金融業界で実務を経験した後、学術の世界へ。成功した起業家たちに共通する思考・行動パターンを体系化した論理「エフェクチュエーション」の第一人者として知られる樋原伸彦氏は、スタートアップ大国イスラエルとも縁の深い研究者です。樋原氏が語る、これからの起業に求められるものとは?

銀行勤務を経て、米国へ渡り学術の世界へ
―――まず最初に、先生のご経歴と現在の研究にいたるまでの流れをお聞かせください。
実は最初は、大学卒業後に銀行へ入りました。当時の東京銀行ですね。後に東京三菱銀行になり、今はもう東京の名前も消えてしまいましたが。
銀行では7年弱ほど勤務して、為替ディーラーや米ドル金利マーケット、新規融資先の開拓など、いわゆるコーポレートファイナンスの仕事も経験しました。
――― かなり中核的なお仕事ですよね。
いや、当時はまだ下っ端でしたから(笑)。ただ、マーケット業務も融資業務も一通り経験させてもらいました。辞めるときには「これから稼いでもらわなきゃ困るのに、いま辞めるのか」と言われたくらいのタイミングでした。
でも、6〜7年ほど働くと、銀行という組織のゲームのルールが見えてくるんです。もちろん責任は増えていくのですが、「この先10年、同じことを続けるのか」と考えたときに、少し違和感があった。もともと大学では国際関係論を専攻していて、経済学にも興味がありました。それで、「ちゃんと経済学を学び直したい」と思い、銀行を辞めてアメリカへ渡りました。
進学したのは、コロンビア大学の経済学PhDプログラムです。当時は、大学で教えることは全然考えていませんでした。むしろ、ワシントンDCの世界銀行でエコノミストとして働けたらいいな、くらいの感覚でしたね。

―――経済が世界を動かしている、と感じたからですか?
そうですね。銀行で実務を経験したことで、経済や金融のインパクトをかなりリアルに感じていました。
PhD在学中には、世界銀行でサマーインターンも経験しました。ただ、その中で「巨大組織で働くこと」が必ずしも自分に合うわけではないことも見えてきたんです。ちょうどその頃、アカデミアの面白さにも惹かれ始めていました。
ただ、当時は日本に戻るつもりはほとんどありませんでした。海外で研究者としてキャリアを築きたいと思っていたんです。
ところが、卒業のタイミングでSeptember 11が起きました。
―――ニューヨークにいらしたんですか。
はい。コロンビア大学なので、まさにニューヨークにいました。
あの後、アメリカの大学は一斉に採用を止めてしまったんです。特に州立大学ですね。その結果、カナダのビジネススクールに職を得て、そこで4〜5年ほどファイナンスについて教えました。
その後、日本へ戻り、立命館大学を経て、現在は早稲田大学で教えています。

米国時代に体感したベンチャーキャピタルの黎明
―――現在のベンチャーキャピタル研究やアントレプレナーシップ研究には、どのようにつながっていったのでしょうか。
原点は、銀行員時代にあります。新規融資を担当していた頃、「なぜ銀行は、優秀な起業家や新しい挑戦をする人たちに、こんなにもお金を貸しづらいのだろう」と強く感じていました。その疑問がずっと残っていたんです。
当時のアメリカは、ちょうどITバブル前夜で、ベンチャーキャピタルが急速に注目され始めていました。銀行ではなく、ベンチャーキャピタルという存在が、リスクを取りながらスタートアップへ投資している。そこに強く惹かれました。
ただ、その頃はVCデータがまだ十分に整備されておらず、博士論文自体はバンキング研究で書いています。
それでも関心はずっと続いていて、カナダの大学ではベンチャーキャピタルの授業を新設しました。そこから徐々に、アントレプレナーシップやベンチャーファイナンス研究へ軸足が移っていったんです。
現在は、ベンチャーキャピタルに加えて、「エフェクチュエーション」も研究・教育しています。

―――日本におけるエフェクチュエーション研究の第一人者として知られています。
そうですね。特にコーポレートベンチャーキャピタルやエフェクチュエーション研究については、かなり早い段階から取り組んできました。現在は、日本エフェクチュエーション協会の代表理事も務めています。
エフェクチュエーション自体は、2001年にサラス・サラスバシーが提唱した比較的新しい理論です。彼女は、IPOを経験したシリアルアントレプレナーたちを研究し、「成功する起業家たちは、従来の経営理論とは異なる思考様式で動いている」と発見しました。
つまり、大企業向けの“正解を前提とした経営理論”ではなく、不確実な状況の中で、今ある手段を使いながら未来をつくっていく思考法です。実は、多くの起業家は昔から無意識にエフェクチュエーション的な行動をしてきたんです。ただ、それを理論化したことに大きな意味がありました。
とくに日本企業では、「失敗しないこと」を重視しすぎる傾向があります。
新規事業でも、“120%成功する”確証を求めてしまう。しかも、十分な資金があるから、一度に大きく投資をし、上手くいかない場合も失敗と認めたがらない。でも、本来イノベーションは、小さな試行錯誤の積み重ねなんです。
その意味で、イスラエルのスタートアップ文化には、エフェクチュエーション的な発想が非常に強く表れていると思います。

文字で読むと難しい「エフェクチュエーション」理論も、樋原先生から直接お聞きすると、とても理解しやすいと感じました。そして、イスラエルのスタートアップにみられるエフェクチュエーション的な発想とは?
【後編】では、樋原氏とイスラエルの結びつきについてもお聞きします。
【PROFILE】
樋原伸彦 Nobuhiko Hibara

早稲田大学 大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授
東京大学教養学部卒業。東京銀行(現三菱東京UFJ 銀行)、世界銀行コンサルタントを経て、2002年にコロンビア大学大学院博士課程修了。PhD(Economics)。
2002年からサスカチュワン大学(カナダ)ビジネススクール助教授。2006年から立命館大学経営学部及びテクノロジー・マネージメント研究科准教授。2011年より現職。その間、コロンビア大学ビジネススクール日本経済経営研究所助手等も歴任。
専門はベンチャーキャピタル、CVC(コーポレート・ベンチャー・キャピタル)、スタートアップ・エコシステム、エフェクチュエーション・ロジックなど。
早稲田大学イノベーション・ファイナンス国際研究所(https://cfi-wbs.com/)所長、日本エフェクチュエーション協会代表理事、日本イスラエル商工会議所(JICC)理事、稲盛フェロー(2008-2009)、稲盛経営の現代的意味を考える研究会代表、大学ファンド外部審査委員会(経産省)委員、(株)スケールアウト社外取締役、(株)YHTG社外取締役など多数併任。
