イスラエルの女性といえば兵役にも就き、何人もの子供を生み育て、会社を経営したり技術を開発したりしている・・・。こんな話を耳にすると、イスラエル社会はさぞかし女性に優しく、男女平等が徹底しており、イスラエルでは女性であること自体がキラキラしているように聞こえますが、本当にそうなのでしょうか?
今回紹介するのは、世界に静かな社会的ムーブメントを起こしている、イスラエル発祥のスポーツ「お母さんリーグ・ママネット」。設立者のオフラ・アブラモビッチさんにお話を伺いました。
ママネットとは?
まず、「ママネット」とはどんなスポーツでしょうか?これは、バレーボールによく似たスローボール/throwball (もしくはニューコム・ボール/Newcomb ball)を基礎に生まれた、「お母さんのためのリーグ」です。
スローボールは日本ではあまり馴染みがないかと思いますが、ルールを簡単に説明すると、バレーボールのようにコートの真ん中に張られたネットを挟んで6人グループで向かい合って行われるボールゲームです。ブロックを除いて、ボールを打つことはなく、必ずボールをキャッチしてから投げる必要があります。ボールを持っていられる時間は1秒間。ボールを落とすもしくは相手コートに投げ入れるようにパスを繋げられなかったら、相手チームの得点です。
「ママネット」を一言で表すならば「お母さんのためのバレーボール」で、ママネットに参加する人はほとんど全員がお母さん。「母親もしくは30歳以上の女性」が参加条件で、今まで本格的にスポーツに取り組んだことのないお母さんも多数です。そんな「ママネット」について、それではさっそく説明いたします!
ママネットが誕生するまで
「私の娘達がまだ小さかったころ、私の置かれた環境はとても恵まれたものだったと思います。自分と主人、2人の意思で私は仕事を休み、子育てをする良い時間を持てたし、健康や家庭や経済的に大きな問題もなく、幸せでした。それでも子育ては本当に大変なものです。母親は“自分自身”というものはとにかく横に追いやって、母親として、妻として、日々の生活をこなすことに一生懸命です。
私自身、自分の娘達には“体も鍛えて心身ともに健康になってほしい”と思っていたし、自分が彼女たちのロールモデルであるということは良くわかっていましたけれど、母親が自分の心身の健康をケアするなんて、現実ではそう簡単ではないのです」
イスラエル生まれのスポーツリーグ「ママネット」、その設立者であるオフラさんへのインタビューでは、ママネットの誕生からお話を伺いました。
オフラさんの第一印象は、とっても上品で、エレガント。イスラエル人女性にありがちな「押しの強さ」を感じさせず、どちらかというとおとなしめで控えめな印象です。声の大きさや強引さがものを言うようなイスラエル人の喧騒の中にまみれたら、見失ってしまいそうな気すらします。
彼女は続けます。「ある時、娘の習い事で一緒になったママ友に、スローボールのグループに参加しないかって誘われたのです。最初はそれほど行きたいとも思わなかったのですが、彼女のあまりに熱心な勧誘に、しつこいからとりあえず1回くらいは行ってみよう、程度の気持ちで参加しました。(笑)
平日の夕飯時に一家の主婦が家を空けるわけですから、もちろん準備は万端に整えました。主人に早く帰って来てもらい、娘たちの世話をするように頼み、夕飯の支度をし、家を整え…。そうやって初めて行ったスローボールの練習から戻ってきて、私は2つのことについての気付きを得たのです。
一つ目は、私がやりたい!と思ったことは自分でやるのだということ。“私は母親だから”とか“家族が”とか“子供が”とか…言い訳はなしです。毎週1回、この日は自分のための時間と決めたら、それに向かって準備する。これは自分次第、自分の問題なんだということに気づきました。
そして二つ目。スローボールの練習に行ったら、私はもう、16歳の少女に戻った思いでした!1時間半の練習の間、私は自分の好きなことに集中して自分自身を取り戻した感覚でした。“普通のお母さん”として大きな問題もなく過ごしていた私ですら、この解放感です。様々な問題に囲まれて苦しみの中にいる母親のことを思うと、この時間が必要なのは私だけではない、これは母親皆に必要な時間なんだと思ったのです。
