ユダヤ人の歴史というとヨーロッパや中東を思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、日本や韓国にも知られざるユダヤ人の足跡が残されています。東アジアとユダヤ社会を結ぶ意外な歴史を紹介します。

ヨーロッパを逃れ、日本へたどり着いたユダヤ人たち
16〜17世紀のヨーロッパでは、スペインやポルトガルで異端審問(宗教裁判)が行われ、多くのユダヤ人が迫害を受けていました。
信仰を捨てるか、国外へ逃れるかという選択を迫られた人々の中には、当時「世界の果て」とも言える極東の日本までたどり着いた人々がいました。
研究者たちは、後に異端審問の記録から、日本で暮らしていたユダヤ人の存在を確認しています。
当時の日本は神道や仏教を中心とした宗教観を持ち、ヨーロッパのような一神教的な宗教対立が比較的少ない社会でした。そのためユダヤ人は「異教徒」として排斥されるのではなく、数ある信仰の一つとして受け入れられていたと考えられています。
ユダヤ人と日本について研究しているエイブラムソン博士は、「日本社会はユダヤ人に対して驚くほど寛容だった」と説明しています。
長崎に生まれたユダヤ人コミュニティ
19世紀後半、明治維新によって日本が海外へ門戸を開くと、新たなユダヤ人コミュニティが形成されました。
ロシア帝国から移住してきたユダヤ人商人たちは、長崎や神戸を拠点に貿易を展開します。特に繊維産業や国際商業の分野で活躍し、長崎にはユダヤ人墓地も作られました。
一般的に「日本にユダヤ人はほとんどいなかった」と考えられがちですが、実際には近代日本の国際化の過程でユダヤ人コミュニティが一定の役割を果たしていたのです。
第二次世界大戦、日本はユダヤ難民を救った
日本とユダヤ人の関係で最も有名なのは、第二次世界大戦中のエピソードでしょう。
外交官・杉原千畝氏が発給した「命のビザ」によって、多くのユダヤ難民がヨーロッパから脱出することができました。

しかし、ユダヤ人を救った、もう一人の重要人物がいます。
その人物が小辻節三(こつじ・せつぞう)氏です。
小辻氏は日本人でありながらヘブライ語研究者として知られ、ユダヤ文化への深い理解を持っていました。神戸に到着した数千人のユダヤ難民を支援し、日本国内での滞在ビザ延長や生活支援に尽力した人物です。

博士によれば、当時の日本政府はナチス・ドイツから「ユダヤ人問題」への対応を求められていましたが、日本側はその背景を十分に理解していませんでした。
そこで日本当局はユダヤ人代表を招き、
「なぜドイツ人はそこまでユダヤ人を嫌うのか」と直接質問したといいます。
その際、ユダヤ人代表の一人が、
「ドイツ人は私たちがアジア人だから嫌うのです。あなたたちと同じように」
と答えたという有名な逸話が残されています。
真偽には議論もありますが、日本人とユダヤ人の間に生まれた独特の相互理解を象徴するエピソードとして語り継がれています。
韓国で広がる「タルムード人気」
一方、韓国では長年、「ユダヤ人は教育熱心で成功者が多い」というイメージがあり、多くの家庭で子ども向けの『タルムード』本が読まれています。
興味深いのは、それらの多くが実際のタルムードそのものではなく、ユダヤの寓話や知恵話をまとめた書籍であることです。
それでも韓国社会では、「タルムードを学べば思考力や判断力が身につく」という考えが広く浸透しており、結婚祝いとしてタルムード本を贈る習慣があるとも紹介されました。
エイブラムソン博士は、「韓国では西洋社会以上にタルムードが文化的な存在感を持っている」と指摘しています。

日本とユダヤ人の歴史はまだ十分に知られていない
ユダヤ人の歴史というと、多くの人はヨーロッパや中東、アメリカを思い浮かべるでしょう。
しかし実際には、日本や韓国を含む東アジアにも、数百年にわたる交流の歴史が存在していました。
迫害から逃れてきた人々を受け入れた日本、そしてユダヤ文化に強い関心を寄せる韓国。
これらの物語は、イスラエルと東アジアのつながりが決して新しいものではないことを教えてくれます。
私たちが知らないだけで、日本とユダヤ人の歴史には、まだ多くの発見が隠されているのかもしれません。

*本記事はイスラエルメディアUnpackedの報道をもとに構成しています。


