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BUSINESS

本場の味を日本へ – イスラエル食品製造・輸入ビジネスのパイオニア 

インタビュー |アムノン・アガシー氏(Interlink社 ディレクターパートナー)

by Shiori Ichikawa |2020年09月11日

Amnon Agassyプロフィール写真

テルアビブ出身でイスラエルから日本へ移住し、今まで約30年ほど事業経験を積んできたビジネスコンサルタントのAmnon Agassy(アムノン・アガシー)氏。流暢な日本語のスキルを活用し、異文化コミュニケーションとビジネスでの幅広い経験を持っています。


1989年に単身日本へ渡り、小さなイスラエル料理のレストランから始まり、のちに全国へ流通する日本最大の業務用冷凍パン・ペストリー生産メーカーとなったAdama Breads(アダマ・ブレッズ社)を立ち上げました。アメリカ人のパートナー、ラリー・スミス氏と共に、CEOとして年率25%以上の事業成長を遂げると共に、資材、機械等の日本への輸入も兼務し大手商社、業界でのネットワークを構築しました。従業員300名以上と4箇所の工場にて事業を行い、その後、食品業界での経験が豊富な他社に売却をしました。


アガシー氏は、日本の大手貿易会社を含む、日本のビジネスコミュニティーにおける幅広いネットワークを保持しており、現在は自身の事業経験を活かし、中島力氏とともにInterlink社のパートナーとして、独自のコンセプトを持つイスラエルのビジネスを日本市場へ導入し、コンサルティング、輸入・販売の事業をされています。ここ数年では、ファラフェルなどのビーガン料理を主としたレストランチェーンのファラフェルブラザーズを共同で立ち上げました。メインパートナーとしてオープンした3店舗は、それぞれ人気を集めています。


このインタビューでは、日本とイスラエルの文化を超えたビジネスコミュニケーションと、今後の事業展開についてお話を伺いました。


―――すでに30年近く日本に在住し事業をなさっていますが、日本へ移住することになったきっかけ、そして現在に至るまでの経緯を教えてください。


アムノン氏: 兵役を終えた後、バックパッカーとしてしてインド、ネパールやタイなどへ旅行をしました。軍隊を出た後にバックパッキングをするのは、イスラエルではお約束になっているんですよ。実はイスラエルでは壁画を描いていたのですが、オーストラリアでもアートをやってみたくて。アジア圏内での旅行を終える頃にオーストラリアまでの航空券を買おうとしていたのですが、インドで出会った日本人の人たちに、ぜひ日本も訪れるよう説得されて・・・彼らに「日本へ行くのは高すぎるし、忍者もいっぱいいるし・・・(それが当時の私にとっての日本に対するイメージだったんです!)」と言いましたが、結局少しだけ旅行することになり、それが30年にもなってしまいました。結局オーストラリアには未だにたどり着けていません。


初めは主にアートに従事して、企業のために絵を描いたり洋服をデザインしたりしていました。仕事を受けていた企業の一つがいくつかレストランを経営していて、そこでのちにアダマ・ブレッズ社を一緒に立ち上げることになる、ユダヤ系アメリカ人ビジネスマンのラリー・スミスと出会いました。彼は日本にまだベーグルが普及していないことに目を付けて、レストランのためにベーグルやそのほかの食品を製造しようと言い出し、私はもちろんベーグルの作り方なんて全くわかりませんでしたが「もちろん、ベーグル作れますよ、私の得意分野です!」と彼に言いました。かなりイスラエルスタイルですね。とにかくベーグルのレシピを開発したところ、なんとそれが大ヒット商品になり、ベーグルやピタブレッドにファラフェルを挟んだ商品が人気になったので、開発事業を手伝った会社から独立してラリーと共に自分たちのレストランを開店する次第となりました。そこから全てが始まりましたね。


―――素晴らしいですね。Amnonさん自身そこから飲食・製造業と事業開発の経験を積まれましたが、今までの経歴についてお話していただけますか?