そして私は、自分が楽しんだからそれでお終い、とは思えませんでした。この思いを、この体験を、他の母親達と共有しなければ!そんな思いに駆られました。
それが、この“お母さんリーグ・ママネット”を作ろうと思ったきっかけでした」
そう話すオフラさんの落ち着いた立ち居振る舞いに私はすっかり引き込まれ、彼女にあるのは押しの強さではなく、芯の強さなのだと、実感しました。
ママネットの成長
こうして、2005年に誕生したママネット。現在ではイスラエルに限らず、なんとキプロス、イタリア、ドイツ、イギリス、アメリカ、カナダといった欧米のほか、南アフリカやニュージーランド、オーストラリア、シンガポール、メキシコ、フィンランド、フィリピンなど世界中にその輪は拡がっています。
そして、イスラエルではサッカー、バスケットボールに続き、3番目に競技人口の多いスポーツとしてママネットが挙げられています。ママネットは老若男女を問わずにプレイできる他のスポーツと違い、選手は母親のみという非常に限られた人口のリーグなのですが、この新しいスポーツがここまで広く受け入れられている理由は何でしょうか。
オフラさんにそんな疑問をぶつけてみました。
「今ではママネットもやっとここまで大きくなりましたけれど、15年前に、私がお母さんリーグを作りたいと言った時の人々の反応がどんなものだったか、想像がつきますか?皆に鼻で笑われました。
私があまりにしつこく言い続けるものだから協力してくれた人の中にだって、“どうせ失敗するのだから、早く終わってくれ”と思っていた人がたくさんいました。
ママネットはもともと学校単位、クラス単位のお母さんがチームを組むことをスタート地点にしましたが、私の提案に最初から“No”と言わなかった学校がどれだけあると思いますか?私はイスラエルにあるほとんどの学校を回り、ほとんどの学校から断られ、追い出されて階段を転げ落ちました。
ママネットはイスラエルにある女性用の刑務所にもチームを作りましたが、男性用の刑務所には体育館があるのに、女性用の刑務所にはありません。今でもです。なぜでしょうか?男性の囚人にはスポーツをする権利が認められているのに、女性にはその権利がないのでしょうか?
15年前のイスラエルで“お母さんリーグ”に理解を示してくれた人は皆無だったと言ってもよいでしょう。“母親がスポーツをやる”、“母親のためのリーグ”、これがどれほど重要で、健全な社会のために必要なことなのか、誰も理解していませんでした。それでもここまでママネットが世界に広まったのはなぜでしょう?
それは、ママネットでプレイした母親たちの力です。
何とか許可を取り付けて始めた小さな活動が、母親達のネットワークと力で、じわじわと拡がっていったのです。
ママネットの初の海外拠点はアメリカでした。
旦那さんの仕事の都合でアメリカに転勤になった一家のお母さんが、“ママネットがないなら私はアメリカに行かない”と言い、自分でママネットのコミュニティーを転勤先に作り上げたのです。キプロスも同じ様な経緯です」
オフラさんはこの様に、ママネットが拡がっていった様子をお話してくれました。
ママネットの特徴
さらにオフラさんは、ママネットの特徴として次の様なお話をしてくれました。
「ママネットはスポーツですが、その最終的な目標は競技で得点して勝つことではありません。なぜならママネットでプレイしている母親は、自分で時間を作り出して自分自身を取り戻し、自分のためにプレイしているという時点で、すでに勝っているからです。
ママネットは協力し合い、助け合うリーグです。今までスポーツをやっていた人もやっていなかった人も、背の低い人も高い人も、体重の多さも少なさも関係ありません。
人生には様々な問題があります。そして母親ならば誰でも、抱える問題は自分のことだけではありません。文化や地域に関係なく、“母親”にはいつも共通項があるのです。
母親が自分自身を大切にして、自分の健康に責任を持ち、継続的にスポーツを続ける。これが子供にとって家族にとって、そして社会にとってどれほど有益なことか、わかりますか?
