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CULTURE

テルアビブはゲイフレンドリー?

by Mali Ma |2020年11月17日


ゲイフレンドリーな街というと、どんな街を想像しますか?私が住むテルアビブでは、手を繋いで歩く女性カップルや、小さな子どもを一緒に育てる男性カップルに、日常的に通りすがることがあります。保守的な宗教であるユダヤ教徒が多いイスラエルですが、テルアビブは最もゲイフレンドリーな街の一つとして、近年世界中の人たちから注目されています。テルアビブが、ゲイフレンドリーな街として、人気を集める理由は何でしょう?今回は、テルアビブのLGBTQ事情についてご紹介します。



LGBTQとは?

LGBTQは、レズビアン ∙ ゲイ ∙ バイセクシュアル ∙ トランスジェンダー・クィアの英語の頭文字から作られた言葉です。いずれも、性別という縛りに囚われず、自分自身の性のアイデンティティを、より自由に考える人たちを意味します。例えば、「自分は男だから、女性を好きになるのが当然だし、男らしく振るわないといけない」という、ボーダーラインが明確に引かれた従来の考えだけではなく、「男の子でも、お化粧によって美しくなることを楽しんだり、他の男性に性的魅力を感じる、個人の気持ちを尊重しよう」など、性別において、社会がこう決めているからといって、自分の個性を恥じる必要はないとする考えが根付いています。


イスラエルでのセクシャルマイノリティの歴史

イスラエルのLGBTQを支持する運動の歴史は長く、30年以上に及びます。1988年に、同性による性交渉を違法でないとする法律が初めて施行され、その後テルアビブを中心に、LGBTQに関する社会運動が、セクシャルマイノリティの人たちを中心に少しづつ広がりました。2006年には、同性による結婚や事実婚が認められ、2008年には同性のカップルが、自身とは血の繋がっていない子どもを養子として受け入れ、法律上の家族になれることを裁判所が定めています。



このように、法律を変えるほどの社会運動が広まった原点には、街頭でのデモ活動があります。LGBTQコミュニティの人たちが街の中を練り歩き、世の中で正しいとされる「性に対する考え」が、市民全員にとって本当に正しいのかどうかを問う街頭デモは、1970年代後半に初めて始まりました。その後、何年にも渡り続けられたこのデモ活動が、90年代前半にアメリカで起きていたゲイプライド運動に刺激を受け、次第に性的志向や性自認を誇りに持つべきであるとするマーチ、ゲイ・プライドに変化して行きました。



テルアビブ・プライド

毎年6月に開催されるテルアビブ・プライドは、イスラエル全土からたくさんの人がやって来ます。また、海外からもこのイベントためにたくさんの人が訪れる、賑やかな一大イベントです。近年では20万人以上が参加しているこのイベント、日本でいうと縁日ような、夏の恒例行事です。



市内の主要大通りは歩行者天国となり、子どもからお年寄り、若者たちや家族に埋め尽くされます。LGBTQのシンボルである、カラフルなレインボーフラッグを掲げたり、思い思いの衣装を着た人たちが、従来の性の在り方に囚われない、ポジティブなアイディアをみんなでお祝いします。この日のために、街中がデコレーションされたり、テルアビブ市役所もまた、レインボーフラッグカラーにライトアップされ、市を挙げてとても気合が入っています。人々は、朝から夜まで一日中本当に元気で、歌い、踊り、お祝いするのが印象的です。


毎日の暮らしの中の取り組み

テルアビブ市内を歩いていると、いたるところでレインボーフラッグを見かけます。アパートのベランダから下げられていたり、公立学校の入り口にあったり、カフェやバーなどいろんなところで、レインボーフラッグが掲げられているのを見かけます。


テルアビブ市は、スイミングプールなどの市営の施設を利用する、LGBTQのカップルも家族として家族割引を適応するなど、小さな取り組みも行なっているようです。LGBTQが持つ権利を主張・サポートすることを公言していたり、「ホモフォビア(同性愛嫌悪)の人、入店お断り」という、看板を掲げているお店もあります。また、テルアビブには家族向けのビーチ、宗教家のための男女別のビーチ、犬が自由に走り回れるドッグビーチが連なる中に、様々なセクシャリティの人が安心して利用できるゲイビーチがあります。これらの区分けは、市によるもので、様々な考えの人が安心してビーチを楽しめる様に取り組まれているようです。



私はイスラエルに来るまで、同性の両親を持つ子どもに、実際に会ったことはありませんでした。母親と父親、それぞれに役割があるのだから、同性の両親によって育てられる子どもは、社会性が欠けてしまうのではないかと思っていたほどです。しかし、この考えは同性の両親がいる家族に会ったことがない、無知によるものだと気付かされます。



日本でも多様性が進む現代では、様々な形の家族が存在しています。従来の家族の形にとらわれない考えはとても自然で、家族として無条件の愛情を育んだり、個人の尊重を大切にすることは、一人一人の行動や責任によって成り立つように感じます。この様に、従来の形に当てはまらないから制限するのではなく、法律や行政が多様性を受け入れ、それぞれの権利を守ることはとても重要なのかもしれません。