アムノン氏:1995年とかなり遡りますが、麻布の小さな場所で日本唯一のイスラエル料理のレストランだったAdamaを経営していました。ファラフェルサンドイッチを売り始めたところ、大人気商品となり1時間以上待つほどの列ができたくらいです。ピタブレッドやベーグルは店舗で全て自家製で作っていたので、他のレストランやホテルなどから購入したいとリクエストが相次ぎました。そこから少しずつ、東京アメリカンクラブやパークハイアットホテルなどからも注文が入るようになったので、店舗とは別の場所に製パン工場を構えて、量産販売を始めました。私は、専門家への委任することが一番だと信じているので、ベーグルやその他の焼き菓子商品が人気になったので、まず自分よりもパンのことに詳しい人を探しました。 ビジョンやアイデア、そして方向性などを提供して、あとは専門家に任せて事業開発に専念しました。


BtoBビジネスが急成長し、レストランの売り上げを上回っていたので、当時Adamaの他にAgada Music Houseというライブレストランも経営していましたが、レストラン業に専念するか、それとも製造業に転換するか決断をしなければなりませんでした。どちらのレストランもまだ人気を継続していましたが、レストラン店舗を閉めて製パン工場をの拡大を決め、神奈川県の平塚に工場を借りて、本格的に量産を始めました。

その頃はちょうどスターバックスが日本に入ってきた時でした(25年前)。ニューヨークのJapan Timesの記事でそのニュースを知り、イスラエル人特有の「フツパー(ヘブライ語で大胆で恥知らずな性格のこと)」で、サザビーリーグ(当時の代理店)に直接問い合わせをして商談にこぎつけました。おそらく当時個人資産が300億円ほどのサザビーリーグの代表との商談で、彼から「何が欲しいのか?」と聞かれた時に、ひとまず「私たちの店舗で売りたいのですが、コーヒー1kgおいくらですか?」と突拍子もない返答をしたところ、「コーヒーの卸売はしていないけれど、君たちは何を売っているのか?」と聞かれたので、自社の紹介をしたのですが、なんと偶然にもちょうど彼らはスターバックスの店舗で販売するパンや焼き菓子などのメーカーを探していたんです。まずは銀座にできた日本のスターバックス第1号店へピタブレッドやベーグル、ブラウニーなどを提供することになり、そこからスターバックスとの業務提携が始まりました。


これが私たちにとって大きな転機となり、スターバックスに続いてローソンやセブンイレブンそしてディズニーなどの大企業からの発注が入るようになりました。大きな取引を1つでも成功させるとあとから他もついてくる、ということを体験しました。日本企業だけでなく、米軍基地や学校給食へも提供するようになりました。 


小さなレストランから始めたビジネスを、最終的には日本全国で2000社ほどの顧客を持ち、数億円の年間売上高を誇る製造メーカーへと成長させることができました。全ての工場は完全自動生産システムで運営されていました。日本で作られたことのない新しい商品を開発した時は、必ず専用の生産機械を海外から輸入していました。ピタブレッドの生産にはイスラエルの機械を、その他イタリヤ製やカナダ製など世界トップレベルの機械を揃えていましたね。新鮮さと品質を保つために製品を冷凍していたので、低価格で提供することができたのです。300種類以上のパンやケーキ、焼き菓子など製品を、北海道から沖縄まで全国各地に出荷をしていました。10年前にある日本企業へ売却しましたが、今現在も私たちの製品はスターバックスなど様々な店舗で販売されています。


―――ビジネスシーンにおいて、日本とイスラエルの文化の大きな違いは何だと思いますか?


アムノン氏:若者たちが立ち上げたような、比較的小さいビジネスの場合でお話すると、日本人はまず計画を立てて、金銭投資をし、何が今人気なのかというガイドラインに則り時間をかけて成長します。周りの人と同じように主流のことをするのが一般的ですが、主流から何か新しいものを作ることは非常に難しく退屈なため、このやり方では多くの人が失敗をしてしまいます。イスラエル人は、何か新しくてユニークなアイディアを形にしたいけれど投資するお金がない場合でも果敢に飛び込んでいきます。イスラエルのビジネスは必ず成功すると自分自身を信じてリスクを負い、急速に成長し商品を売ろうと試みます。 この日本人とイスラエル人の両方のやり方を組み合わせて、適切な計画を立て、リスクを抑えて迅速に実行することが最善の方法だと思います。


大企業の場合、イスラエルの人口はたったの800~900万人ととても小さい国ですので、国内の市場だけでは企業として十分に成長できることができません。ですので成長を続けている企業は、例えばSabon、SodaStreamやTevaなどのように、アメリカやヨーロッパ、アジア圏などの海外市場へ進出していくケースが多くあります。日本の企業は、10年、20年と長期にわたって、国内やアジア圏の市場で事業を拡大するのが一般的です。また日本の大企業のほとんどが家族経営で事業継承されています。 日本の市場は、国内で名が通っていても海外では全く知られていない巨大企業も成長し続けることができるほどの大きさですが、トヨタやパナソニック、そしてユニクロなど、ほんの一握りの巨大企業だけは、西洋の市場への事業拡大に成功しています。

