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プライベートの言葉を描く: 画家Mosh Kash氏の工房を訪ねて

by Art Source |2021年10月01日

イスラエル人アーティストMosh Kashiの作品

数ある児童書の中でも、間違いなく最高ランクに入る「星の王子様」の中で、フランス人作家のサン=テグジュペリは、妙に楽観的なその空想上の主人公に、こんな言葉を語らせています。「人間はみんな、ちがった目で星を見てるんだ。旅行する人の目から見ると、星は案内者。ちっぽけな光くらいにしか思ってない人もいる。学者の人たちのうちには、星をむずかしい問題にしてる人もいる。だけど星のほうは、なんにも言わずにだまっている。でも、きみにとっては、星がほかの人とは違ったものになるんだ。」(訳: 内藤濯 / 岩波書店版)


そんな、さすらいの星の王子さまの心の広さや好奇心ですが、それを、記念碑的作品を世に数多く残し、時には抽象絵画も手がけるイスラエルの画家、Mosh Kashi氏に重ね合わせる人もいるのではないでしょうか。その、あまりに巨大な、黒いキャンバスの上では、夜が永遠を支配する遠き銀河の中で、ほんの数滴の白い点が、その空を引き裂く隕石の軌跡となって表現されています。


イスラエル人アーティストMosh Kashiの作品
Mosh Kashi, Falling Lights, 2019

また、異なったキャンバスの上では、このテルアビブ在住の芸術家は、その計り知れない程の広大さに比例させるかの如く、明るい紫の影とぶつかり合う「白」という色の、様々な色相を表現しようとします。二つの色は、巨大なキャンバスの上で一つに溶け合いますが、それは、鑑賞者がキャンバスから十分な距離を置かないと認識できないものであり、一瞬でありながら永劫の時を生きる夜明けの光の瞬間をキャンバスに捕らえた作品と言えるでしょう。Kash氏によれば、この作品は「光が暗闇を引き裂く、まさに捉え所の困難な、夜であるとも朝であるとも分からない、その瞬間」を捉えた作品であると語っています。


イスラエル人アーティストMosh Kashiの作品
Mosh Kashi, Blue Spectrum #2, 2019

国内でも国外においても、その作品を積極的に発表し続けている絵描きにとって、毎日の一瞬一瞬、その全ての瞬間を切り取り、その瞬間の本質を、不滅のものとしてキャンバス上に残そうとする強い意志こそが、それぞれの作品を形作る原動力となっています。「私は、こういった瞬間を、絵画という方法論の中で如何に切り取っていくのか、それを追い求めているのです。」直近の「王冠 / Crown」と名付けられた個展で展示された巨大な抽象絵画に関して、彼はこう語ります。


「私は、見る者の感覚を全て無に帰してしまうような、そんな作品を作り上げたいと常に思っています。見るものを、全く別の精神状態に導きたいのです。」Kash氏は、自身の、心安らぐ大きな工房で、過去30年もの間、完全に沈黙してきた動機についてこう語りました。


内なる羅針盤で求める「どこにもない、どこか」

実際、この作家によって繰り返し描かれる絵画の主題は、考え抜かれた無形性とも言えるものでしょう。儚い夜の景色であろうと、暗闇の中の寂れた野に枝を広げる孤独な木であろうと、彼の描く絵画は、特定の場所を指し示すような作品ではありません。この、彼の絵画の特徴とも言える無名的な曖昧さこそ、過去、様々な批評家によって、「どこにもない、どこか」と象徴的に呼ばれてきた、彼の作品の本質を指し示すものなのです。


イスラエル人アーティストMosh Kashiの作品
Mosh Kashi, Ash Tree, 2019

「多くの場合、私の描く作品は、特定の場所を描いたものではないと、自分でも感じています。それは、どんな場所でもあり得るのです。時を超えた、と表現しても良いかもしれません。」Kosh氏はこう言って、灰色に煙るとある冬の朝、筆者を自身の工房に迎え入れてくれました。


はっきりと分かる実際の土地の風景を、なぜ描かないのか尋ねたところ、彼は、一瞬間を置いた後、こう答えてくれました。「人は、自身の生きた過去を出来る限り明らかにしたくないと感じているかもしれません。しかし人は、そこから逃れる事は絶対にできません。しかしそれでも私は、自分の生い立ちと、自身の作品の間に、できる限り距離を置きたいと考えてきたのです。」彼は、静かにこう切り出すと、自身の、7人兄弟で育った環境、そして10代を全寮制の学校で過ごした事を語ってくれました。「時が経つにつれ、私の子供時代に感じたことが、自分の作品に無意識の内に反映されている事に気付いてきました。子供時代の作品を含め、自分は、自身の新たな世界を描いているのだ、と、常に感じていたのです。」


謎に包まれた「どこにもない、どこか」は、Kash氏自身の精神状態を反映しています。「その絵がどうなるのか、描いている私自身、全く予想が付かないのです。コンパスも地図も持たずに外国を旅しているような、そして、見知らぬ土地に迷い込み、途方に暮れたような、そんな感覚を描いているのだと言えましょう。でも、その感覚が、私を揺さぶるのです。分かりきった事柄からは、何も生まれません。そんな見知らぬ土地が私の心の中に開けるからこそ、新たな世界が生まれてくるのです。その見知らぬ世界そのものが、その世界を自分の中で形作っていくのです。」


絵を描き込んでいく課程の様々な場面で出くわす、彼にとって最も信頼できる同志、それは彼の周りに広がる自然です。しかし、Kashi氏は、自身がアウトドアで得た実際の経験を決して描こうとはしません。信頼できるものは、自身の想像力であり、本能であると考えているのです。「私にとって、私の周りに広がる自然は、様々な意味を持つ、巨大な辞書のようなものです。ですから、私がその中の人々を描こうとすれば、自分自身の考え方に基づいた独善的な分析を行なってしまう事でしょう。でも、そういったことを行わず、こんな描き方をすれば、」そう言って彼は、工房にある数多の作品を指し示し、話を続けてくれました。「それは、ある種の風景にはなりますが、でも、そうではない何か、になるのです。そう、「どこか」ではあるけれど、「どこにもない、どこか」になるのです。私たちの周りに広がる自然は、縮ませることも、広げることも、そして自然の中の人を描く事では表現出来ない、新たな次元を創り出す事も出来ます。私たちの周りに広がる自然、それは、未来永劫尽きる事の無い可能性、そのものなのです。」


テキスト:Joy Bernard