ママネットでは年に1回、乳がんの早期発見に関する啓蒙活動として、参加者が全員乳がん検診を受けるというリーグ戦、“I am aware”を行っています。
公共機関や各種団体が「乳がん検診を受けてください」とポスターを貼って呼びかけても、実際にどれほどの母親が準備をして時間を空けて積極的に検診に行けるでしょうか。
このリーグ戦に参加したことで、乳がんの早期発見につながった女性がいます。
そして、癌が発見された母親を、ママネットのチームメートが放っておくと思いますか?あり得ないことです」
▼“I am aware” リーグの様子
イスラエルには「ミント」という月刊のヘルス&ライフスタイルマガジンがあるのですが、ちょうどこのインタビューを行った5月にママネットの特集が組まれていました。そこには、病気や事故にあい、人生の苦しい時期をママネットの仲間たちと共に乗り越えていった母親たちに関する記事が掲載されていました。
苦しい時もつらい時も、チームメイトが交代で付き添い、手を引き、背中を支え、時には経済的な援助も惜しまなかったとその記事にはありました。「こんなにつらい治療ならばもうやめたいと精神的にくじけそうになった時も、仲間ともう一度ママネットでプレーしたい、仲間と一緒にコートに立つことが勝利だと、励まし合った」と書いてありました。
ママネットは単なるスポーツのチームではなく、社会的ムーブメントだと、オフラさんは言います。
「自分だけが得することのために頑張っても、その輪は広がりません。母親が健康を保ち幸せになることは社会の益になるのです。それが理解されたことで、ママネットは社会的な意味を持ち、広く受け入れられていきました」
ママネットの練習風景
オフラさんのお話を伺った後、実際にママネットの練習風景を見に行ってきました。隣町チームと練習試合をするという近所のママネットチームへ、練習は月曜日の夜8:30からでした。体育館の駐車場がわからずに遅れて到着してしまい、ちょっと気遅れしたのですが、はちきれんばかりの笑顔のお母さん達を一目見て、私の気持ちもすっかり上がり調子。遅れて到着するお母さん達が体育館に入ってくるたびに、チームメイトは拍手と掛け声で喜び合います。
「お母さんが平日の夜に自分のために家族をおいて出かけようと思ったら、それは簡単ではありません」オフラさんの言葉が蘇ります。チームメートたちは皆、その大変さを知っているお母さん達です。少しくらいの遅刻は気になりません。練習に来れただけでもすごい!えらい!拍手にはそんな気持ちが込められているようです。
子供やお父さんたちが応援に来ている家族もありました。
4才、11才、13才の3人の子供を連れて、お母さんを応援に来ていたお父さんにお話を聞くことができました。
「最初はママネットって何なんだって、思いましたよ。子供と夫から解放されるためにお母さん達が作り出した集まりかな?なんて思ったこともあります。(笑)僕の妻はもともとスポーツが好きだったのに、子育てのために運動をしなくなっていたのです。でも、ママネットに入ってからはスポーツジムにも行くようになって、自分の体のことに気を遣うようになった。彼女は今とても生き生きしている。素晴らしいことだと思います。」
まだ小さな子供もいて、ひとりで3人の面倒をみるのはお父さんも楽ではないようです。それでもお母さんがママネットで体を動かしている時間は、お父さんと子供たちの水入らずの時間でもあるのです。幼いころからお母さんが楽しそうにスポーツに励んでいる姿を見ている子供たちが将来親になった時に、完璧でなくても一生懸命協力し合っていた両親の姿が与える影響は良いものでしかないでしょう。
冗談が飛びかい、常に掛け声を掛け合うチームメートたち。ボールがうまくつながれば拍手喝采で喜び、ボールが落ちれば励まし合う。「いつも皆、こんなに楽しそうなんですか?」との私の問いにお母さん選手達は答えてくれました。
「私たちはオリンピックに出るために頑張っているんじゃないの。グッド・バイブ、これが私たちの目指すところ。ママネットは、楽しくやることに意味があるのよ」
「私なんて、今日はすごい寝不足だから体はフラフラだけど。ママネットは私のエネルギー源なの。ここで力を貯める感じね。練習が終わったら、すぐに来週の練習が楽しみで仕方ない」
オフラさんが言っていたようにママネットをプレーするお母さん達は皆、16歳の少女に戻ったかのように、キラキラしているのでした。
ママネットと日本
オフラさんのお話を伺い、お母さん達の練習風景を見て感じたのは、 彼女たち全員の 「自分でやると決めて、そのために頑張っている」という芯の強さでした。
お母さん達にもそれぞれにおかれた環境があり、得意分野やライフステージも異なります。
週に1回ママネットの練習に来ることを頑張っているお母さんがいる。仕事と子育てを両立しようと頑張っているお母さんがいる。病気と闘っているお母さんがいる。家族や親せきの無理解の中で自分の居場所を得るために闘っているお母さんがいる。子供の問題に立ち向かっているお母さんがいる、ただ単に楽しいからママネットに来ているお母さんがいる…。
どのお母さんがより良いとか、より優れているかは全く関係ありませんし、そんなことには誰も興味を持ちません。自分がやると決めたことに自分で立ち向かっていく。そしてそれを応援しあう仲間がいて、小さな力を支えあって大きな力にする。それがママネットなのです。
日本にはママネットはまだ入ってきていませんが、オフラさんは言います。
「どんな地域でも文化でも“お母さん”には何らかの共通点があるものです。日本でママネットをやりたいという人がいたら、ぜひ、一緒にこの輪を広げていきましょう!Every mother can!」
日本でもママネットに興味を持たれた方は、ぜひ、ママネットにご一報を!
ママネットインターナショナルのホームページ
https://www.mamanet.org.il/International.asp