Amnon Agassyインタビュー画像

―――昨今ではイスラエルスタートアップ企業へ投資をする日本企業が著しく増えていますが、なぜイスラエルの企業が日本の投資家や企業にとって魅力的なのか、ご意見をお聞かせください。


アムノン氏:イスラエルの企業は、マイナスから何かを創り出すことができるという魅力を持っています。今までに存在しないまたは誰も考えていなかった新しい独創的なアイデアであり、それが機能するかどうかを知らずにリスクを負って、何かをスタートさせる車輪を発明することで、マイナスのアイデアをまずゼロに到達させます。つまり、売り上げがほぼない、適切に設立された会社ではないスタートアップの誕生です。Waysというイスラエルのスタートアップで、運転する人のためのアプリを開発した会社を例にあげたいと思います。たった5人ほどの従業員で運営していましたが、利益はゼロ、しかしユーザーはなんと5100万人ほど。その可能性に目を付けたGoogleが1.3兆ドルで買収。利益ゼロから始まった会社が、Googleのような大企業に買収されることにより0から100以上へと成長しました。


イスラエルのスタートアップは、自分たちの力だけだと、利益がなくリスクの高い小さなマイナスのアイディアをスタート地点となる0か1に持っていくことしかできません。日本の企業はそれを1から100にまで持ち上げることを得意とします。そのギャップは小さいように見えますが、とても大きな差です。日本企業がイスラエルのスタートアップに関心を示す主な理由は、自分たちが考えたことのないような発想を必要としているからだと私は考えます。 例えはじめは利益がなくても、日本人のビジネスマンはより良い製品の規準と生産フローを確立するために必要な規律とルールに従い、事業を拡大することに長けています。イスラエルのスタートアップ精神と日本の大規模ビジネス精神の間には大きな相乗効果があると考えています。


―――一方で徐々にイスラエル企業が日本へ進出してきていますが、ビジネスコンサルタントの観点で考える、イスラエル企業にとって日本市場へのアプローチの鍵は何でしょうか?


アムノン氏:イスラエル人は自分の会社の素晴らしさについて多く語ってしまう傾向がありますが、日本人は他の人が自分のことばかりを自慢のように話すことをあまり好まないということに気付きました。商品自体がいいものであれば、きちんとしたプレゼン資料、良い価格と良いプランを提案することが大切だと思います。


私からのアドバイスは、自分のことばかり話すのではなく、相手の話もよく聞くこと。特に日本人との会話によくあることですが、自分ばかりが話をしてしまうと、相手が言葉を発する機会を奪ってしまいます。少しネガティブな言い方になってしまいますが、日本人は商談などでリーダーシップをあまり取らず断定的な物言いをしない傾向にあるので、あまり多くのものを提示してしまうと、どれもピックアップしてくれない場合があるので気を付けるポイントですね。


それから商談の際は、あれこれ混沌としたイメージやメッセージを避け、シンプルなコンセプトにフォーカスし、どんなに自分の製品と会社が素晴らしいと思っていても少し謙虚になることを学びつつ、先ほど説明したイスラエル人特有の「Hootzpa」、そして主導権と主張力をバランスよく維持することをお勧めします。主導権を握ろうとプッシュをしてしまうイスラエルスタイルはあまり好まれないので、文化や言語などの障壁や違いをきちんと学ぶことが重要です。


―――今後の日本とイスラエルのクロスカルチャービジネスの展開や関係について、どのような展望をお持ちですか?


アムノン氏:今まで30年間見てきた中で思うことは、日本人とイスラエル人はお互いに対して尊敬の念を持っていると思います。日本人はイスラエル人・ユダヤ人に対して、とても聡明でクリエイティブなビジネスの考え方を持っていて、事業やお金を稼ぐことに長けているというイメージを持っています。一方でイスラエル人は、高品質・高水準そして働き者で正確な日本のスタイル、そして伝統的かつ独特な文化に感心させられています。先ほど申したように両者の間にはとてもよいシナジー効果があり、お互いに関心を持っています。今こそこれまで以上に、インターネットの普及とハイテクの時代であるからこそ、より簡単に繋がることができ、またイスラエル大使館の尽力もあり、日本人とイスラエル人が共にビジネスができる機会がこれからも増えていくと思います。

Amnon Agassyインタビュー画像

―――イスラエル人のスタイルは、日本人にとって勉強になります。つづいて、アムノンさんが現在携わっているプロジェクトについてお話いただけますか?


