアを追求しようと思ったのか教えてください。
私の名前はナアマです。ワイン造りの業界とのつながりは、ゴラン高原のブドウ畑に囲まれていた私の子供時代にさかのぼります。父がゴラン高原のワイナリーで創業時から働いていて、ワインは私たち家族の生活に欠かせないものでした。夏をブドウ畑で働きながら過ごしたことで、私も家族も、ワイン造りの技術やブドウ畑そのものの重要性を深く理解し、敬うようになりました。つまり、若い頃からワインのテイスティングと製造の技術に触れる機会があったのです。
バイオテクノロジーの学士号取得は楽しい経験でしたが、研究室の外でキャリアを積みたいと考えていました。そんな時、オーストラリアのワイン雑誌「The Australian Grapegrower & Winemaker」に出会い、職業としてのワイン造りを追求したいと思い始めました。しかし当時、イスラエルでワインを勉強する機会は限られていたため、海外へ行くことにしました。幼い娘を含む家族を連れて移住することは簡単ではありませんでしたが、自分の情熱を追い求める決意をしました。
2001年に、オーストラリアのアデレードにある大学院に留学しまた。その後、ワイン造りのキャリアをさらに追求するためにイスラエルに戻る前にアメリカに寄って、貴重な経験を積みました。
ーーーご家族全員で移住されたのですか?
そうです。当時の夫とまだ赤ん坊だった娘と一緒に引っ越しました。夫が仕事を見つけて、娘の保育の環境を整えるまで時間がかかりました。私の勉強のために、新しい国で家族の生活基盤をするのは簡単なことではありませんでした。それに、同級生のほとんどが年下で、学資をもらっていることが多かったので、どこか場違いな感じもしました。私の他にイスラエル人が2人いて、1人は3人の子供を抱え、もう1人はパートナーと一緒に来ていました。

ーーーナーマさんにとって典型的な一日とはどのようなものですか?
毎日が違っていて、多様です。私がワイン造りで好きなことの1つは、ワインメーカーそれぞれが自分の個性を発揮する機会があることです。以前はダルトン・ワイナリー(Dalton Winery)で働いていましたが、今は生産者組合 (winemaking cooperative) の一員として、毎日のルーティンはまったく違います。
現在は剪定の季節なので、一日のほとんどの時間をさまざまなブドウ畑で過ごしています。そこからミーティングをして、メールに返信します。同じような日は一日もありません。例えば、収穫期(8月~9月)には、1日が信じられないほど長くなり、時には12~14時間の重労働になることも多いです。先週はブドウ畑でブドウの木を縛り、そのあと生産者組合の会議に出席しました。明日はマーケティングとセールスに集中して、明後日は別のワイナリーの試飲に行きます。
ーーー実に活動的ですね!
もちろん、ワインメーカーが探求できる範囲は広いです。個人的には研究室よりもブドウ畑の方が好きですが、ワイン造りの分析的な側面に惹かれる人もいるでしょう。

ーーーゴラン高原でのワイン造りには特別な困難や挑戦があると思いますか?
ゴラン高原だけでなく、イスラエル全体にも言えることですが、ヨーロッパの伝統的なワイン産地と比べると、気候条件があまり良くなく、この地ならではのブドウ栽培に難しさがあります。この恵まれない生育条件で優れたワインを造ることが主な挑戦の一つです。と言ってもゴラン高原は標高が高いので、これらの難題をまだある程度補うことができます。
ーーーこの業界で活躍する女性として、特別な困難に直面したことはありますか?
50 歳になった今、過去20年間を振り返ると、当時の自分では気づかなかったことがあります。当時同僚の多くは男性で、私は数少ない女性の一人だったので、自分の価値を証明し、自分の存在を認めてもらわなければと思うような場面によく遭遇しました。
ーーー具体的な例を挙げていただけますか?
ダルトン・ワイナリーのオーナーと面接した時、幼い子供を抱えながら忙しい収穫期を乗り切れるのかと心配されました。彼自身は理解があって協力的で、いい点しか思いつきせんが、このような質問は女性がキャリアと家庭を両立する際の懸念を増やすことになります。ワイン生産業には数多くの困難や課題がありますが、男性は女性と同じレベルの監視や疑いに晒されることがなく、克服するハードルが 1 つ少なくなります。
ーーー現在も同じように感じていますか?
今は2つの異なる感情があります。以前は自分を不十分な人間だと思い込んで、自分を責めていました。しかし、その責任は社会の側にあって、女性が直面する制度的な障壁にあると理解するようになりました。以前は娘を幼稚園に早く迎えに行くことに罪悪感を感じて、職場(特に母親が)からサポートされていないと感じていました。

