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CULTURE

イスラエルのヘレン・ケラー、ヨシとその両親のものがたり

by 新井 均 |2021年07月01日

本稿は、つい最近ミルトスから刊行された「障がい児と家族に自由を」という本の紹介です。著者のカルマン・サミュエルズ自身の経験をまとめたドキュメンタリーですが、こんな壮絶な人生があるとは俄には信じられない思いで一気に読了しました。是非多くの人に読んでもらいたいと思い、そのきっかけとなることを願って概要を紹介することにしました。



カルマンは、祖父がウクライナからカナダに移住した東欧系ユダヤ人で、バンクーバーに生まれました。ユダヤ人の家庭といっても、シャバットなどの伝統は守るものの特に宗教的には熱心ではない、いわゆる世俗派の生活だったようです。1970年、大学2年のときに西洋文明のルーツを学ぶためにフランスへの旅行を計画し、母親の勧めもあって、その旅行の途中でイスラエルに立ち寄りますが、それが彼の大きな岐路になりました。多くの人との出会いがあり、結局フランスには行かずにエルサレムでトーラー(ユダヤ教の聖書)を学び、カルマンは2年後の21歳の誕生日にはれっきとした超正統派になってしまいます。そして、同じく超正統派の16歳の女性、マルキ、を紹介されて翌年結婚します。マルキの母親はホロコースト・サバイバーでした。この目まぐるしい人生の変化自体も実に興味深いのですが、これは400ページ、全51章、の本書のなかの僅かに20ページ(1章から4章)ほどの、前置きでしかありません。


1歳の息子ヨシの悲劇

1977年10月に、1歳の誕生日を間近に控えたカルマンの息子ヨシは、三種混合ワクチン(ジフテリア・百日咳・破傷風)を接種しますが、直後に発熱や痙攣を起こし、視力も聴力も失うという深刻な健康被害を被ります。実は聴力を失っていることは後に判明します。

※時節柄、ワクチン副作用には敏感になるかもしれませんが、三種混合ワクチンの問題は既に解明されており、現在は改良型ワクチン接種が行われています。


カルマンの息子ヨシ
生後7カ月、ワクチン接種前のヨシ(写真提供:シャルヴァ

カルマンとマルキはヨシを救うべく、あちこちの医師を訊ねますが全く成果は得られません。「問題ありません、いずれ回復します」という、いわば「自分が信じたい」医者の言葉に捕らわれてしまいます。そして息子の被害とワクチン接種との因果関係もわからないまま、突如2ヶ月後の12月19日に、政府から三種混合予防接種の中止通達が発表されるのです。


ニューヨークへの移住

イスラエルでの医師から医師への訪問では何の手がかりも得られない彼らは、親戚のアドバイスを元に、専門医と最適な医療を求めてニューヨークに移住します。その間、家族はさらに二人増えます。ヨシの前にも長女がいるため、子供が4人になるのですが、障害のある子供を抱えて更に子供が増えるということは、筆者にはなかなか理解出来ないことでした。最終的にはさらに3人、合計7人の子供に恵まれます。


カルマンは家庭を支える生活のために、それまで経験の無いコンピュータを猛勉強し、ソフトウェアエンジニアとして少しでも収入の良い仕事を見つけようとします。ヨシはとても好奇心旺盛で活発な子供で、周囲の事象に反応しようとするのですが、それは両親にとっては、モノがこわれたり、散らかったりすることを意味し、大変な日常でした。ヨシは視力回復のためにライトハウス盲学校に通うのですが、そこで彼らはヨシの聴力にも問題があることを告げられます。それまでは、両親はヨシの聴覚はあるものと思っていたわけです。周囲からは障害者の施設に入居させることを勧められますが、マルキはそれを拒否し、他の子供を育てながらヨシの世話を続けます。