アムノン氏:Adama BreadsのM&Aを進める過程で、日本人実業家である中島力(Tom Nakajima)氏と出会い、彼は過去に7-UpやNewell Rubermaidその他のメジャーなアメリカ企業などの日本の代表を務め、もちろネイティブな英語力と国際的なマインドを持っていたので、意気投合しました。私たちは海外の企業がスムーズに日本市場へ介入するには、現地で日本人のサポートが必要であると考えました。そのコンセプトをもとに、当時すでに中島氏はIntelink社を設立していたので、私は主にイスラエルそして世界中の企業を引き寄せるためのパートナーとして迎え入れられ、外国企業が日本企業との合併そして営業を円滑にできるようにサポートする業務を始めました。コストコや他の企業へ、ワインをはじめ食品やコスメブランドの卸売を仲介しています。私はAdam Breads時代や輸出入の仕事に携わっていた時のネットワークを駆使してクライアントを獲得し、中島氏が日本企業との窓口になり紹介・交渉を行っています。要するに私たちは、イスラエルと日本のビジネス関係の間に入り、イスラエル人を落ち着かせ、日本人をスピードアップさせ、まさにエンジンのギアが円滑に動くための潤滑油のような役割を担っています。


―――今のお話に関連して、これまでのご経験で異文化間のビジネスにおいてどのような困難がありました?またどのように乗り越えれられましたか?


アムノン氏:日本とイスラエルの文化はとてつもなくかけ離れているところがあると思います。日本人は一般的に何をするにもグループで行動し、決断をする際は序列を考慮して組織として行われ、リスクを負うことを嫌い、無謀で性急な行動は避けて全て一歩づつ順を追って行いますが、すべてイスラエル人が好まないやり方ですね。イスラエルのスタイルは正反対で、早急に、個々のリーダーシップを持って個人で判断を行い、80%しか準備ができていない、または100%確実ではなくても「Yalla!(ヘブライ語で“行こう”の意) とにかくやってみよう」というスタイルです。日本人は通常100%になるまで待ってから動いて、それを110%にするように努力しますよね。


このギャップが二者の間に緊迫感と問題を引き起こします。ですので、そのギャップを誰かが埋めなくてはならず、イスラエル人には行動を起こす前に80%から95%にするように奨励し、日本人には少し期待を下げて95%で納得してもらえるように交渉をサポートする必要があります。そのままにしてしまうと、日本人が決して行動に移すことはなく、逆にイスラエル人は「もう、いいや」と投げ出してしまいビジネスは成り立ちません。


私がInterlink社に参入する前は、ほとんどイスラエルの食品やワインのブランドは日本市場に存在しませんでしたが、プッシュし続けて、イスラエル大使館からの援助もあり、多くのビジネスを成立することができました。

ANGEL Bakeriesの出展 – FOODEX Japan 2019にて
ヤッファ・ベンアリ在日イスラエル大使(一番右)とノア・アッシャー元在日イスラエル経済・商務官長とともに

―――最後に、アムノンさんのビジネスモデルとモットーについて教えてください。


アムノン氏:私がAdama Breadsを設立した時にはすでに、35歳になるまでに会社を売って引退し芸術活動に戻るという明確なビジョンがありました。一生をパン屋として過ごす気はもちろんなく、売却するために会社を成長させることだけに集中しました。


私は常に明確な到着点と目的を持っています。なぜあなたがそのビジネスをやりたいのか、そしてどれほど大きいものにしたいのか、意図と理由を明確にする必要があります。それらが自分だけでなく自分のパートナー、そして従業員やクライアントにとって明白になることで初めて、あなたのニーズや計画に応じて、将来のビジョンを見ることができます。私は芸術家でもあるので、最終的にどのように見えるのか、物事の全体像を見ることができます。その最終的にどのように見えるのか、そしてそれがいつそうなるのか、そのビジョンが頭の中で明白であれば、リバースエンジニアリングを使って現在まで遡って逆算し、そこに到達するために必要なことを確認し、計画を立てることができます。


またゴールに到着するために、適格なタスクアロケーションし、日本特有の団体行動そしてチームワーク、イスラエル人の機敏さとリーダーシップ、両方の良いところを取り入れて、責任感を持ち自発的なリーダーシップが必要とされるチームの環境を作ります。自分一人ですべてやろうとするのではなく、自分よりもその業務に長けている人材を採用し、彼らに自分の明確なビジョンを与えて、彼らが一番得意とすることができるように、そしてまたさらにもっと成長できるようにアイディアを与えてサポートすることをモットーとしています。


―――アムノンさん、貴重なお話を聞かせて頂きありがとうございました!