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BUSINESS

イスラエルの持つ技術と知識を人道支援に役立てたい。
東日本大震災で「心のケア」を提供し続けた
イスラエルNGOイスラエイド(IsraAID)

by 中島 直美 |2021年03月05日

東日本大震災が起きてから、早くも10年が経とうとしています。瓦礫が片付けられ、建物が立て直され、電気も水道も通って…一見「日常」が戻ったような状況になっても、被災された方々の心が「震災前」に戻ることはないのではと想像します。


筆舌に尽くしがたい大惨事となったこの震災で、目に見えるものであれ見えないものであれ、どんな形でも傷を負った方々に、改めて心よりお見舞いと応援をお送りしたいと思います。


揺れ、火災、津波、原発事故…。なすすべもないまま次々と迫りくる未曽有の災害を目の前に突きつけられ、それでも何とか生き延びて前に進むしか選択肢のなかった人々へ、「心のケア」を提供し続けたのが、イスラエルの非営利、非政府団体、イスラエイド(IsraAID)です。

当時、東日本大震災での支援活動にボランティアとして参加したイスラエイドの現代表、ヨタム・ポリツァーさんにお話を伺いました。


イスラエイド代表、ヨタム・ポリツァーさん
イスラエイド代表、ヨタム・ポリツァーさん

―――イスラエイドについて教えてください。


ヨタム:イスラエイドは2001年に創立されたNGO(非政府団体)で、世界各国で人道・緊急支援を必要としている人々にイスラエルの持つ技術や知識を提供し、被害を最小限に抑えることを目標としています。宗教や政治に関わらず迅速に支援を提供できることが強みです。


2001年の発足当初は数人のボランティアが細々と活動していましたが、2010年、ハイチで起きた震災の支援活動を行った頃から、その活動の専門性や迅速さから知名度も高まり、義援金の提供も増えていきました。

現在は250人の職員と600人のボランティアを抱え、世界各地に支部を持つ大きな組織へと成長しています。


活動は多岐、多地域にわたります。基本は「緊急支援」「復興支援」そして「難民、避難民の支援」。地震や津波などの自然災害支援には、ニュージーランド、フィリピン、ネパール、インドなど、エボラウィルス流行の際には必要とされるアフリカ各国へ。日本のお隣、韓国では脱北者の支援や、セウォル号沈没事故の緊急支援も行いました。

場所は選びません。イスラエルが国交を樹立していない国、例えばインドネシア、南スーダン、イラクなどでも、必要があれば出かけて行きます。世界約40か国での実績があります。


現在は、イスラエルで成功しているワクチン接種にかかるシステムの技術を、必要とされる国に提供する活動が始まっています。


―――国交がない国にも、支援に行くのですか?


ヨタム:はい。地元の赤十字や、場合によってはコミュニティーの中心的な役割を担っている教会などを連絡窓口とします。必要があれば、イスラエルからの支援であるということを表に出さずに、ロウ・プロファイルで活動します。


―――それでは、東日本大震災における活動について、少し詳しくお聞かせください。


ヨタム:まず、緊急支援活動というものはどこでもそうなのですが、つらい話が多いです。大きな天災を前に、人間の力が及ばないことも多々あります。

でも、僕たちイスラエイドはそんな中でも何か役に立つことを探して、少しでも被害を小さくする方法を見つけ出すことを役割としています。


イスラエイドの持つ技術と知識が、この大震災で傷ついた人々のために何か役に立たないか。巨大な津波が日本を襲った4日後、僕達イスラエイドのメンバーはすでに日本行きの飛行機の中にいました。

日本から外国を目指す人はいても、日本を目指す外国人はまったくと言ってよいほどいなくて、飛行機はガラガラに空いていました。


現地入りしたのは津波の4日後。現場でまず目にしたのが、この光景でした。
現地入りしたのは津波の4日後。現場でまず目にしたのが、この光景でした。

日本に到着した当初は簡単ではありませんでした。どんな支援ができるのか、何が最も必要とされるのか…。全てが混乱の中にあったし、日本は支援を提供することはあっても受けることには慣れていなかったということもありました。


それに、日本は瓦礫を片づけたり建物を立て直したりするのに、僕たちの支援を必要とする国ではありません。行政も技術もしっかりしたものがありますから、一時的な初期の混乱を乗り越えれば、他のどんな国よりも早く確実に再建できる力を持っているのです。


そんな中で僕たちは、宮城県にある幼稚園で、幼稚園の先生、幼稚園児、両親を対象に、アートセラピーによる心の支援を中心に活動を開始することになりました。


セラピーの様子。幼稚園の先生や保護者の方たちと共に。
セラピーの様子。幼稚園の先生や保護者の方たちと共に。

―――「アートセラピー」ですか?具体的にはどのようなことを行うのでしょうか?