この間、イスラエルの医師、弁護士の協力も得て、ワクチンの問題に対応しなかったイスラエル保健省と法廷で戦うことも彼らは決意します、その後の長い時間のかかる大変な仕事のはじまりでした。その書類を揃えるために、一度マルキとヨシはイスラエルに戻り、神経科の医師の診断を受けます。医師は、ヨシの障害がワクチンの影響であることを証言してくれるだけではなく、ヨシが障害にも関わらず極めて高い知能を示すことも見つけます。これをきっかけに、彼らは4年のニューヨーク生活を閉じてイスラエルに帰国する決意をします。


エルサレムでの生活とシャルヴァの設立

ショシャナ(左)と手で会話するヨシ(写真提供:シャルヴァ

実は、この本はこれからが本題です。やはり本題の詳細は自身で読むべきなので、ここではその一部分だけ要点を列記します。


・ヨシの通った特殊教育学校の教師、ショシャナが個人授業をしてくれることになり、彼女の献身的な努力で、ヨシはなんと言葉を理解するようになります。手のひらに文字を書き、そのものを触る、という忍耐強い作業の繰り返しで、ヨシはコミュニケーションの方法を習得してゆきます。


・オスナットというセラピストは、自分の唇の振動をヨシの指で感じさせることで、ヨシに「話す」ことを教えます。


・これらの経験を経て、マルキは障害のある子供を持つ親を支援する教室をつくることを決意します。自分が当初欲しかったものを自分で作ろうとしたのです。


・この教室には多くのニーズがあり、生徒も増えて規模が大きくなり、やがてシャルヴァという名前の施設へと進化します。マルキが始めたこの活動は、今やNational Centerとして運営されています。シャルヴァはヘブライ語で「心の平安」を意味するそうですが、この本の日本語題名にもつながります。どう繋がるかは本を見てください。


シャルヴァ・ナショナルセンター
シャルヴァ・ナショナルセンター(写真提供:シャルヴァ

・ヨシは触るもの全てを覚え、自然に他者とコミュニケーションができるようになります。

等々。


ジョージ・ブッシュ大統領(右)との面会
ジョージ・ブッシュ大統領(右)との面会(写真提供:シャルヴァ

そして、カルマンは、家族の生活のために働くだけではなく、この施設を運営するための巨額の寄付集めに奔走する人生となります。次々に新しい問題に直面し、それを不屈の闘志で解決してゆくカルマンとマルキには、驚きと脱帽以外の言葉は見つかりません。全ての問題に対して、進むべき方向を示すのはマルキでした。それを信じ、進めるのがカルマンです。本の巻末には、成長してリブリン大統領と一緒にいるヨシやニュースを読み聞かせるショシャナ、大きくなったシャルヴァの建物外観など、本文の内容を生き生きと伝える多くの写真がありますが、なぜかマルキの写真がないことが大変不思議でした。巻末に、翻訳をした徳留絹枝氏によるカルマンへのインタビューがあり、徳留氏もこの点を質問していました。カルマンによれば、マルキは常に目立たないことを望んでいたそうです。この本の内容は極めてプライベートなことでもあり、マルキの希望に沿うことは本としてまとめるための必須条件だったのでしょう。でもなお、どんな人なのか見てみたいという気持ちになります。


ヨシとリブリン大統領(写真提供:シャルヴァ)
イスラエル国会議長当時のリブリン大統領(左)と共に(写真提供:シャルヴァ

マルキとカルマンの強さを支えたのは「信仰」なのかもしれませんが、そのことはあまり「生」に書かれてはいません。宗教色を強く出していない点が、むしろこの本の読みやすさを支えていると感じます。徳留氏のインタビューの中でも、カルマン自身も「私の宗教的な信念について正面から取り上げることはしませんでした」と言っています。ただ、この本を読めば、信念を持つことが全てを動かしていることは良くわかります。原題は「Dreams Never Dreamed」だそうです。ヨシがコミュニケーションを取れるようになったり、シャルヴァが大きく育っていったり、”(実現するとは)夢にも思っていなかった夢” が信念をもつことで具体化されていく物語は、驚異的であると同時に魅力的です。是非一読をお勧めします。