当時は、こうした問題について発言するのもためらいました。けれど、他の女性のロールモデルとなって私の後に続く人たちをサポートするためにも、これらの問題に取り組むことは重要だと思うようになりました。さらに、経験と知識を積むにつれて、失礼な行為に直面することが少なくなりました。
ーーーそういう発言にまだ直面することがありますか?
残念ながら、ワイン業界では女性と男性に対する期待が異なります。例えば、2020年8月にオルタル・ワイナリー (Ortal Winery) が潰され、私が職を失ったとき、ある同僚が“ナアマさんは非常に独断的だから雇うのは難しい”と言いました。この特徴は間違ってるだけでなく、創造性、奇抜さ、天才の証として男性に賞賛される特徴でもあります。私の同僚たちはアイデアや意見に溢れているが、批判されるより賞賛されてしまいます。
今はそのようなコメントを気にしないようになりました。それでも、クレーマーのレッテルを貼られようとも、こうした問題について議論し続けることが必要だと思います。対話は進歩のために不可欠です。
ーーー私もそう思っています。ワインの生産者組合について教えていただけますか?
もともと自分の手で少量のワインを造りたいと思う人に、作業に適した機械や設備を利用できる機会を提供しようという計画でした。基本的には、共同作業を希望するワイン生産者のための共有ワークスペースです。ウリ・ヘッツ (Uri Hetz) とドクトール・ブラザーズ (Doktor Brothers) とともにこの組合を設立して、5人のワインメーカーで構成されています。私はドクトール・ブラザーズのレストラン用にワインを生産し、サイダーも造っています。主な目的は、それぞれが利点を享受しながら、希望する量のボトルを生産できるようにすることです。

ーーーそれにはどのような利点があるのでしょうか?
まず、私たちのリソースをプールすることで、経費を大幅に削減して、プロセス全体の費用対効果を高めることができます。独立したワインメーカーにはない、共同でブレーンストーミングを行う機会もあります。また、共同作業により購買力が増して、より高品質な原料をより競争力のある価格で手に入れることができます。さらに、組合としてマーケティングの機会も増えやすことができ、さまざまな展示会やイベントに参加できます。
ーーーこのようなワインの生産者組合は以前イスラエルにあったのでしょうか?
私たちの例以外に、イスラエルには先駆的な組合の取り組みは見当たりません。世界的に見ても一般的ではありません。
ーーーナーマさんの手掛けるワインとサイダーについて教えてください。
私は主にワイン造りをしていますが、個人所有のブドウ畑はまだ生産していないので、ヴィンテージの一貫性はありません。現在は、カベルネ・フラン、バルベーラ、ソーヴィニヨン・ブランを中心に、購入したブドウを使ってワインを造っています。ブドウの木が実ったら、同じ品種のワインを作り続けるつもりです。サイダーに関しては、この3年間で単なる空想から現実になった、情熱溢れるプロジェクトです。アルコール度数が高いので「純正サイダー」と呼んでいます。独特のドライさと酸味を誇り、二次発酵を経て、見た目は白濁しています。新しいものに挑戦したいと思う人に届けたいユニークな製品です。もっと一般に紹介されるべきだと思います。
ーーーどのようにブドウ品種を選んでいるのですか?
味とワイン造り両方を考慮して、個人的に魅力的なブドウ品種を選びます。私の好みに合うだけでなく、汎用性の高いものです。この地域の気候へよく適応し、栽培も比較的簡単です。
ーーーなぜ北部でワイン造りをしようと決めたのですか?
いろいろな理由がありますが、結局は自分が暮らしたいと思える場所だからです。
ーーー最後に、今後の抱負を教えてください。
近い将来、自分のブドウ畑からワインを生産したいと思っています。さらに、今後生産者組合が発展していき、末長く運営され続けることを望んでいます。