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FASHION

究極のミニマイズを変形自在に操る歴史の伝道者ATA

by SHIYA AVNAT |2020年09月29日

出典:TimeOut

イスラエルより歴史が長いアパレルブランドとは?

出典:MBS

ATA(アタ)のブランド名は、ヘブライ語の小説家であるシモエル・ヨセフアグノン(Shmuel ・Yosef Agnon)に由来しています。ATAは「arigei totzeret artzeinu」の頭字語であり、日本語で「私たちの土地で生産された生地」を意味します。


まだイスラエルが建国されていない1930年代に、旧チェコススロバキアから現イスラエルに移住してきたユダヤ系の実業家モラー家によって、現在のパレスチナでATAは設立されました。


当初ATAは、移住して来た人々の為にテントの生地や作業服、ユニフォームを制作していましたが、その高い技術と品質の為、パレスチナ地域を占領していたイギリス軍の目に止まり、イギリス軍の第二次世界大戦のユニフォームまでも製造していました。また、この時期ATAの製造していたコーディロイ生地は、ヨーロッパでも品質の高さが有名でした。


そんな技術の高さに定評があった同社も、時代の流れと共に世界の生産工場がアジア地域へと集中していく中、1980年代にひっそりと幕を閉じます。


Form follows function―フォームは機能に従う


時代は移り変わり2011年、イスラエルの美術館でATAのエキシビジョンが開催されます。たまたま美術館を訪れていたシャハル・セガル(Shahar・Segal)が、イスラエルの建国当時に重要な役割を果たしたキブツ(イスラエルの集産主義的協同組合)に深く関わるATAの歴史に深い感銘を受け、なんとかこの歴史を埋もれさせず伝えていく事はできないかと考え、ATAを再構築し始めました。


当時、仕事のパートナーでもあったスタイリストのヤエル・シュンベイガー(Yael ・Shenberger)に相談した所、ただATAを復元するだけでは無く、解釈しながら、現代に蘇らせる事が必要であり、その為には実用性と機能性を重視しながら、長い間使用できるデイウエアとして蘇らせる必要があると、彼女は直感で感じとりました。


こうしてシャハールとヤエルのコンセプトに共感した創設者のひ孫から許可を得て、2016年にATAは復活を遂げます。


デザイナーのヤエル・シュンベイガーに聞く自身とブランドコンセプトについて


―――ヤエルさんのこれまでの経歴を教えてください。


ヤエル:25年間、コマーシャルやドラマのスタイリストをしながら、ヘブライ語のリトリチャー(文学)を学びました。また、過去にハイファミュージアムドレッシングマン展覧会に出品しています。


スタイリストの仕事をしている中、アーティストであるヤエル・ブラタナ(Yael・bartana)と7年間仕事をしていた事はATAにも強く影響しており、“what if women rude the word”でも彼女とコラボレーションを果たしています。



―――ATAは、シンプルでありながら非常に機能性が高い点が、日本のミニマイズデザインにシンクロする部分があると思うのですが、デザインコンセプトを教えてください。


ヤエル:25年以上、第一線でスタイリストとして働いていた中で、ファストファッションの手軽さでは無く、ファッションよりも服自体が意味とメッセージを持つ事が大切だと考えました。私のミッションは服のストーリーをサイレントに伝え、着用する人々の意思と個性に長く寄り添う事ができるよう、究極にミニマイズされたデザインとATAのDNAである機能性を兼ね備えたものではならない、というコンセプトへ辿りつきました。


良い服には意味があり、時代と共に良い人に寄り添って行くものだと私は考えています。


―――1930年代に設立されたアパレルブランドが、なぜ現在のヒップスターやストリートカルチャーの若者から絶大な支持を得ることができたのでしょうか?


出典元リンク

ヤエル:ATAを再建する事を思い立った当時、テルアビブでは破壊して建築するのではなく、バウハウス等の歴史ある建物を再構築するムーブメントがおきており、テルアビビアンの若者にも、歴史の新旧を並行させるパラレルムーブメントが受け入れられ始めていました。


その流れと共に今、新型コロナウイルスの関係で急激にファームトゥーテーブルやローカルメイドへの支持が戻ってきている中、ATAの服はイスラエル国内の工場で8割以上が制作されており、またイスラエル独自の歴史とメッセージ性にも共感を持たれたからではないでしょうか?ATAのショートパンツはイスラエルの初代首相ベングリオンも着用しており、歴史を語る画像の1つとしても残っています。


当時の作業服のパターンをそのまま生かした、リバイバルスタイルのコレクションラインもいくつかありますが、現在の生活スタイルにも密着しやすいように、ポケットの大きさをスマートフォンがすっぽり入る大きさに変える等の工夫もしています。


―――今年コラボレーションをしたアーティスト、ヤエル・バルタナ(Yael・Bartana)について教えてください。


出典元リンク

ヤエル:ヤエル・バルタナは、イスラエルの著名なマルチメディアアーティストであり、写真、ビデオサウンドを駆使し政治やフェミニズムをテーマとして国内外で活躍しています。今後も2人のイスラエル人アーティストとコラボレーションする予定です。


―――日本の好きなデザイナーはいますか?


ヤエル:定番ではありますが、ジュンヤ・ワタナベレイ・カワクボヨージ・ヤマモトのデザインに惹かれます。日本はまだ訪れた事はありませんが、新型コロナウイルスが落ち着いたら、是非1番初めに訪れたい国です。




今回インタビューした中で、建国72年と言う決して長くはないイスラエルの歴史が、如何にイスラエルの人々にとって意味のある事なのかを再確認させられました。


ATAのCEOのシャハル・セガル(Shahar・Segal )は、テルアビブのアイコンシェフでもあるエヤル・シャニ(Eyal・Shani)のビジネスパートナーでもありますが、彼のレストランもまた、何処もテルアビブの若者で溢れ返っています。


エヤルのレストランはファームトゥーテーブルを大切にしており、安定した流通と品質の新鮮な野菜を使用する事で、高い味のクオリティを保っています。また、彼らのマルチイベントスペースであるTEDER.FMで開催されるイベントでも、イスラエルのアーティストやペインターに場所を提供しており、テルアビブらしいカルチャーが体感できる場所として、外国人にもクールテルアビブの一部として定着しています。筆者もTEDER.FMのピザはお気に入りのうちの1つです。


ATAがテルアビビアンに支持を受けているのは、ファストファッションに疲れた若者が、原点回帰の流れと共にメッセージを持った長く付き合える服に共感しているからではないでしょうか?歴史を復元するだけではなく、それらを解釈するヤエル達の意思は、サイレントでありながら確実に消費者へと伝わっており、彼女の思惑どおりに静かにイスラエルに浸透しつつあります。


ATAウェブサイト

https://atawear.co.il/