ヨタム:アートセラピーというのは、音楽や体の動き、絵などといったアートを通して心の内面を表現し、トラウマを克服する方法です。

自分の体験や感情を言語化して、専門家もしくは一定の人々に話すような心理療法は西洋では一般的ですが、日本人には受け入れにくいのでは、と思われる部分がありました。


そして幼稚園児の様な言語能力がまだ完全に成長していない子供達でも、アートセラピーなら取り組めるという理由もありました。メンバーにはもちろん、アートセラピーの実績を持った専門家がいました。

大きな紙を4つに区切り、「津波」「家」「希望」「幸せ」、それぞれの言葉から思いつくことを絵にしていくのです。


結果から言うと、子供たちは「異常事態における正常な反応」と言える形で、自分たちの感情や体験を紙の上に表現してくれました。

そしてこのセラピーの様子を見た幼稚園の先生方は、「子供達が被災後初めて自分の心を表現してくれた」と驚き、喜んでくれたことを覚えています。


幼稚園の子供たちと一緒に。子供たちの笑顔が本当に眩しいです。
幼稚園の子供たちと一緒に。子供たちの笑顔が本当に眩しいです。

―――やはり、その幼稚園に通う子供たちも震災で心理的に苦しんでいたのでしょうか?


ヨタム:私たちが活動を行う中心となった宮城県の幼稚園は、福島県との県境に近い町にあり、この町は津波による最も大きな被害を受けた地域の一つでもあります。この幼稚園も津波に襲われ、不幸にも園児8名と先生1名が亡くなられるという、大惨事に見舞われました。


津波にさらわれた恐怖の中やっとのことで生き抜いた幼い子供達や、子供を亡くしてしまったご両親のトラウマのみならず、救助に全力を尽くした先生方も、子供達や同僚を亡くしたという悲しみだけでなく、全員を助けることができなかったと大きな自責の念にかられ、全員が心にとても深い傷を抱えていらっしゃったのです。


―――それは、聞くだけでも胸が痛むお話です。今となってはたから見れば、「心のケアは重要だ」というのはわかりますが、当時、現場では…と想像すると、その時の混乱は筆舌に尽くしがたいものがあったことでしょう。


ヨタム:そうですね。だからこそ、というのもありました。


このセラピー自体は単純なものです。時間も短く、道具も大がかりなものはありません。そしてイスラエルでは心理的なケアというものはとても重要視されていて、こういったセラピーは一般的なものですらあります。だからこれがイスラエイドが日本でできる最も効果的な支援であり、震災で傷ついた人々を助けるための力になるということを、確信しました。


人々の心が回復する様子を見て僕たちも小さな希望を見出した気持ちでした。この話を聞いた人々からも多くのリクエストがあり、宮城県内だけでなく県をまたぎ福島県に住む人々にもセラピーを提供しました。


この様に、幼稚園から始まったアートセラピーはイスラエイドの東日本大震災における支援活動の中心となりました。


ギターを演奏するヨタムさんと一緒に歌う子供。
ギターを演奏するヨタムさんと一緒に歌う子供。

―――支援はどのように続けられていったのでしょうか?


ヨタム:この様な支援活動の最終的なゴールは、持続可能な自助力です。外部からの人たちが国に帰ったのでケアが絶えた、というような支援の仕方は避けなければなりません。そこで僕たちがいなくなっても、自分たちでケアを続けることができるように、アートセラピーの知識を地元の人々に教えました。2011年から2018年の7年間で、学校や幼稚園の先生、カウンセラーなど3,000人以上がアートセラピーを提供する側へと変わっていったのです。


そして宮城県に日本イスラエイドが設立されました。


これは、こういった災害の現場で支援を行う僕にとっての大きな励みでもあるですが、2015年のネパール大震災の時、僕は東日本大震災で被災しセラピーを学んだ日本人チームとともにネパールへ行き支援活動を行いました。また2016年の熊本大地震の際も、日本イスラエイドが熊本に赴き支援を行いました。


―――災害から生き延びるだけでなく、その経験を他に活かす。素晴らしい飛躍ですね。


ヨタム:東日本大震災では、誰も想像もできなかった大きな津波が発生し、人々の生活と多くの命が根こそぎ奪い去られていきました。


直接的にでも間接的にでも被害を被った方々の心情は、外からははかり知れません。津波や火災といった危険から生き残り身体的な傷が治っても、心の傷はどんな様子なのか目で見ることはできません。何年も経ってから、そういった傷が引きこもりや鬱といった症状で表面化するようなこともあるのです。


それでも震災で心に傷を負った人々が、別の震災で傷ついた人々の心を癒す。これを「勝利」とか「震災から学んだこと」などと言って良いのかどうかはわかりませんが、僕にとっては非常にうれしいことです。


―――最後に希望に満ちたお話が聞けて本当にうれしいです。この活動からイスラエイドは日本と強い関係を持つようになったのですね。


ヨタム:そうですね。僕自身はイスラエイドで働く前もイスラエル国内外に関わらず、支援活動を行ってきました。今、そういった、これまでの活動に関する本をまとめているのですが、日本に関する記述が多く占める感じになっています。ほとんど日本のことばかり、という感じかな(笑)。


それに、個人的にも、この支援がきっかけで知り合った日本人女性と結婚したんです。彼女も同じように、東北に支援活動に来ていた人でした。

そういう意味でも、日本は僕にとっての第二の故郷となりました。


―――素晴らしいご縁があったんですね!今後もイスラエイドの皆さんは様々な被災地で支援を続けていかれるのですか?


ヨタム:もちろんです。僕たちの力が役に立てるのなら、どこにでも行きます。残念ながら震災だけでなく亡命者や病気の爆発的流行など、今でも地球上の様々な場所で苦しんでいる人々はいっぱいいますので。


―――どうか皆さん、お気をつけて今後も頑張ってください。今日は大変貴重なお話をどうもありがとうございました。


イスラエイド

https://www.israaid.org/